22杯目
「それにしてもさ、まさかここに七絵が住むとは思わなかったよ」
「あれ、和宏さん。このアパートご存じだったんですか?」
「ああ、ここね、ほら、こないだ結婚したアリスの麻奈美ちゃんが一人暮らししてたんだよ」
「そうそう。結婚してここ離れるからって、家具も麻奈美ちゃんがいらないのは私がそのまま貰って住むことにしたんだ」
「あ、そうなんですね。でも、七絵ちゃんは初めての一人暮らしだし、自分の好みにあれこれ揃えたかったんじゃないの?」
何とか気持ちを落ち着かせてお弁当を食べつつ、私達はのんびりお喋りをしていた。いつもお店ではゆっくり3人で話すこともないから、何だか新鮮だなぁ。
「まぁ、理想はそうだんだけどさ。実際、現実には……ね。でもでも、絶対譲れないものにだけは、お金をかけたんだよ!」
「あ、それで、この冷蔵庫?」
「そう!」
引っ越しに合わせて届けてもらった冷蔵庫は、どう見ても、私が使っている一人暮らしタイプの倍はある。その横には、作業台と、これも大家族用の大きなオーブンレンジ。
「だって、自分であれこれお菓子作る時、やっぱり材料揃えておきたいし、ホールケーキ冷やす場所も欲しかったし、少なくて困るより、たっぷりある方が楽しめそうでしょ?」
きらきらと目を輝かせて語る七絵ちゃん。
そうだよねぇ、バイトのお陰で、自炊することが減った私でも、一人暮らし用の冷蔵庫は小さいと感じるもの。実家での大きな冷蔵庫に慣れていたというのもあるけど、安売りのあれこれ見かけても買って帰れないのは辛い。
卵と、バターと牛乳と、チーズと、ハムかベーコン、それから……って常備しているものだけで、ほぼ埋まってしまう冷蔵庫では、お菓子作りなんて無理だもの。
うんうん、と頷く私の手を、ぎゅっと握って満面の笑みを浮かべる七絵ちゃん。
「花ちゃんなら分かってくれると思った!嬉しい!」
「ふふ。食べるのとか、作るの好きな人にとっては、冷蔵庫大事よね……一人暮らしして、初めて気が付いたけどね」
「そうなのそうなの!でもね、麻奈美ちゃんは、あんまり興味が無くてね、まぁ、だからこそ、飲食ではない職業の人と結婚したんだろうけど。あ、一応一人暮らしする程度には料理は作っていたから、出来ないって訳じゃないのよ」
「ああ。麻奈美ちゃんは、お菓子には興味が無かったけど、別に料理は必要ならするって感じだったなぁ。佑太も、アリスのおじさんおばさんも、ずっと甘い匂いのする家にいても平気だけど、麻奈美ちゃんはなぁ……」
「そうよねぇ。あ、あのね、花ちゃん。アリスもうちと同じでお店の上に家があるんだけど、お店のキッチンでお菓子やケーキ焼いているから、ずっとお菓子の匂いがしてるのよ。うちは軽食やコーヒーの匂いだから、そこまで気にならないけど、麻奈美ちゃんはいっつも『うちが甘すぎる』って愚痴をこぼしてたから……私は、うちの匂いもアリスの匂いも好きだけど、こればかりは人それぞれだからねぇ……」
なんだか二人して麻奈美さんのことを語りだしたかと思うと、一生懸命擁護して……ふふ。仲がいいんだなぁ、ちょっと羨ましいかも。
「二人とも、アリスの皆さんと仲良しなんですね」
「あ、そうかも。というかね、うちの商店街って、割とみんな仲良しなんだよ?特に子供たちは、近い年齢の子同士で男女問わず遊んでたり、大きくなると自分のお店のお手伝いしてたから、仲間意識も強かったし」
「そうだな。あとは、学校も大体みんな同じだし、アリスはたまたま二人とも、俺たちと年が近くて、兄妹同士だったからというのもあるけどさ、喫茶店とケーキ屋だろ?親同士も仕事仲間だから、他のご近所さんよりは仲が良いかも」
