28杯目
休憩しよっか、と店長と二人きりでコーヒーを飲む時間。
1時間くらいしたら行くからね、と七絵ちゃんからメールも入ってたし、康子さんも、それくらいの時間になったら二階から降りてくるということで。
二人きり……。
チャンスだよね、うん。今を逃すと難しいよね、よし。
「あの、和宏さん」
「ん?」
テーブルの向かい側で、コーヒーの香りを楽しんでた和宏さんに声をかける。
えっと、えっと、と、もじもじしちゃうけど、頑張れ私!
「えっと、……今日、お誕生日なんですよね。おめでとうございます」
「あ、ありがとう。よく知ってたね。あれ?話してたっけ?」
「あ、七絵ちゃんに教えてもらいました……」
「そっかそっか。俺も31だよ。30歳ちょうどの時は、ああ、ついに!って感じだったけど、超えると何にも思わないな……花子ちゃんは、えっと26歳だっけ?誕生日は……」
「あ、私は10月です。まだ先ですね」
「そっか、バイトをお願いする時に書いてもらったのに忘れててごめん」
「あ、そんな。気にしないでください。……えっと、あの、お誕生日なので……」
このまま話の流れで渡せそうになる前に、私は鞄から用意したプレゼントを出して、和宏さんに渡すことにした。
「あの、お誕生日おめでとうございます。これ、良かったら使ってください」
「お、ありがとう。気を遣ってもらってなんかごめんね……開けてもいい?」
「はい」
どきどき。目の前で開けて、中身を見た和宏さんの様子は……。
「お。てぬぐいだ。へー、こんなお洒落な柄があるんだね。これからの季節暑くなるから使うね。えっと、こっちはなんだろ、キーホルダー……と、これは……?」
「えっと、それは……私のアパートのスペアキー……です」
「花子ちゃんの家の鍵……を俺に?」
「はい」
「……」
あああ。もしかして迷惑だったかな?沈黙が辛い。
下に向けていた視線を、和宏さんに向けると。
耳だけでなく、顔まで真っ赤な和宏さんが目の前にいた。
「……あの。えっと、その……えーっと、俺にこんな大事な物を渡してもいいの?」
「はい。和宏さんに……私の大事な人に持っていてもらいたくて」
「そっか、大事な人……。うん、花子ちゃん」
「はい」
「ありがとう。俺、これで勝手に花子ちゃんの部屋に入るとかしないけどさ、それでも、それを許せる相手として見てくれることが、凄く嬉しいよ」
「はい。和宏さんのこと、信じてますから」
「あー。うん、分かった。その信頼を壊すようなことはしないと約束するよ」
「ありがとうございます」
手のひらに鍵を乗せたまま、テーブルの上にぐいっと腕を伸ばしてきたので、そっと、その上に私の手を重ねた。
「俺さ、今までもらった誕生日プレゼントの中で、今日のこれが一番嬉しいよ。絶対忘れない」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
「この先も、ずっと……忘れない」
そう言って、重ねた私の手ごと、鍵をそっと握りしめてくれた。
「よし。花子ちゃんの誕生日も、俺すっごいの何か用意するよ」
「え?」
「俺の、今日のこの感動を超えさせてみせる!」
「ええ?」
「期待しててね。俺の大事な花子ちゃん」
えええええ!
ぼんっと音が鳴りそうな勢いで、私の顔……ううん、全身が熱くなっちゃった。
とりあえず。
お誕生日プレゼント、喜んでもらえて良かった。これで今日は安心して過ごせるね。
後は、誰も来ない内に、この熱を何とかしない……え?和宏さんが、いつの間にかソファーの私の横に座っていた。
そして、私の髪を手に取り、そっと自分の指に巻き付けて。
「今日さ、花子ちゃんが、いつもよりかわいいなって……えっと、久しぶりに会ったからかと思ったけど、もしかして何かいつもと違うかな?そんな雰囲気だから、俺、何だかちょっと浮かれてたんだ……それなのに、まさか誕生日までお祝いしてもらえると思ってなくて……で、このプレゼント。……花子ちゃん」
はい、と返事をしようとして、出来なかった。
和宏さんの熱で閉じられた私の唇と、至近距離にいる和宏さんからは、さっき飲んだ同じコーヒーの香りがした。
「最高のプレゼント、ありがとう」
耳元で聞こえた声と、唇に残った感触と、元野球少年のたくましい腕に包まれた感覚に、私はただただ、ますます顔を赤くするだけしかできなくて。
それでも、ちょっとだけ、私の手を伸ばして、和宏さんの大きな背中に触れてみた。ぴくり、と反応した後、ぎゅぅっと抱きしめられる腕に力が込められて。
ああ。私の方が絶対忘れない。そんな、初めての恋人の、初めての誕生日。
このまま時間が止まればいいのに……。
ブブブブ。
アラームの音が、時間を動かした。
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