26杯目

ブブブブ。

スマホのアラームが鳴った。そろそろハナちゃんのお迎えの時間だ。


だけと……鳴り続けるアラームを止めることだけで、動けなかった。

七絵ちゃんの手紙に、止まっと思っていた涙が溢れてきたから。やだなぁ、この街に来て、涙もろくなったのかな、私。


派遣の仕事を辞めることになった時も、生まれてからずっと過ごした部屋を出て一人暮らしを始めた時も、まぁいっかと思うだけで、涙なんて出なかったのに。


うー。

止まらない涙と鼻水を、ティッシュで拭いていたら、和宏さんの胸で泣いた夜を思い出してしまった。ほんと、私、どうしちゃったんだろう。ずびっと鼻水をすすり上げる姿は、好きな人には……って、もう見られてしまったし……ううう。


「にゃぁ」


ぽん、と私の膝にハナちゃんの前足が乗った。そっか、アラームで起きちゃったのかな?そろそろ動いたら?と言ってるみたいな、ハナちゃんの気遣い凄い。さっきまでは気配感じないくらい大人しかったのにね。


さて、そろそろ用事を済ませた七絵ちゃんが戻ってくる頃かな?

私は広げたままの机の上を片付けて、キッチンでお湯を沸かすことにした。

あ。

勉強、進んでなかった……。



「ふんふん。そっかそっか」

「なんだか七絵ちゃんには恥ずかしいとこばかり見せてる気がする……」

「それはお互い様ってことで」


お湯が沸いて、私の涙も引いた頃、七絵ちゃんは疲れた顔して私の部屋にやってきた。これどうぞ、と、お菓子のお土産付きで。


「まぁ、感情が揺れるのは、悪いことじゃないのよ。特に、大人になってからやっと泣けたって人は、小さい頃から知らず知らずのうちに我慢していたり、無意識に感情を出さないようにしていたってこともあるし。えっと、浄化っていうか、なんていったらいいんだろ、自分に素直になれたってことだよ」


私の入れたコーヒーを飲みつつ、七絵ちゃんが語ってくれた言葉は、すとんと私の胸に届いた。


「そっか。自分に素直、か。うん」

「ふふ。心当たりでもあった、って顔してるよ」


思わず頬に手を当ててしまう。そんなに私、分かりやすいかなぁ?


