1-3

「ねえ柚月、カラオケ行こーよ」


 授業終わりに声をかける。仲良くなるには、積極的にイベントをつくっていかないと。


「いいね。いつ行く?」


 柚月はわりと乗り気な様子だ。


「今日このあとは?」

「四限あるから、そのあとならいいよ」

「やったー!」


 ついついテンションを上げて喜んでしまう。私って単純なやつだ。


 四限が終わるまで、私は学内のカフェで勉強していた。生物学入門はまだそんなに難しくないけど、数学の線形代数の授業が苦手だった。分厚い教科書を、よっこらしょ、と引っ張り出して開く。当然、全部、英語で書いてある。


 たぶん、全日本国民の中では確実に英語はできるほうだと思うけど、化け物がたくさんいるこの大学の中では、私は生まれたてのひよこのようなもので。たくさん英語が並んでいると、読めなくはないけど、わー、めんどくさいな、と一瞬思ってしまう自分がいる。早く慣れないとなーと思う。でもこれ、慣れるのかな。今から不安だった。


「お待たせー」


 四限が終わって柚月が私の席までやってくる。


「うげー。なにこれ、全部英語じゃん。しかも分厚い」


 わざわざ自分から国際系の大学に来ているくせに、そんな発言をする柚月は、やっぱりちょっとお仲間かもしれない。


「線形代数。ほんと疲れるよ」

「お疲れ様。まー歌って気分転換しよーぜ」


 柚月に肩をぽんぽんされて、立ち上がる。分厚い教科書をでっかいヴィトンのかばんに詰める。それを自転車の前かごに入れて、私たちはカラオケに向かう。


 道のでこぼこで自転車がガタガタ言うたびに、かばんがかごの中で擦れていく。少なくとも私の知る限り、ヴィトンのかばんをこんな目に遭わせているような奴、ほかにはいない。でも、ちゃんとしたブランドのものは長持ちするから大丈夫、ってパパも言ってたし、まあいいか、と思う。


「いつも思ってたけど、菜穂美のそのかばん、可愛いよね。なんだ、格子模様? みたいなやつ」


 ヴィトンだよ、と言うと、「あーこれが噂の」なんて言っていた。柚月はブランドとかそういうのに、ものすごく疎いのだ。そういえば、服とかも全然こだわりがなくて、全部、プチプラのもので揃えている。いつか、全身コーディネートしてやりたい、などと、つい思ってしまう。いつになるか、わからないけど。




 カラオケボックスに着いた。そういえば、誰かと二人きりでカラオケなんて初めてだ。こういうのって、大体大人数で来るものだったから、なんだか不思議な感覚だった。


「二人だとさ、たくさん歌えるから、なんかお得な気がするんだよね」

「たしかにそうだね」


 柚月は歌うのが本当に好きみたいだ。初めに聴いた時と同じ、艶やかな声で、流行りのアップテンポの曲から、しっとりとしたバラード曲、果ては懐かしいアニメソングまで、随分とレパートリーが広かった。


 私も今度は負けじと、お気に入りの曲を入れる。今、流行っている女性アーティストの曲で、もう別れた恋人に会いたすぎて震えてしまう的な、そういう歌だ。切ないメロディーを歌い切ると、柚月は拍手してくれた。


「この曲、切ないね。そして可愛い」

「ね! ほんとね、可愛いのこの曲」


 私が歌った曲を柚月は気に入ったみたいで、帰り道もなんとなく口ずさんでいた。初めて聴いたと言っていたのに、もう覚えてしまったのかと感心してしまう。


「この後、うちで飲まない?」

「いいよ。明日三限からだし」


 ちゃらちゃらと、その場のノリで飲み会が開催できるのも、大学生の特権だ。私の部屋は駅近のファミリー向けマンションの一室で、一階が大手コンビニチェーン店という、便利すぎる立地だった。


 そのコンビニで、たくさんお酒を買って部屋に向かう。そこで、私は気がついた。


 ……あ、部屋、全然掃除してなかった。


 だけど、今更、やっぱり帰ってとは言えないし。


「ごめん、その……部屋、めちゃくちゃ汚いけど、いい?」


 そう謝りながら、柚月を部屋にいれた。


「いや、めちゃくちゃ汚いって、これ、いくらなんでも酷すぎるだろ」


 柚月はお怒りだった。


「私の部屋より酷いとか、なかなかやるな……。床に皿、置かない。下着を脱ぎ散らかさない。洗濯物はまとめときなさい」

「……はい」


 意外にもお母さんみたいに面倒見のよい柚月は、私の部屋の片付けを一緒に手伝ってくれた。


「ありがとう柚月……! 柚月って将来いいお母さんになりそうだよね」

「いや、ならねーよ。ビアンだし、子供産む気ないし」

「あ、そっか」


 馬鹿なことを言いながらも、二人飲み会が始まった。コンビニで買ったもののほかに、簡単に手作りのおつまみを用意する。冷蔵庫にあるものを使って、柚月がささっと作ってくれた。


「わああ、めっちゃ美味しい!!」


 柚月の料理はめちゃくちゃ美味しかった。もう言わないけど、やっぱりいいお母さんになれるんじゃないかなあ、なんて思ってしまう。


 柚月は自分のことを『レズビアン』だと言っていたけど、別に女の子とちゃんと付き合ったことがあるわけではないらしい。最初はそれでどうして、女の子だけを好きってわかるんだろう、と不思議に思っていた。


 でも、私も自分をヘテロだと思っているけれど、別に男と付き合ったことがあるわけではないから、同じようなものなのかもしれないと、次第に思うようになった。


 どうしても世の中は無意識にヘテロ的な目線でできているから、私もそれに影響されてしまいがちだけど、気をつけていかないとな、と思う。この間、ジェンダーの授業で先生が言っていたことの受け売りだけども。

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