29杯目

「……」

「……」


ブブブブとなるアラームの音に、私達の心臓が止まりそうに…なっちゃダメ。

冷静さを取り戻して、どちらかともなく、そっと離れて、そして。


「えっと、そろそろ、七絵ちゃんが来るよ、という時間の、アラームです」


空気を読まないアラームの説明をすると、和宏さんは。


「あ、そっか、そうだね。うん、俺、キッチンの最終確認と、飲み物の用意始めてくるよ。あ、花子ちゃん、悪いけど、お店の片付けが一段落したら、二階に行って、母さんのお手伝いお願いしていいかな?」

「はい。えっと、何のお手伝いですか?」

「あー、今日の夕食は、母さんが用意するって言ってたから、それを運んでもらえたら助かる。俺が行こうか?って言ったんだけど、花子ちゃんが良いって母さんが……ごめんね」

「いえ、大丈夫です。じゃあ、ここ片付けて、後、軽く確認したら、二階に行ってきますね」


まだ抱きしめられた腕の感覚や、温もりが残る……ままでは、二階に上がれないので、ちょっと店内を見回って、そして、和宏さんが見えないところで、私は。


「はあ……びっくりした」


両手で頬を包み、さっきの事を思い出し、また熱を帯びる頬を感じて、……まだまだ二階に行けそうにない自分に困ってしまった。



「ねえ、お父さん」


太陽さんの写真の前で、私は一足先にお酒を開けていた。


「和宏も、31歳よ。あなたが31の時に生まれたあの子がね……。まだまだ独身なのかと思ったけど、良い人が見つかったみたいよ?」


そう呟くと、写真の中の太陽さんは、笑っているように見えた。

手元のグラスを、太陽さんのそれと重ねて、チンと音を立てて、くぴっと一口。


「あなたと一緒に、今日を迎えたかったけれど……でもね、今年は、和宏の大切な人が一緒に居てくれるんですよ。花子さんっていうの。とってもかわいくて、優しくて、よく気が利いて、和宏にはもったいないくらい」


『康子さんは、僕にはもったいない女性だよ?本当に僕で良いの?』


そういえば太陽さんも、そんなことを言ってたわね。あなたが何と言おうと、私があなたを選んだのよって返したんだっけ。照れて真っ赤になった太陽さんも、かわいかったわ。

和宏は、……あなたより私に似たのかしら?あまり表情に出なくて、何を考えているのか分かりにくいけど、花子さんとは上手くやってるみたいだし、あまりちょっかい出さないように七絵からも言われてるし、ほんと、親って、こういう時は何もできないのね。


「そろそろかしら?今日はね、お店で、和宏のお誕生日会をするの。花子さんも来てくれて、七絵も、アリスの佑太くんと来てくれるって。ね、太陽さん。あなたの残したお店で、私達、笑って過ごしてるのよ。だからね、ごめんなさいね。……もう少し、私がそっちに行くの、待っててね」


『そんなに急いでくることないよ。そういえば、君は昔からのんびりが苦手だったね。僕は大丈夫だから、そっちでみんなのことよろしく頼むよ』


……ああ、お酒が回ってきたのかしら。そんな太陽さんの声が聞こえてきそう。

そうね。まだまだ、あの子たちのこと、見守ってなきゃね。私もやりたいことはたくさんあるし。花子さんが、このまま和宏と……。


ピンポーン。


あら。噂をすれば何とやら。

はいはい、ちょっと待っててね。手にしていたグラスを、最後に軽く太陽さんに掲げて、行ってくるわねと言い残して、玄関に向かった。


「はいはーい。花子さん、わざわざありがとう。もう、お店の方は大丈夫?」

「はい。一通り確認と、簡単にお掃除してきました。今は、和宏さんが飲み物の用意をしてくれています」

「そう、じゃあ、お料理も運んじゃいましょうか。危ないから少しずつでいいからね」

「分かりました。何から運びましょうか?」

「えっとね……」


ねえ、太陽さん。

花子さん、かわいいでしょ?ふふ。和宏と一緒になっても、お母さんなんて呼ばせないんだからね。


『ふふ。それでこそ、君らしいね。僕はのんびりこっちで皆のこと見守って待っているよ』



「え、私達が最後なの?ごめんねー、花ちゃん。準備全部任せちゃって」

「ううん、大丈夫よ。えっと、それより……」

「あ、えっとね、こっちはケーキ屋アリスの店長で、私の上司!佑太さんです」


二階からお料理を運び終わる頃、ケーキ屋アリスの制服を着た七絵ちゃんと、男性がお店にやってきた。


「初めまして、えっと、花子さんですよね。ケーキ屋アリスの梶原佑太と言います。いつも七絵ちゃんと、和宏さんからお話を伺っています。これから、こちらにケーキや焼き菓子を届けることもありますので、今日はご挨拶を兼ねて……よろしくお願いいたします」

