11杯目

ピピッピピッピピッ


電子音が聞こえてきて、意識が戻る。

時計を見ると7時。


ソファーで少し横になったつもりだったのに、もう朝か。


まだぼんやりする頭を振り、両手を上げてゆっくりと伸びをする。


「さて、と。」


パジャマにすら着替えてない昨日の自分を、まあ仕方ないかと諦めて、ジャージへと手を伸ばす。もう何年も続けてきた、朝のジョギングだけは、どんなに忙しくても欠かさない……親父が倒れた時くらいはさすがに休んだけれど。


手早く着替え、水分補給をし、そっと玄関を出る。


ジョギング、といっても商店街の周囲を軽く20分ほど流したら、終わり。もっと走りたい気持ちを抑えて、帰宅した。シャワーを浴びる頃には、猫のハナも起きてきて、朝ごはんの催促を始めた。


「おはよう、ハナ。」


コトリ、と餌を入れた皿を置いてやると、顔を突っ込んで食べ始めた。元気そうで何よりだ。


ハナのご飯を出した後は、洗濯を回しながら、人間の朝ごはんの支度と、お昼の用意をする。最近はゆっくりお昼を作るどころか食べる時間も取りにくいので、サンドイッチかおにぎりをお弁当にしているのだ。


ごはんの用意して、七絵を起こして、……また夜更かししていたのか、ぼんやりと生欠伸しながら食卓につくと、やっと目が覚めたらしく、今度は騒がしいくらいによく喋る。


「ねえねえ、花子さんって、接客の仕事したことあるって言ってたよね。じゃあ、今日レジまで教えちゃってもいいよね?あ、あと、朝の掃除もしてもらうんだっけ?あれ、どうだったけ?」


「後で説明するから、とりあえず食べてしまえ。片付けられない。」


「はーいはい。もう、お兄ちゃん、じゃなく、お父さんみたいだよねー、ハナちゃん。」


「俺がお父さんなら、お前は赤ちゃんか?まったく朝から元気なやつだ。」


えへへー、と喜んでいるのかどうか分からない顔をしながら、七絵は朝ごはんを食べてしまって、ハナに構い始める。


「じゃあ、わたし、先に降りてるから、後はお兄ちゃんお願いね。」


朝の家事の残りを俺に任せ、七絵はスマホをチェックして、一階の店へと降りていく。いつもなら、俺が開店の準備をして、七絵が家事担当なんだが、今日は特別だ。


「ああ。俺も後から行くから、花子さんによろしく伝えてくれ。」



喫茶店 太陽は、11時から19時までの営業だ。仕込みやら開店準備やらで、店長でもある俺は9時頃には店に行くのが常だった。そこから閉店後の片付けなんかで20時を過ぎてやっと、店を閉める。その間、ほとんど俺一人で店を回しているけれど、時々、七絵が厨房以外の手伝いに入ってくれる。


それが、今日からは。


「はーい。ハナちゃーん、いくよー。」


にゃーん、と返事をしながら、七絵とハナが部屋を出ていく。2階の住居部分から外階段を降りたら、喫茶店 太陽の厨房裏口に着く。つまり、住居兼店舗なので、通勤時間はほぼ無いに等しい。この生活が続けられるのも、通勤の負担が無いからなんだろうな……ふと、昔のレストラン勤務時代の通勤電車を懐かしく思い出す……もう、あの生活には戻りたくないけどね。


「さて、と。」


花子さんが来る前に少しお店の片付けしておくね、と今日は1日喫茶店仕事の七絵に任せ、朝ごはんの片付けに手を動かす。


「こういう細かいことは、女同士の方がいいからね。わたしに任せて!」


と、初日の指導を張り切って引き受けてくれたから、それに甘えることにした。明日からは、七絵もまた忙しくなるから、俺が教えられることは、まだこれからでいい。これでも一通り店を回してきたから、俺が最初から指導でも良かったんだけどなぁ……まぁ、七絵も、花子さんとの時間を欲しかったんだろう。やけに気に入ってたからな。


洗い物が終わるタイミングで洗濯のブザーが聞こえ、俺は洗面所へ向かう。


……七絵のことを笑えないな。


鏡に映った俺の顔は、七絵と同じように頬が緩んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る