「なるほど」
「俺が一番年上で、佑太が2歳下。で、七絵が一番年下で、麻奈美ちゃんが、その1歳上。だから、七絵はみんなの末の妹みたいな感じでさ」
「あ、分かります。七絵ちゃん、妹キャラですもんね」
「え、そう?私、しっかりしてると思ったんだけど」
「あー、しっかりはしてるけどさ、なんていうか、天真爛漫というかさ、あれこれ考えすぎないところとか?」
「えー、何それ。私だって、ちゃんと考えてますよーだ。ね、花ちゃん」
「そうねぇ。七絵ちゃんの妹キャラはね、甘え上手さんかな?」
「んー?そんなに甘えてるかなぁ?」
「あ、あのね、甘えるって別に悪いことじゃないのよ?なんていうんだろう、人を信じてるし、受け入れてもらうことも、寄りかかることも怖がらないというか、愛情たっぷりさんというか……」
「ああ、それ分かるな。七絵は人との壁が薄いというか無いもんな。かといって失礼な感じはないし。それって接客業では凄い特技なんだよなぁ」
「そうですよね。愛されキャラですもんね……」
年上二人がしみじみと七絵ちゃんのキャラについて語っていると、だんだんと七絵ちゃんの耳が赤くなってきた。
「もうー。はい、休憩終わりー!あとはお掃除と片付けだけだから、もうお兄ちゃんはいいから帰って帰って」
「はいはい。じゃあ、俺は先に失礼するよ。夜はまた家に食べに来るんだろ?」
「うん。お母さんにもよろしくね」
「わかったよ。じゃあ、花子ちゃん、お休みの日に悪いけど、七絵のことよろしくお願いしますね。あ、そうそう。せっかくなんで、夜は七絵と一緒に食べに来てください」
「あ、でも、私……」
「いいのいいの。お母さんも、花ちゃんが来てくれる方が嬉しいからさ。ね?」
「でも、ご家族みんなで食べる最後なんでしょ……?私がお邪魔しても……」
「あー、そういう雰囲気にしないためにも、花ちゃんには来てもらいたいの。家から10分も離れていないとこなんて、いつでも会える距離なんだから、嫁入りするかのような寂しさなんて、私求めてないんだってば」
「まぁ、うちは母さんがさっぱりしてるから、そんな感傷的な雰囲気にはならないから安心して」
そう言って、お弁当の入っていた箱を持って、和宏さんは帰っていった。
ん。何だか、結婚前提として外堀埋められている気が……。
「あれ、そういえば、七絵ちゃんのお引越しに、和宏さんはお手伝いしないんですね」
「ああ、お兄ちゃんとお母さんは、今、家の中を片付けてるんだ。私の部屋が無くなって、後……お父さんの部屋も、この機会にって、やっと片付ける気持ちになったみたい」
「そうね……何かきっかけが無いと、難しいよね」
「うん。といっても、お父さんは普段から片付け得意な人だったからさ、そんなに残された方に負担は無いんだよ……さて、じゃあ、私達も残り片付けちゃいますか。花ちゃん、もう少しよろしくね」
「うん、頑張ろうね」
黙々と段ボールから荷物を取り出して部屋に置いたり、細かいところを掃除したり、としている内に良い時間になってきた。
それにしても、荷物の半分が調理関係という感じで、さすが七絵ちゃん。お店で見るような道具や、一人暮らしのサイズではない道具など、私の部屋にない物が多くて、ついつい気になっちゃう。若い子だから、服や雑誌なんかのお洒落関係ばかりかな?と思っていたけど、ちゃんと目標を持って人生を歩んでいる人は違うなぁ……。
「あ。そうだそうだ、花ちゃんに渡すものがあったんだ」
「ん?なになに?」
別々で作業していると、ふと思い出したように、七絵ちゃんが声を上げた。
「えっとねぇ、あ、これこれ。私はもう大丈夫だから、良かったらこれで勉強してみて」