「あ、山本花子です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


アリスの佑太さん。よく和宏さんや、七絵ちゃんから聞くお名前だ。


「あのね、花ちゃん。佑太さんはね、お兄ちゃんの後輩にあたる2つ下でね、佑太さんの妹の、ほら、こないだ結婚した麻奈美ちゃんは私の1つ上でね、うちの兄妹と昔からよく遊んでたんだよ」

「そうなんだね。あ、佑太さん、妹さんのご結婚おめでとうございます」

「あー、ありがとうございます。ごめんなさいね、初対面なのに気を遣ってもらって」

「あ、いえ、そんなことは……」

「お!佑太来たのか」


奥から和宏さんの声がした。


「和さん、お邪魔してます。あ、これ、うちの店からの改装祝いです」

「お、ありがとな。じゃあ、後で飾らせてもらうよ」

「お兄ちゃん、これは、今日のデザートにどうぞ」

「なんだ、七絵もその制服か」

「なによー、似合わない?」

「ん?いや、やっぱり七絵は、エプロンよりそっちが似合うなと思ってさ」

「えへへ、そうでしょそうでしょ。自分でもあんまり馴染むのでびっくりしちゃったよ」


わいわいと賑やかな三人の輪から少し抜けて、佑太さんから頂いた観葉植物をカウンターに置き、七絵ちゃんが持ってきてくれたケーキをキッチンの冷蔵庫に入れ……ようとして。


「あ、このチーズケーキ」


箱の中身を確認するため少し開けたら、喫茶店 太陽で見慣れたチーズケーキに、少しだけ手が加えられたものが見えた。


「あ、花ちゃん、それね、お兄ちゃんのレシピをアレンジしてもらって、私が作ったの。花ちゃんも後で一緒に食べようね」

「うん。楽しみにしてるね」


お喋りしてたかと思った七絵ちゃんから声がかかり、少しびっくりしながら返事をした。冷蔵庫に入れて……明日からは、あの新しいショーケースに七絵ちゃんや、佑太さんが作ったケーキが並ぶのかと思うと、胸がわくわくする。


アリスの制服……パティシエらしい白い上下の服を着た七絵ちゃんは、いつもの雰囲気とは違って、すごく『大人』だった。どちらかというと、かわいい雰囲気の七絵ちゃんなのに、仕事モードに切り替わる感じ。だからといって厳しいとか怖いとかじゃなくて、うーん。まだ見慣れない七絵ちゃん制服姿に、私は少し戸惑っていた。