「まあ、私もね、いろいろあったから言えるけど、一時期はちょっと精神的に辛くて……あ、手紙つけてたの、分かった?」

「うん。ありがとう。読んだよ」

「うん。……なんだろうね、私、あんまり自分のこと話すの好きじゃないんだけど……花ちゃんには話したくなったんだ」

「そう思ってもらえるの、嬉しいな。……私も、七絵ちゃんのこと、大好きだよ」

「私もー!」

「きゃー」


そうやって、私達がいちゃいちゃとしている側で、今日はハナちゃんが呆れたように尻尾を揺らしていた。


「あ、そろそろ帰らなきゃ。ハナ、おいでー」


やっと終わったの?と、ゆっくり七絵ちゃんのところに歩いてきたハナちゃんは、七絵ちゃんの腕の中に抱かれながら、私の顔を見て「にゃあ」と一声鳴いた。


「ふふ。心配してくれるのかな、ありがとね。ハナちゃん」

「じゃあ、そろそろ行くね……あ、そうだ。お兄ちゃんかお母さんからの連絡、花ちゃんにも来てる?」


カゴに入れたハナちゃんと、諸々の荷物を玄関に置いて、靴を履こうとした七絵ちゃんが思い出したように振り返った。


「あ、来てたよ。えっとね、和宏さんからで、お店の工事は、明後日のの午前中には終わるだろうから、午後には店内の確認がてら片付けのお手伝いお願いします。って」

「うん。私にも来てた。あ、その日の夜は、お店でご飯作るから、お昼だけ済ませたら、そのままお店に来てね」

「うん。じゃあ、明日は丸一日私はお休みだね」

「あ、それとね……あの、もしかしたら、もう用意してるのかもしれないけど……」

「え?」

「あの、お兄ちゃん、その日が誕生日なんだ。だから、私はケーキ作って持っていって、お店でお祝いしようかなって……」

「え……そんな。私、何も用意、してない」

「あ……やっぱり聞いてなかったかぁ。」


明後日って、もう今日は夕方だし、明後日は午後からお店で会うし、え?え?明日しかプレゼント用意する時間が無い?そんなぁ……。


「あ……なんか、ごめん。やっぱり言わないでおいた方が……」


私は七絵ちゃんの手をがしっと握りしめた。


「七絵ちゃん」

「は、はい」

「教えてくれてありがとう!」


そして、真剣な目をして、七絵ちゃんを見つめた。


「プレゼント選び手伝って!」

「え、は、はい!」


私の気力に負けた七絵ちゃんは、玄関で靴を履くことなく、また私の部屋に戻るのでした。



「うーん……」

「あの、そんなに悩まなくても、花ちゃんに貰えるのならお兄ちゃん何でも嬉しいと思うよ?」


あれから1時間。

とりあえず、どんなものがいいか目星だけでもつけたいなと思って、PCで見ているんだけど、だけどね……料理するからアクセサリーは危ないし、ネクタイなどの小物も使わないし、なんだろ、『彼にプレゼント』と検索して出てくるような、それでいて大げさすぎないものって、難しい。


「ねえ、七絵ちゃん。和宏さんって、お休みの日は何してるの?」

「お休み……最近は、寝てるか、ハナちゃんと遊ぶか、後は溜まったもの片付けたりかな?学生時代は野球部だったから、休みはほとんどそっち。趣味っていう趣味も、前はスポーツで、今は料理かなぁ?」

「そうなんだ。料理……エプロン……はお店のがあるもんね。うーん」

「そうだね。あ、二人でデートして、何か……って、またしばらくは忙しいだろうから、難しいか」

「うん……せっかくなら、お誕生日に渡したいなと思ってるんだ」


うーん。彼氏にプレゼントという人生初めての行動は、とんでもなくハードルが高かった。この先、ずっと一緒にお誕生日を過ごして『そういえば初めてのプレゼントは……』と記憶に恥ずかしくないものがいいな、なんて私の乙女な気持ちがつい頑張って、なかなか選べない。


「うーん。こういう時はさ」

「うん」

「カードに聞いてみる?」

「あ、そうだね。えっと、私が引くんだよね?」

「もちろん。花ちゃんがお兄ちゃんに渡すんだもん。せっかく自分でカード持ってるなら、その方が結果も出やすいよ」

「うう。ちゃんと読めるかなぁ」

「まぁ、難しかったら私もサポートするから。ささ、カード出して出して」


七絵ちゃんに促されて、さっき片付けたトートタロットを机に出す。

うーん。どんな質問で聞いたらいいんだろう?


「ねね、七絵ちゃん。こういう時って、どんな質問がいいんだろう?」

「自由に、でもいいし、それが難しいなら、そうだね……誰が誰に、という登場人物と、取りたい行動があるじゃない?今回は、花ちゃんがお兄ちゃんに、お誕生日のプレゼントを渡したいということね」

「うん」

「その場合は、花ちゃんが渡すものは、どんな物が喜んでくれるかな?という花ちゃん目線の場合と、お兄ちゃんは花ちゃんから何が欲しいかというお兄ちゃん目線の場合かな。似てるようだけど、喜んでくれる物と、欲しいと思う物が違う場合もあるから……今回は、時間も無いし、欲しがっている物より喜んでもらえる場合で占ってみる?」

「そうする!ありがと、さすが七絵ちゃん」

「ふふ。占うのは花ちゃんだからね、頑張って」


そして、カードを手にした私は再び止まった。


「……えっと。何枚引きしたらいいかな?」

「うーん。何枚でもいいけど……と言われても困ってるんだよね……そうだな……。よし。じゃあ、シャッフルまでしたら、ちょっとそこで止まってくれるかな?」

「はーい」


七絵ちゃんに見守られながら、私はカードをシャッフルして組み換えして、そして一つにまとめなおした。


「はい。ここからは?」

「えっと、片手にカードを全部持って、そう、そのまま絵を下にした状態で机のできるだけ端……うん、その辺りで大丈夫。そこから、カードをすべらせるように手を動かしてカードを広げていくの……そうそう、なるべく重なりが少なくなるように、肘から先の動きだけで……うん、上手上手」


七絵ちゃんに誘導してもらって、机の上にカードが曲線を描くように広げたけど、これ……なんだかかっこいいね。


「はい、できたね。うん、きれいきれい。えっと、じゃあね、右手でカードを一枚引いてもらうんだけど」

「うん」

「その時に、さっきの『私が何を送ったら喜んでもらえますか?』ということを、強くイメージしてみて」

「うん。やってみるね」


机の上のカードを見て、一度目を閉じて深呼吸して。

(和宏さんにお誕生日のプレゼントを私から贈りたいです。何が喜んでもらえますか?)

