5杯目

「……えっと、ここでお仕事、ですか?」


突然の話に頭がついていかない。

美味しいご飯と美味しいコーヒーと、

可愛い看板猫と、

可愛い妹さんと、優しそうなお兄さん、

のお店。


どちらかといえば気に入っている。


だけど、……だけどね。


「あの……私、まだ、ここに2回しか来ていないのに、どうして、お仕事のお誘いを……?」


「あ、あの、驚かせてしまったらすみません。えっと、今、うちの店、人手が足りなくて、募集をかけようかと考えているところだったんですが、その……。」


「たまたま、無職の客が来たから声をかけた、と?」


「あ、たまたまはそうなんですけど、別に誰でも声をかけてた訳じゃなくって、……」


……沈黙が重い。


「えーっと……。」


「あ、花子さん?良かった!また来て下さったんですね。」


七絵ちゃんの声に、私が言いかけた言葉が霧散する。そんな私の顔を見て七絵ちゃんは言う。


「……あの、何かあったんですか?もしかして、お兄ちゃん?!何か変なこと言ったんじゃないでしょうね?!」


私達を交互に見ながら、ちょっとずつ声が大きくなる彼女に店長が答える。


「……別に変なことなんか言ってないって。それよりお前ちょっと声が大きいぞ。……すみません、騒がしくて。」


最後の言葉は店内に向けて、だった。

先程の七絵ちゃんのお客さんは、もう帰っていたし、猫のハナちゃんを撫でながらコーヒーを飲む女性や、本を読みながら過ごす男性は、店長にちらりと微笑みで応えていた。


きっと、この兄妹喧嘩も、いつものことなんだろうな。なんとなく、そう思う。


お気に入りの喫茶店のいつもの席で、いつもの注文。何度となく繰り返されたような日々を垣間見るような気がして、この街の新入りでもある私は、ちょっとだけ寂しくなった。


私は。

……前の仕事を辞めてから、次にどんな仕事をしようと考えていたんだろう。


とにかく稼ぐ?

親に自慢できる仕事?


違う。

そんなんじゃない。


『ワンドのエースは、やる気。新しいことを始めそう。』


やる気。

仕事に対しての気持ち。


もし、この喫茶店で働くとしたら……。


深呼吸して、自分の気持ちに向き合ってみる。

私は……このお店と料理が好きだ。

そして、お店の人も。


「あの、私……。」


まだ何か言い合っていた二人が、同時に私の方を見た。


「私、ここで働いてもいいんですか?」


「花子さん……いいんですか?」


「あ、もちろん、勤務内容にもよるんですけど、……私でよければ。」


「ちょっと、お兄ちゃん。何にも言わないで働かないか?って声かけたの?もう、本当に……ごめんなさいね、花子さん。話聞いてダメだとしても、絶対またお店に来て下さいね?……ね?」


「ありがとう七絵ちゃん。ちゃんとまた来るからね。じゃあ、えーっと、店長さん。」


「あ、はい。えーっと、そうですね……今日の営業終わってから、少しお話というのでいかがでしょう?それまで、奥の席でゆっくりしててください。あ、七絵。」


「ん?」


「花子さんに、あの手紙渡したから、今度こそちゃんと最後まで終わらせなさい。今日はまだ時間あるんだろう?」


『ごめんなさい!』を連発しそうだったので、私は七絵ちゃんを連れて、奥の席へと移動した。


「……もう謝らなくても大丈夫だから、ね。あのカード、また見せてもらってもいいかな?」


いつまでも謝られても、何だか私が居心地が悪い。気持ちを切り替えるためにも、手紙の内容を説明してもらうことにした。


「えっと、これと、これと、これ、でしたね。」


テーブルに、あの時の3枚が並べられた。

その横に、七絵ちゃんが、残りのカードをまとめた物を置く。


「このカード、トート・タロットは、私の人生のパートナーのようなカードなんですよ。」


愛しそうにカードに触れて、七絵ちゃんが呟く。


「それなのに、あの日は……花子さんにもトート・タロットにも失礼なことをしてしまって……。」


「でも、こうしてきちんと謝って、やり直してくれるんでしょ?大丈夫よ。」


店長さんから理由を聞いてなければ、確かに失礼だな、慌ただしいな、と思ったままかもしれないけれど、もう聞いてしまったし、終わったことだ。


「ありがとうございます。花子さん、優しいんですね。私、あの後、お兄さんに物凄く怒られました。」


「うん。私はお詫びのお手紙もらったもの。それでもう終わり、ね。それより、トート・タロットのこと、もっと教えてほしいなと思ったんだけど。」


『トート・タロット』


あれから少し調べてみたけれど、よく分からなかった。本屋さんには、いろんな占いのカードが置いてあったけれど、トート・タロットは見当たらなかった。


「あ、はい。この3枚のカードについては、お手紙にも書かせてもらったのですが、過去と現在については、多分、もう花子さんも理解されていると思います。」


私は頷いた。


「最後の1枚、ワンドのエース。これは、燃え盛る炎、松明などを表した絵で、エース、つまり1番というのは、始まりを意味します。」


ワンドのエースについて、七絵ちゃんの説明を聞いて、手紙の文字だけでは物足りなかった感覚が埋められていく気がする。


「火はエネルギーや、やる気、その始まりなので、これから何か新しく始まる事を表します。……仕事運を見ていたので、そのまま、新しい仕事が始まる、ということですね。」


と、ここまで『占い師』の顔で話していた七絵ちゃんが、素の表情に戻ってきた。


「あー、だからといって、いきなり花子さんを誘うなんて、お兄ちゃんってばー。本当に何考えてんのー。」


「それは後から説明するって言っただろう。」


横から声が聞こえたかと思うと、店長さんが側にいた。


「七絵、そろそろ時間じゃないのか?……あ、花子さん、これ良かったら待っている間にどうぞ。」


カチャリとチーズケーキとコーヒーを持ってきてくれた。


「あ、ありがとうございます。」


「あと1時間ほどで終わると思いますので、……すみません。」


店長さんが話している間に、七絵ちゃんはテーブルの上のトート・タロットを片付けていた。そして、席を立つと、


「失礼します。」


と律儀にお辞儀して、お店を出ていった。


さて、待ち時間に何をしよう。


とりあえず、スマホを取り出すと、チーズケーキとコーヒーの写真を取り、Twitterへ呟いた。


『近所にチーズケーキが美味しい喫茶店を見つけました。看板猫もいて、とっても癒されます。』

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