「和さん、なんか、最近、ちょっと雰囲気変わりました?」

「ん?なんだ佑太。突然だな」

「あ、いや、ほら、ちゃんと笑ってるというか、明るくなったというか」

「なんだそれ」

「もう、お兄ちゃん。佑太さんはね、お兄ちゃんのこと、心配してたんだよ。あのね、佑太さん。お兄ちゃんには、もう支えてくれる人がいるから大丈夫なんですって」

「なるほど、それでなんですね」

「おいおい。お前たちなぁ……まあ、でも心配かけて悪かったよ。もう大丈夫だからさ、お前たちはアリスの方頑張れよ」

「そうですね。こっちも、麻奈美が抜けた分、七絵ちゃんが来てくれたので助かっていますよ」

「そうそう。お兄ちゃんは、自分のお店と、花ちゃんのことだけ考えてればいいの」

「七絵、お前なぁ……」

「別にいいじゃない。ね、佑太さん。これからも長いお付き合いになるでしょうし、花ちゃんのこと、佑太さんもよろしくね」

「そうだね。うちのお得意様の大切な人だからね」

「あのなぁ……佑太まで……。まあ、否定はしなけどさ、まったく」


「あら、佑太くん、お久しぶり。七絵もいらっしゃい」



声がしてみんなの視線を集めたのは、猫のハナちゃんを抱いた、康子さんだった。


「ほら、もう準備できたんでしょ。いつまでも立ってないで、そろそろ席についちゃいなさい」


そう言って、ハナちゃんをそっと床に下ろすと、お料理の乗ったテーブルへとみんなを促した。うん、せっかくのお料理、早く食べないとね。

お喋りしている三人の様子に、どうしたものかと思っていたら、二階から降りてきた康子さんが空気を読んでくれた。本当、凄いなぁ。


お店にあるテーブルとソファー席は4人掛けなので、じゃあ私が……と、椅子を持ってこようとすると。


「いいのいいの、私は食べたら二階に戻るから、これに座らせて?花子さんは、ほら、今日の主役の一人なんだし、和宏の横にいてあげてね」


なんて言われてしまった。主役の一人って……そう思っていたのが顔に出たのか、くすくすと笑うような声で康子さんは続ける。


「今日はお店の改装祝いなんだから、ここでメインで頑張ってくれる花子さんは、立派な主役よ?」

「は、はい。頑張ります」

「ふふ。そう固くならないで大丈夫。佑太くんも、ほとんど身内みたいなものだから。はいはい、じゃあ、座っててね」


あんまりここで押し問答しても負けるだけ、と、さすがの私も分かってきたので、ここは康子さんの申し出に甘えることにした。

ということで、ソファーの奥に和宏さん、その横に私。向かい側にはアリスの二人。そして、テーブルの横に椅子を加えて康子さんが座り、五人でお店の改装祝いが始まった。



「……では、今回を機に、改めて『喫茶店 太陽』を盛り上げていこうと思います。かんぱーい!」

「かんぱーい」


和宏さんの挨拶で始まった食事会。

先代の太陽さんから引き継いだお店が、今回の改装で『和宏さんらしい』お店になったんだそうで、私にはその違いが分からないけど、他のみんなはと一緒に、嬉しそうな和宏さんの横顔を眺めていた。


「これで太陽さんのお店から、やっと和宏のお店になったわね」

「ああ、父さんの動きと、俺の動きはどうしても少し違うからさ、ちょっと変えただけで随分動きやすくなったよ。自分の店だからできる我儘だんだけどね。他所じゃ、自分がそこに馴染むしかないから」

「そうそう。うちやアリスみたいに、家族経営の小さなお店は、代が変わったら、ちょっとくらいいじっても大丈夫だと思うよ。お客様の居心地と味が変わらない程度ならね」

「そうだね、和さんは、太陽さんより背が高いから、いろいろと使える範囲も増えるし、逆に低いカウンター下なんかの低い場所は、入りにくいでしょ」

「そう、そうなんだよ。佑太分かってくれるか?やっぱり身長とか体格の差って、結構大きいんだなって、改装した後のキッチンでしみじみ思ったよ」

「そうね、太陽さんと和宏では20センチは違うもの。そうそう、たぶん、花子さんと太陽さんは同じくらいの背なのよ」

「そっか、花ちゃんと並ぶ時の安心感は、お父さんと似てる身長だからかも。目線がほとんど変わらないんだよね。うちは、お母さんの方が背が高いから……」

「まあ、俺は身長は母さんに似たのか高くなっちゃって、七絵は家族で一番小さいもんな」

「今度からは花ちゃんもいるからいいんだもん」


お店のことを話していたのに、いつの間にかわいわいと、いつもの賑やかさが戻ってきた。それにしても、これだけお喋りしつつ、食べるスピードはほとんど変わらないの、皆さん凄いなぁ。私は、先日のポテサラを見つけて、もぐもぐと味わいつつ、この雰囲気を楽しんでいた。


それにね。

私の横には、康子さん用と、もう一つ椅子を運んできてて、そこに置いたカゴの中で寛ぐハナちゃんの様子も見られるから、会話に入れず寂しいなんてことは全くないの。


尻尾をゆらゆらとさせながら、時々こちらをちらりと見ては、マイペースに寛ぐハナちゃん。お店のお客様も、こうしてここで寛いで、そして美味しいお料理やコーヒーを楽しんでもらいたいな……。


そう思ったことに、実は、ちょっと自分でもびっくりはしてる。

二月にここに来て、まだ三か月。今は四カ月目の五月、連休が終わった、少しゆっくりとした空気が流れる頃。

この短期間で、私は初めての場所で、一人でスタートさせた生活が、こんな賑やかな声と、名前を呼んでくれる複数の声と、そして。


「花子ちゃん、そろそろケーキ出す?みんな食べるの早くてさ……。俺も飲み物入れるから、一緒に用意しようか」


山本花子、26歳。人生初めての独り暮らしで、仕事と、友人と恋人と、それから占い……トートタロットと出会いました。

以前の私は、流されるままの人生だったけど、今は……。


「はい!」


ちゃんと自分の気持ちも意思もあるんだもん。

この街で、大切な人と、大切な仲間との時間を、もっと楽しむんだから。

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