27杯目
カランカラン。
改装しても表の雰囲気は変わらないなと思いつつ、久しぶりにお店のドアを開ける。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様。ごめんね、今日までお休みのはずなのに」
「いえ、私も店内の様子確認したかったし、大丈夫です」
そっか、と笑って、店内の奥へと招き入れてくれた和宏さん。
お店の改装が終わった日の午後、私は明日から始まる営業の前に、自分の持ち場などを確認すべくお店に足を運んだ。
一見すると、そんなに変わっていないけど、よく見ると……。いつもの雰囲気とちょっと違う?あ、工事独特の匂いがしていたり、いつも漂っているコーヒーの匂いが無いからかも。
「じゃあ、さっそく説明するね。あ、荷物は適当にその辺に置いてて」
「はい。よろしくお願いします」
和宏さんに案内されて店内を見るのは、これで二回目。
ここでバイトを始めるという時と、今日。……たった数か月で、随分と『私』が変わったなぁ。前回は、まだコートが必要な寒い時季だったのに、今はもう半袖でもいいかな?と思う初夏。念のため、と羽織ってきたカーディガンも店内だと暑いくらい。
「えっと、まずはキッチンかな」
そう言いながら歩いていく和宏さんの背中を追いかけて、私もキッチンへと足を運ぶ。
「ここは、俺が使う調理の部分を少し変えたのと、全体のクリーニングをしてもらったんだ。で、レイアウトが少し変わって、カウンターのここにレジを置いて、レジのあった場所にアリスのケーキを並べるショーケースを置いてみたけど、どうかな?」
「アリスさんのケーキを、今度からは常時置くようになるんですね」
「そうそう。前は、うちの誰かが何かしら作ってたけど、スイーツに関しては、アリスから卸してもらうことにしたんだ。だから店ではホットケーキとか、アイスをドリンクに入れてフロートにするくらいかな?」
「和宏さんのチーズケーキ、好きだったのに残念です」
ちらり、と横にいる和宏さんの顔を見ながら言うと、ちょっと耳を赤くしながら答えてくれた。
「あ、ありがと。……んー。あれは、まあ、アリスにレシピを渡したというか、七絵に伝授したから、アリスで買えるようになったよ」
「そうなんですね。確か、以前勤めていたレストランのレシピだから、内緒なのかと……」
「あ、さすがに、レストランそのままじゃない味にしたから。少しアレンジしたものにしたよ」
「なるほど」
「まあ、花子ちゃんが食べたくなったら、こっそり作るから言ってね」
う。そんな甘い笑顔で甘い言葉を言われたら……きっと今の私は、耳どころか、顔全部が真っ赤なんだろうな。……あっつい。カーディガン脱いでてよかった。
「えっと……このカウンターの上にレジがあるってことは、ここはお客様は座れなくなったんですね」
話を変えよう。
お店の扉を開けて、左手にキッチンと、それが見えるカウンターがあって、ちょっとだけL字になっているカウンターには2席分の、レジからすぐの席があったんだけど。
「あ、その席ね。お客さんが座るには、ちょっと狭いし、結局何かしらの荷物を置いてることが多かったからさ。じゃあいっか、って椅子を外したんだ」
「なるほど。確かに、ここ、あまり人が座ってる記憶無いです。あ、ハナちゃんがたまにいるから、それを独り占めする時くらい?」
「ふふ。そういう楽しみ方もあったんだ。まあ、ハナには悪いけど、そこはお店のスペースにして、窓辺に幾つか、ハナが好きそうな物を置いたから、そっちで寛いでもらうよ」
そう聞いて、店内の、入って右側の客席スペースには、お店を壁に沿って大きな出窓があって、そこに植木鉢とハナちゃんの寝床らしき物がいくつかあった。
その中にいるハナちゃんを想像すると……か、かわいい!それを眺めながらコーヒーを飲めるなんて!
