4杯目

引っ越しの荷ほどきと、段ボール回収も終わり、電気、ガス、水道、ネットと生活基盤も整ったので、私は重い腰をあげて出掛けることにした。


手続き関連。


区役所へ転入届け、その他諸々……あぁ、面倒くさい。大人になって、こうした事をするのは初めてかもしれない。実家のありがたみをしみじみと感じながら、駅前へと向かう。


区役所行きのバスに乗り、手続きを済ませたら、ついでに近くにあるハローワークも行ってみる。確か、書類を出してくださいって、何かもらったんだよね。


受付して、窓口に行って……。


雇用保険、何のために払っているのかを、ようやく理解しました。つまり、失業中の生活保険……次の仕事が見つかるまでお金が貰えるんだ、と、私は初めて知りましたよ。凄いね、なんだか大人の世界を見た気がする!って、もう十分、26歳は大人だよね……。


窓口で「え??」と思わず声に出したら、担当の人に苦笑いされて恥ずかしかった……。


うう。


あーあ、疲れた。

体力的にもあちこち待ち時間ばかりで疲れたけれど、精神的に、かなりのダメージ。ああ、こんな日は、美味しい物食べてゆっくり休もう。


駅まで戻り、周辺散策へと行く予定を諦めて、私の足は商店街へと向かった。


カランカラン。


「いらっしゃいませ」


この街での、私のお気に入り第1号のお店に来た。ここに来れば必ず美味しい物が食べられる、私のお腹のセンサーがそう言っている、気がする。


「おしぼりをどうぞ……あれ、えーっと、この前来て下さった方ですよね。あの、妹がご迷惑をおかけした……。」


まだ一回しか来ていないのに、店長さん、覚えててくれたらしい。まあ、何だか印象的だったもんね。


「あ、はい。あ、でも、ご迷惑だなんてそんな……私も美味しいチーズケーキご馳走になりましたし。」


「ふふ。そう言ってもらえると、料理人として嬉しいですね。……今日もケーキセットにします?それとも軽食ですか?」


「あ、じゃあサンドイッチを……えぇっと、ミックスサンドとホットカフェオレをお願いします。」


「ありがとうございます。少々お待ちくださいね……あ、そうだ。」


店長さんが、私の顔を見て思い出したかのように声をかけてくる。


「これ、妹から預かっています。花子さんが来たら渡してほしいって。あと、占い途中で投げ出してすみませんでした、って言ってました。……本当に、失礼な妹ですみません。」


「いえいえ、私も気にしてませんから。」


そんなに何度も謝られても、私も居心地が悪い。店長さんから手紙のような物を受けとると表に『花子さんへ』と書かれてあった。


かさり。

封筒の中に入っていたのは、可愛い便箋に書かれた『ごめんなさい!!』という言葉の嵐と、占いについての説明だった。


『花子さんの仕事運は』


『何か大きな力によって、突然の退職になってしまったけれど、それは必要な転機でしょう。』

『今は色々環境が変わって悩むこともあると思いますが、考えすぎないで楽しむこと!楽しみの先に、新しい変化があるかも。』


これまでの2枚についてのメッセージが書いてあった。そして、最後の1枚は。


『やる気、エネルギーが高まっています。何か新しいことを始めそう。』


新しいこと、かぁ。

七絵ちゃんが書いてくれたメッセージを、もう一度全部読むと、退職したことで、うじうじ悩まなくても何とかなりそうな気がしてきた。


封筒の中に手紙を戻そうとして、まだ中に何かあることに気がついた。

封筒を逆さにして取り出すと、名刺サイズのカードに、虹と太陽のイラストが描かれていて、


『喫茶店 太陽では、不定期に占いを行っています。興味のある方は、こちらまで。』


と、七絵ちゃんの物らしいメールアドレスが書いてあった。

へぇ、お店でも占いしてるんだ……と、先日の七絵ちゃんの姿を思い出す。趣味で、って言ってたけど、ちゃんと占い師さんなんだな……。


「はい、お待たせしました。」


コトリ、と店長さんがミックスサンドとカフェオレを置いてくれた。


「あ、ありがとうございます。」


「あいつ、あの後、ちゃんと占いの結果を伝えられなかったって言って、凄く落ち込んでいたんで、よければまた、声をかけてやってください。なんだか、花子さんのこと、気に入ったみたいですよ。」


