2-1
濡れた長い黒髪が、私の肌にまとわりつく。じめじめとした暑さの中、けして心地の良い感触ではないはずなのに、私の頭の中はとろんとした甘美な感覚に満たされていた。
私の耳に、美夜の息がかかる。艶々した声が言う。
「ねえ、どうして欲しいの?」
……そんなの、言えない。
私の気持ちを知っているくせに、彼女は私に残酷な質問を投げかける。
「へえ、柚月はここがいいんだ?」
「……意地悪」
さんざん焦らされて、弄ばれて。じとっとした温い雨の降る夜に、私の初めては奪われた。
*
私と美夜が初めて会ったのは、大学のサークルの歓迎会の夜だ。
当時私は、色々なサークルの歓迎会をはしごしていた。新入生だと言えば、先輩方のおごりで、タダで酒が飲めるからだ。
四月から五月にかけて、一通り遊んでまわって、入部するだのしないだのに巻き込まれる前に、早々に退散していた。
六月になって、じめじめした季節がやってきた。べたっとする空気の中、こんな時期にまだ新入生を募集しているのが、合唱サークルだった。きっと部員がよほど足りないのだろう。面倒なことになるのは嫌だけど、タダ酒の誘惑には勝てなかった。
その日は一通り練習を見学した後、駅前の居酒屋に流れ込んだ。練習中、ひときわ輝くきらきらした声を出している女の子がいた。その声は、周りに溶け込むように抑えられていても、なんとなくわかってしまうほど。その美しい声の持ち主が美夜だった。
美夜は私と違って、しっかり入部するつもりで来ていた。
「君、可愛いね。一年生?」
最初に声をかけたのは私だった。今思うと、それが間違いだった。
「この後、うちに来ない?」
すっかり遅くなった帰り道、何の気無しにそう提案した。何の気無し、というのは嘘だ。明確にお持ち帰りするつもりだった。短い飲み会のあいだの、ほんのちょっとの会話で、私は気づいていたから。美夜は『こっち側』の人間だってことに。
小雨が降っていた。美夜の髪も濡れて、ぺたんこになっている。湿気のせいでじとっとした汗が気持ち悪くて、一刻も早くシャワーを浴びたかった。
駅前のコンビニで、スミノフアイスと、シードルスイートを選んだ。美夜は甘いのが好きらしい。私もビールには飽きた頃だったから、ちょうど良かった。おつまみはカシューナッツとピスタチオ。
「ピスタチオって、なんかエロいよね」
とか、馬鹿な会話をした。間違いなく、誘っていたし、誘われていた。
順番にシャワーを浴びて、髪も乾かさずに、二人きりの宅飲みを始める。初めて会ったとは思えないほど、不思議なくらい、話は盛り上がった。
美夜は私に、ピスタチオの剥き方を教えてくれた。
「私、爪が短いから、うまくいかないんだよね」
「私も」
爪が短い理由なんて、聞くだけ野暮というものだ。だけど、美夜は言う。
「鍵盤、弾くからさ。長いと邪魔でしょ?」
「奇遇だね。笛もおんなじ」
私は中学時代からフルートを吹いている。長い爪だとなんとなく演奏しづらいのは同じだった。もちろん、それだけが理由じゃないけど。
「なんか、弾いてよ」
「えー、いいけど」
私の部屋には電子ピアノが置いてある。学生にあるまじき、防音仕様の贅沢な部屋だ。本当は夜に弾くのはだめなんだけど、電子ピアノくらいなら、小さい音にすればありかな、と勝手に思った。
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