使い込まれたファイルと、ノート数冊を手渡された。
表紙に書いてある文字を見て、びっくりした。だって、これって……。
「え?だってこれ、トートタロットのノート……七絵ちゃん、もう占いしないの?」
「ううん、まだ占いは続けるよ。それはね、私がトートタロットを買ってから自分でまとめた資料やノートなの。もう覚えたから、それは花ちゃんにあげるんだ」
「覚えたって……この量を?」
「うん。自分とか、友達とか、お店のお客様にもトートタロット占いして、少しずつ頭や体に染み込ませたから、もう大丈夫」
「はー、凄いねぇ」
「ん-。私、勉強するの好きだし、トートタロットも好きだし……何より、何もしない時間があると、ついいろいろ考えちゃうから、勉強していた方が気が楽だったんだ」
「そっかぁ。うーんと、じゃあ、これ、しばらく借りて勉強させてもらうね。私も勉強して、もっと自信持ってカードに向き合えるようになるね」
「うーん、じゃあ、貸しってことにして……あ!じゃあ、ついでといってはあれなんだけど、お願いしていい?」
「えっと、私で出来ることなら?」
「もちろん出来る出来る!大丈夫!」
うーん……この展開は……。
「あ。えっと、じゃあ、話を聞く前に、トートタロットを引いてもいい?」
「どうぞどうぞー!じゃ、ちょっと机の上片付けるね」
七絵ちゃんが片付けている間に、私は鞄からトートタロットを取り出した。
「あ、自分の持ってきたんだね。さすが花ちゃん」
「うん、最近は、出かける時、なんとなく持っていくようにしてるんだ。出先で引きたい時にやってみようかなって思って」
「そうだね。そうやって気分に合わせて練習するのも、上達するコツかも。はい、じゃあ机片付いたからどうぞ」
「ありがとう」
綺麗にしてもらった机の前に座り、手の中にトートタロットを包んで占う事柄をイメージする。
――私が、七絵ちゃんからのお願いを引き受けたらどんな未来に繋がりますか?
机の上に置いたら、ぐるぐると両手を使って全体を混ぜていく。そして集めて一つにしたら、分けて重ねて……。
「じゃあ、並べるね」
「うん」
机の上にカードを三枚並べていく。
「ほうほう。面白い結果になったね」
「うん。過去が5番の高等司祭、現在が6番の恋人、そして、近い未来が1番魔術師……えっと、私、78枚全部のカード使ったよね?」
手の中の厚みで分かるんだけど、思わず裏返して確認してしまった。
うん、他のカードもちゃんとある。
「見事に……アテュカードばっかり、だね」
「だね……花ちゃん、質問は何にしたんだっけ?」
「えっとね、さっきの七絵ちゃんのお願いを引き受けたら、どんな未来になるかなって」
「なるほど」
うんうん、と真剣な顔して、机の上を見る七絵ちゃん。う、緊張するなぁ。
「とりあえずさ、花ちゃんは、どんな風にこれを読んだ?」
「えっとね、まず、過去は……、七絵ちゃんのお願い事は、代々受け継がれたような、家族で大切にしているようなことかな?で、それを、聞いた今は、そのお願い事をきっかけにして、いろんな人との交流が増えていく感じ。七絵ちゃんや、ご家族の皆さんが大切にしていることを私に預けてくれて、それを大切に引き継ぎますよという流れでもあるみたい」
「お、凄い。私が読んだのと、ほとんど同じだよ!花ちゃん、勉強頑張ってるんだねー」
「ありがとう。七絵ちゃんにそう言ってもらうと安心するなあ」
「よし、じゃあ、その次。未来は?」
「うん。未来は、魔術師。大切なものを私が今度はさらに動かしていく……情報発信とか、実際に足を使って動くとかかな?」