はは、と笑いながら言われると何だか照れる。いや、店長さんのお気に入りって訳じゃないってわかってるんだけど。


「そういえば、あの時、七絵ちゃん、何か急用でもあったんですか?大事な物ほったらかしにして飛び出ていくなんて。」


「あー、えーっと……、あいつ、夜間コースで製菓学校に通ってるんですけど、あの日は卒業に向けての課題の日で……いつもなら、昼のバイトから、そのまま学校に行くのを、……緊張してたみたいで、どうしてもハナ……あ、うちの猫の顔を見たくて戻ってきたらしいんです。」


あー、それで、突然のハナちゃん呼びかぁ。

でも、自分がそんな時に私の心配までしてくれて時間が無くなったんだよね……。


「そんな大事な日に、私のこと占ってくれてたなんて、なんかその……。」


「いやいやいや、あれは七絵が勝手にやったことなので気にしないでください。あいつ、悩んでいる人を見ると、いつも、ああなんです。本当に、それより自分の心配してろって、俺は言うんですけどね。」


うん、店長さんがお兄ちゃんとしてそう思うのは、なんとなく分かる。多分、あの時も、時間ぎりぎりまで七絵ちゃんの好きにさせてたんだと思う。たた、本当にぎりぎりすぎて、……まぁ、似た者同士ということなんだろう。


「まあ、課題の方は無事に終わったみたいだし、花子さんも気にしないであげてくださいね。」


ああ、いい人だなぁ。


冷めないうちにどうぞ、と声をかけられたので、お喋りはそこまでにして、ミックスサンドを食べることにした。


玉子焼き、ゆで玉子ときゅうり、薄切りハム。

どの味も美味しくて、疲れた心が解されていく。

仕事を辞めたことは辛くて、この先のことも怖かったけれど『せっかくなんだから』とお母さんが一人暮らしを後押ししなければ、私はいつまでも実家の部屋でダラダラ過ごしていた気がする。こんな風に見知らぬ土地で美味しいご飯に出会うことも、仲良し兄妹に出会うこともなかった。


人生、不思議なものだなぁ。


「……花子さん?」


ぼんやりしていたら、店長さんが声をかけてきた。


「あ、はい。……何でしょうか?」


「あ、もしお時間大丈夫そうでしたら、もう少しで七絵の手が空きそうなので、お話でもどうかな?と思いまして。」


「あ、時間は大丈夫です。あれ?七絵ちゃん、お店にいるんですか?」


私の問いに、店長さんは黙って後ろを示す。


振り替えると、奥のテーブル席に、学生服を着た女の子と、向かいあっている七絵ちゃんの姿があった。


「……時々ああやって、店内で占いをしてるんですよ。」


よく見ると、テーブルの上には、あのタロットカードが何枚か並べられていて、七絵ちゃんが女の子に説明をしている様子だった。


「ちゃんと占い師さんなんですね、七絵ちゃん。……バイトに製菓学校に、占い師。凄いなぁ。私なんて、無職なのに。」


ぽつり、と本音がこぼれたのを、店長さんが聞き逃してはくれなかった。


「花子さん、あの……失礼ですが、今お仕事されていないんですか?」


「あ、はい。前の仕事退職したので、心機一転新しい街に引っ越すことだけ考えてたので、これから仕事探しです。」


……仕事のこと、七絵ちゃんから聞いてなかったのかな。まあ、あんまり周りに言われても気持ちいいわけじゃないから、安心したけど、何だか意外だな。何でも話してる仲良し兄妹だと思っていたのに。


「あの……七絵ちゃんから聞かれてなかったんですか?占いの時に仕事の事は話をしていたんですけど。」


つい、聞いてしまった。


「え?いや聞いてないですよ。あいつ、占いの事については『お客様との守秘義務だから』って何も言わないし、まぁ、それも当然だし、わざわざ俺も聞かないですし。」


「そうなんですね。すみません、変なこと聞いちゃって。」


「別に、そんなこと……それより、その、お仕事は今、探していたりします?」


「いえ、これから探すところです。午前中もハローワークに行って来たんですけど、手続きだけで疲れちゃって。」


「そっかぁ。……あの、……花子さん。」


「はい。」


「もし良かったら、うちの店で働いてみませんか?」


「はい?」



『やる気、エネルギーが高まっています。何か新しいことを始めそう。』


最後のカード『ワンドのエース』のメッセージが、頭の中で燃えだした。

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