「私もあの席に座りたい……」
ぷっと噴き出す音が聞こえて振り返ると、震えながら笑う和宏さんが。
「あの、……もしかして口に出してました?」
うんうん、と笑いながら答えてくれるけど、そんなに笑わなくてもいいでしょ……もう。
「まあ、お客さんがいない時にあそこで休憩するといいよ」
「……はーい。えっと、ここは何になったんですか?」
よし、こういう時は話題を変えよう。
カウンターの席があったスペースは、何か見慣れない棚がついていた。
「あ、ここはね、レジ周りの備品とか、まぁ、物置のようなものかな」
「ほんとだ、レジ周りがすっきりしてますね」
「うん。そういえば、レジの交換も、ほら、最近はタブレットで何でもできちゃうけど、なんとなく、このお店には昔ながらのこれがいいかなって、そのままにしたんだけど……」
「あ、私もこの方が慣れていますし、お店の雰囲気にも合ってるから好きですよ」
「そう言ってもらうと安心したよ。まぁ、だいぶ古いから、壊れるまでは頑張ってもらって、修理も無理になったら交換かな」
「はい」
会計をしてボタンを押すと、お金の引き出しが出てくる昔ながらのレジ。この何とも言えない『間』も、喫茶店の隠し味になっている気がする。新しいお洒落なのは、有名チェーン店に任せたらいいんだし。
改装時の埃避けを外しながら、ついついレジを撫でてしまう。まだまだ頑張ってね、と伝わるといいな。
「まあ、キッチンとレジ周辺はこんな感じかな?明日の開店前に、アリスからケーキが届くから、今夜のうちにショーケースには電源入れておくことと、ケーキセットで出せますよっていう案内が欲しいかな……まあ、これは後で作ろうか。じゃあ、えっと後は客席側は……」
レジ周辺から離れて、客席の方へ移動。あ、もしかして。
「あの、ここの本棚、本が……というか、本棚も増えました?」
「うん。お店の改装時に、二階の自宅の掃除もしててさ、それぞれが読まなくなった本をお店にも並べたんだ。まあ、漫画とか幾つかは俺のもあるんだけど。あー、これとかそう。ちょっと古いけど、人気の漫画なんだよ」
そういって見せてくれたのは、私でも知っている野球の漫画だった。あ、和宏さん、学生時代は野球部だったんだっけ。
「青春の思い出、ですね」
「あ、そうだね。今も野球は好きだけど、さすがにあの頃みたいに毎日そればかりも出来ないしさ。それなら、ここで読んでもらって、大人の人には懐かしがったり、今の若い子に楽しんでもらえたらと思って」
「そうですね、そうやって、皆さんが楽しんでくれるといいですね」
「ここにある本、花子ちゃんも気になるのがあったら、借りていっていいからね。お客様には店内でしか読めないけど、花子ちゃんはうちの身内だから特別ね」
身内って、お店のスタッフとしてのことなんだろうけど、どきっとしちゃった。だってそれ、普通は……。
「あ、身内っていうか……その……まあ、花子ちゃんなら何でもいいんだよ。えっと、じゃあね、次は……」
独り言みたいに呟きながら、お店の奥のテーブル席へと移動する和宏さん。
気まずいような甘ったるいようなこの雰囲気。いつもは何だかんだ七絵ちゃんがいてツッコミしてくれるからそうでもないけど、なんかこう、えっと……。
「今回、母さんのリクエストで入れたのが、これ」
これ、と和宏さんが手にしてるのは、……壁?
