21杯目

「ふう。こんなもんかな?」

「お疲れ様、はい。冷たいお茶どうぞ」

「わ。ありがとうー。花ちゃん、さっすがー!」


近くの自動販売機で買ってきた『冷たいお茶』は、今の私達の喉と心を癒してくれた。だって、今、ここは。


「それにしても、冷蔵庫って、置いてすぐに使えないんだね。知らなかったよ……」

「そうよね、私も自分が引っ越ししなければ知らなかったもの」

「ふふ。花ちゃんがいてくれて助かったー。引っ越しの先輩だね」

「まだ1回しか引っ越ししたことないから先輩と言えるかどうか……」

「えへへ。あー、なんか、私、ちょっとテンション高いかも!本当に一人暮らしさせてもらえると思わなかったもん」


ここは、七絵ちゃんの引っ越し先。

お店の二階の実家にいた七絵ちゃんは、今回の就職を機に、一人暮らしをすることになったそうで、それも……。


「それもこれも、花ちゃんのお陰だよ」


と彼女が事あるたびに口にするほど、私の存在が影響しているらしい。

私がこの街に来たこと、喫茶店 太陽で働くようになったこと、そして。


「お兄ちゃんの側で見守らなくても大丈夫、って分かったから私も安心して兄離れできるからね」


……七絵ちゃんと和宏さん、どちらが面倒を見ていたのかは突っ込まないけど、突然お父様を亡くし、仕事を変えて実家を継いだ和宏さんや、一人でお店と家の事をするお母さんを支えなきゃと、七絵ちゃんなりに責任を感じていたみたい。責任というか、気配りというか、彼女の明るさが遺されたお二人にとっての『太陽』だったんだろうなと、今なら分かる。


ふぅ、と一息つきつつ、窓辺の床に座って、冷たいお茶を飲みながらまったりと過ごす私達。


「それにしても、……愚者かぁ」

「ん?どうしたの?」

「あ、あのね。あの日、ほら、お店でみんなでご飯食べて、お母さんに占ってもらったでしょ?」

「うん」

「その時ね、私のこれからに愚者のカードが出てたの」

「そうなんだ」

「うん。愚者、何も考えていない能天気な明るいカードだけど、始まりの意味も強くてね」

「うん」

「今、こうして新しい生活を始めるのも、あ、これ愚者だ!って、思っちゃった。……ふふ、こんな風にタロットの話が出来るのって、いいね」

「まだまだ私は勉強中だけどね。でも、分かるよ。愚者。私が初めてお店に行った時に、七絵ちゃんに占ってもらった時も出たから、すごく覚えてる『今この時を楽しみましょう』だったかな?おかげで緊張が抜けたんだよ」

「あー。……あの時は、ドタバタと失礼しました」


ぺこり。

座ったままで頭を下げてくる七絵ちゃんを宥めつつ、あの頃を思い返す。


「私の時は、愚者……フールのカードがトートタロットだったから、あの『にやり』としたフールの表情が印象的だったなぁ。細かいことなんか気にすんな!って言ってるみたいでね、初めて見た時にはびっくりしたけど、今は逆に出ると嬉しくなっちゃう」

「あ、分かる。トートのフールって、お母さんのタロットより生々しいもんねー。人間らしいというか、こっちの心を見透かしているというか。まぁ、実際、最強のカードだしね」

「うんうん。それが出てたってことは、今のこの新生活のスタートは幸先良しってことなんだよ」

「こうして優しいお姉さんもお手伝いに来てくれたからね。へへ。花ちゃんお姉さん」

「えー。まあ、確かに年上だからお姉さんだけどさぁ」

「いやいや、我が兄をよろしくお願いしますよ、お姉様」


ぶっ。


「ちょ、やだ、もう……タオルタオル……。もう、世話の焼けるお姉さんだなぁ」


……飲んでいる時にそんな事を言う七絵ちゃんが悪い。

ごほごほと、咳き込む私は、自分のエプロンからハンカチを取り出して口元を拭く。そんな私を見て、ほっとしたような顔をする七絵ちゃん。

どっちがお姉さんなんだか。


「あのね。私達、お付き合いすることにはなったけど、まだ結婚するわけじゃないからお姉さんって言うのは……」

「え。でも、結婚してもいいかな?とは思ってるんでしょ?」

「う……それは、まぁ、そういう風になればいいなとは思っているけど……」

「ふふふ。私、花ちゃんがお姉さんになってくれたら嬉しいな」


うっ。この笑顔の破壊力。


「わ、私も、七絵ちゃんが妹になったら、嬉しい、よ?」


どさっ。


「私も嬉しいよー!」

「きゃっ」


座っている私に飛び込んでくる七絵ちゃん。

ペットボトルは蓋を閉めてて良かった……。そう思っていました。


「……あのさ、何してるんだ?」


開けっ放しの玄関から、お昼ご飯を運んできてくれた和宏さんの呆れた顔を見るまでは。



「えっと、その……」

「いいよ、どうせまた、七絵が何か迷惑かけたんでしょ」

「えー、お兄ちゃんひどーい」


なぜそうなったか、の理由は……本人を前にさすがに言えないけれど、和宏さんの口調が、前よりも少し砕けた感じになっているのが嬉しい。

つい、口元が緩んじゃう。


「……えっと、とりあえず、せっかくのお昼、頂きますね」

「あ、ああ。どうぞどうぞ」


お店がお休みなのに、七絵ちゃんの引っ越し作業を朝から手伝って、お昼を作ってくるよと一旦家に戻って、届けてくれた和宏さん。

いいお兄ちゃんだよね。


「わーい。いっただきまーす。……あれ?二人ともどうしたの?私、先に取っちゃうよ?」

「あ、うん、七絵ちゃんからどうぞ。夜までまだまだ作業はあるんだから、しっかり食べてね」

「そうだぞ、花子ちゃんにお手伝いしてもらえるのも今日だけなんだからな」

「うー。二人ともプレッシャーかけないでよ……。よーし、じゃあ、私はこれにする!」


賑やかに、お昼のお弁当を食べる私達。色とりどりのおにぎりに、ケチャップ味のミートボール。甘めの卵焼き。なんだか、運動会みたいだなぁって思ってお弁当を見て、ふと顔を上げると、和宏さんと目が合った。


「花子ちゃんも好きなのどうぞ。俺のお勧めは、この枝豆とチーズかな」

「あ、じゃあ、それ頂きます」

「……新婚夫婦の家庭に遊びに来たみたいだね、私」

「ん?七絵、なんか言ったか?」

「べーつーにー。ね、花ちゃん」


しっかりと七絵ちゃんの言葉が聞き取れてしまった私は、そっと耳を赤くしながら、おにぎりを食べることに専念した。

うん。枝豆とチーズのおにぎり美味しい……これ、自分でも作ってみようかな。


七絵ちゃんの、にやにや視線は気にしないことにした。

まったく……あれ?和宏さん?


「あの……私の顔、何かついてますか?」

「あ、いや何も……あー、その……花子ちゃん、いつも美味しそうに食べてくれるから嬉しいなって思って」


ええっと……。

こんな時、どんな顔をしたらいいの?


ちょっと笑ってないで、何か言ってよ七絵ちゃん!





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