「うんうん!ばっちりだね」
「はー、緊張した。分かる人に見てもらうのって、テストの採点してもらうみたいな気分になるね」
「ふふふ。テストなら、そうだね80点は取れるよ」
「お、思ったより高得点だ。やったね」
「自分で占うだけなら100点でもいいかも。これを誰か他の人に伝えるなら、もう少し言葉を選んだり、文章の流れを考えるんだけど……まあ、今回はそれは置いといて。えっとね、私がお願いしたいことはね」
「うん」
「花ちゃんにね、お店の広報担当をお願いしたいんだ」
「え?」
「あ、広報って言っても、SNSの担当と、たまに季節限定のメニューのお知らせを作ってもらうくらいで、そんなに堅苦しいものじゃないからさ」
「えっと、それって、これまでは……七絵ちゃんがしてたの?」
「うん。まあ、そんなに毎日更新することは無かったけど、問い合わせもたまにあるから、チェックだけは毎日してたかな?ほら、学生さんとか、それをチェックしてお店に来てくれる子もいて、私がアリスの方に行ったらどうしようかなって思ったんだよね。それもあって、花ちゃんがお店に残ってくれることは、私の心配を全部解消してくれることになって……ほんと、ありがとうね」
七絵ちゃん、普段は本当に妹キャラなのに、こういう仕事モードに入ると雰囲気が変わるの凄いなぁ。年下と思えないくらい、しっかりしてるし、私以上にいろいろな経験してきたんだろうな。
「そんな……私は、七絵ちゃんや和宏さんや、お店やこの街に助けてもらったことを少しでも恩返しできればって思ってるだけだから、そんなお礼を言われるようなことは……」
「花ちゃん」
「はい」
「私は、花ちゃんがどんな理由でも、花ちゃんが決めて、この街に来てくれて、私達と出会ってくれて、そしてお店に関わって助けてくれることに感謝をしてるんだ。だから、そこは素直に感謝を受け取ってくれると嬉しいな」
「う、うん。ごめんなさい」
「ううん、謝ることじゃないの。花ちゃんの、その謙虚なところも私好きだよ。でもさ、誰かの感謝の気持ちを遠慮しすぎると、お互いに対等な関係で居づらくなるんだよ。謝ることは大事だけど、本当にお詫びする時にだけ使えばいいんだよ?」
「お詫び……」
「なんてね、偉そうに言っちゃったけど、私もお母さんやお兄ちゃんから言われて、やっとゴメンナサイの口癖が無くなったばっかりなんだ。特にお客様に対して謝ってばっかりだと、表情が固くなるし気持ちよく動けなくなるからって。そうだね、うちのお店だと、お客様に飲み物溢した時なんかはお詫びするよ?」
「それは……もちろん」
「うん、でも、花ちゃんのさっきのはさ、お客様にお料理や飲み物を褒めてもらったのに、いえいえそんな……ってことだからさ。そういう時には笑顔でありがとうございます!でいいんだよ」
「なるほど……」
ぱちん。
「はい、という訳で、接客業の心得もお伝えしましたし、ついでに引継ぎしちゃうね」
胸の前で手を叩いて、笑顔でそう言う七絵ちゃん……七絵先輩とお呼びした方がいいかな?
「はい、よろしくお願いします。七絵先輩」
「え?」
くっきり二重の大きな目を、もっと大きくして私を見る七絵ちゃん。こんな表情はやっぱり妹キャラかなぁ。ふふ……え、ちょっと!
「もー、花ちゃんってばー」
く、くすぐったい!やめてー、脇腹くすぐらないでー!
「……あのさ。また何やってるんだ?」
すっかり日が暮れて夕日が差し込む七絵ちゃんの部屋の玄関に、呆れた顔の和宏さんの姿があった。
うう。恥ずかしい……。
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