「これね、こうやって……」
あ、動いた。そっか、これ。
「なるほど、パーテーションですね。でも、何で喫茶店にパーテーション?」
「あー、俺もそれ何で?って聞いたら、占いとか、ちょっと人に聞かれたくない時とかに使えるでしょって。うちの店は、ほとんどが近所の常連さんだけどさ、まぁ、時々、面接や商談するお客様もいて、もし気になるなら……という場合にだけ使えるようにしたかったんだって。だから、一応、俺か母さんの許可が出てから使ってね」
「そうなんですね。私、気にしたこと無かったな」
「俺も。まあ、昔はそうでも良かったんだろうけど、最近はさ、いろいろと気にする人もいるかもって。それに、置くだけで使わなくても、いざという時に安心でしょだって。あ、そうそう、この区切れるのは、ここのテーブル席だけだから。あと、外から見えにくいように、窓辺もここだけステンドグラス風のシート貼ってみたよ」
「ほんとだ。綺麗ですね。前からこうだったかな?ってさっき思っちゃいました」
「窓ガラスごと変えなくても、こんな風にできるなんて凄いよな。でも、仕上がったら俺もあんまり馴染んでるから、あれって思ったよ」
「気が付くのは常連さんくらいかもしれないですね」
「そうだね。まあ、あの人たちは、あまりここを使わないから分かんないかもしれないけど。……と、こんな感じかな?後は、そうそう。トイレも綺麗にしたんだよ、さすがに父さんがお店を建てた時のまんまだったからね。まあ、ここは後で見ててくれるかな」
「はい。あ、じゃあ、後でお店の中、簡単に掃除しておきますね」
業者の方が掃除をして帰られたと思うけど、最終確認も含めて、やっぱり自分の目で見ておきたいし、一通り動いてみて、身体も慣らしておきたいから、お休みとはいえエプロン持ってきて良かった。
「じゃあ、悪いけどお願いするね。俺も、キッチンの片付けや、仕込みなんかしてくるから……1時間くらいしたらコーヒー淹れて休憩にするから、それまで頑張ろっか」
「はい!」
ということで、それぞれ分かれて店内で作業を始めた。
まずは、気になるトイレから……。
あ、凄い。雰囲気が全然違う!洋式なのは変わりないけど、白さが増したというか、明るくなったのね。小物は……あ、これも交換したんだ。昔の物の味わい深さも良いけど、新しい物が良いと思ったら交換する。和宏さんの考えかな?
小窓を開けて、新品の封を切って軽く掃除をしたら、全体を見まわして。
「うん、居心地良くなったね」
これは私の持論なんだけど、お店とか商業施設とか、トイレが綺麗なところは良いお店が多いと思う。設備的に古くて狭くて、というのは、なかなか改善できなくても、清潔感や小物のセンスなどがあるだけで、印象はかなり違うもの。
掃除の仕上げに、店内の鉢植えで育ったオリヅルランを少しだけハサミで切って、小さな花瓶に入れて、トイレの中に置いた。改装工事の前は、お花屋さんで買ったお花を入れてたけど、まあしばらくは、これでいいかな。小さいけど緑があるだけで、空間が華やかになる。うん、この感じ、好き。
さて。ロッカーから掃除道具を出して、お店の中を軽く拭きながらあちこち確認していく。ソファーや棚を拭いて、鉢植えにも水をあげて、それからモップを出して床も拭いて……。箒と雑巾を持って外回りも確認しつつ、軽く掃除。そろそろ、春のお花も終わりかな?次は何を植えようかな……。
そうやっていつもの掃除をしていると、カランカランとドアが開いて、和宏さんが、そろそろ休憩にしようって声をかけてくれた。
「はーい。今行きますね」
その様子を、お店の斜め向かいにあるケーキ屋さんから見つめる顔が。
「……七絵ちゃん、あれ、和宏さんだよね?」
「はい。お付き合いし始めたデレデレなお兄ちゃんと、ますます可愛くなった花ちゃんです」
「ぷっ。お兄ちゃんへの言葉厳しくない?」
「いいんですよ。妹からの反応なんて、そんなもんです」
「まあね、麻奈美もそんな感じだったなぁ」
「そうでしたね。まあ、会話があるってことは、仲が悪い訳じゃないんですよ。どんな距離感でいればいいのか、妹も結構考えてるってことですから」
「なるほど。さすが七絵ちゃん」
「もう。ほら、うちにもお客様いらっしゃいますよ。しっかりしてくださいね、佑太さん……じゃなかった、店長」
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