そう心で呟いて、目を開け、最初に気になったカードを一枚選んでみた。


「それにする?」

「うん」

「じゃあ、そのまま取って……あ、上下が変わらないように横から裏返してみて」


くるり。

七絵ちゃんに教えてもらったように、カードを裏返すと、そこにあったのは。


逆さになった、カップの2のカード。


「カップの2,逆位置。まあ、トートタロットは、そこまで逆位置を読むことは無いけど、そうだね……。花ちゃん、最近、お兄ちゃんと二人だけの何かあった?」

「え、二人だけの……」

「あー、えっと言わなくていいから」

「あ、うん……」


あの夜を思い出して、顔が赤くなりだした私に焦って七絵ちゃんが声をかける。


「その時のことで、何か使ったとか、あったら良かったなとか、その時のことを思い出せるような物が、喜んでくれる物ということだよ」

「えーっと……、あ」


あ……と、思いついたはいいけど、それはさすがに……えっと……。


「あの、七絵ちゃん。あのね」

「何か思いついた?」

「あ、あのね、これに決めた訳じゃないけど、その、こんな物、渡して迷惑じゃないかな?と思う物、思いついたんだけど……」

「ん-。それは私が判断することじゃないかな。じゃあね、それを受け取ったお兄ちゃんの反応を想像してみて?」

「反応……」


プレゼントとして包装したそれを、和宏さんに渡すと……。


「ちょ、ちょっと花ちゃん、真っ赤だよ?大丈夫?」

「あ、えっと、うん。だ、大丈夫。ちょっと恥ずかしくなっただけ……」

「恥ずかしい……ということは、花ちゃん。自分にリボンつけてプレゼント……?」

「ち、ちがうから!ちゃんとした物だよ!」

「えー、別に二人とも大人だし、そんな恥ずかしがらなくても……」

「うう……」


お、大人なのは年齢だけで、こっちは彼氏居ない歴26年なんだもん。

そんな刺激の強いことなんて、免疫ありません!


「まあまあ。花ちゃんがそんなに真っ赤になるほどなら、お兄ちゃんもきっと喜ぶよ。……あ、でも、渡すのは二人きり……特にお母さん居ない時にね。そんな顔を見せたら、また揶揄われちゃうよ?」

「うん……そうする」


耳が真っ赤なままの私に見送られ、予定より2時間ほど遅れてハナちゃんは、くすくす笑う七絵ちゃんに連れられて帰っていった。


「さて……と」


明日は、プレゼントの用意をしに出掛けなきゃ。

駅前……じゃ難しいかな?ちょっと駅幾つか行ったら大きな商業施設確かあったよね。調べて見なきゃ。


『それ』だけじゃ、ちょっと恥ずかしいから、他にもちょっとした物も探してみよう。うん、これでプレゼントは大丈夫。明日買い物して、そして……あ、そうだ。ついでに美容院も行こうかな?せっかく出かけるんだもんね。



「ふふ。花ちゃん、かわいかったなぁ」

「にゃあ」


徒歩数分の自分の部屋に戻った私は、思い出し笑いをしてた。

カップの2って、カードの説明も『love』なくらい、ほんと、今のあの二人にぴったりなカードだよね。お兄ちゃんと何があったんだろ……って聞くのも野暮だけど、まぁ、付き合い始めた恋人同士の初々しさを、こんな間近で見られるとは。学生時代以来かも。



「それにしても、カップの2って……これからの花ちゃん楽しみだな」


『love』そして、愛と美の女神『金星』のマークと、家族や仲間を大切に守る『蟹座』のマークが入った、トートタロットのカップの2のカード。


『愛しくて家族のような存在で、あなたのことを愛しています』

そうストレートに読むこともあるし、今回の質問の場合は

『あなたのために美しくなるわ』

とも読めるかな。恋する女性は綺麗になるっていうし、花ちゃん、今のままでも十分綺麗で可愛らしくて……それがもっと美しくなったら、他の人も黙ってないんじゃない?お兄ちゃん、しっかり花ちゃん捕まえておかないと……。


「ね、ハナちゃん」

「にゃぁーん」



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