第24話 気持ち。
side I
「振られたァ?」
「ばれてた。これやる」
結局この男に頼る以外に浮かばない辺り、つくづく狭い交遊関係だなと嘆きたくなる。涼平の部屋には火燵が出ていた。
「あれ、火燵買ったんだ」
「何言ってんですか、去年から持ってましたよ。寒い寒いって煩ぇから仕方なく今年は早めに出したんです」
「そうだっけ。まぁまなかは女の子だしな」
玄関から上がり込んで、落ち着いた色味の布団がかかった小さな火燵の上に缶を乗せる。足先だけその布団の中に潜り込ませると、じんわりと暖かさが伝わった。
座っていいですよ、と後ろからする声に振り返ると、涼平はスマホを構っていた。しまった、と缶をもう一度手にする。相手は恐らくまなかだ。
「ごめん、まなか来るんだった?」
「ああ、別に良いですよ。今ラインしといたし。明日に替えてもらう」
「悪いよ、帰るって」
「もうライン送ったって。それに俺、あいつより樹さんのが大事」
おどけるように歯を見せて笑ってくれる涼平に、こっちにも甘えっぱなしだと頭を下げたくなる。
「有難う」
「まぁ座りましょうよ。俺も寒いし。これ貰って良いんですか」
「良いよ、冷えてるけど」
「じゃあ俺こっち」
涼平は左手からコーンスープの缶を奪い取って、火燵に座り込みながら缶も一緒に火燵に投げ込んだ。
「煙草ねぇ。俺自分が吸うから、その匂いよく分かんなかったわ」
「おれも自分の匂い、全然気付いてなかった」
斜向かいに座って、夕方の再放送ドラマを何となく眺める。内容は頭に入ってこない。火燵に入れた筈の缶は、結局中身が温まりそうにないから早々に開けてしまった。横からズズ……と、空になりそうな中身を啜る音がする。
「そいつよっぽど樹さんの事好きなんですね」
「……うん」
「そいつ可哀相に」
「うん」
「本当にちゃんと後悔してんですか?」
「うん」
「でも樹さん、自業自得ですよね」
「……うん」
「今日は泣かないんですね」
「……うん。なんか、」
涙が出ない。
出そうだけど、確かに気分は重いんだけど、涙が出ない。酷い奴だと自分で思う半面、自分が泣いてはいけないと思っている部分もある。でも、それよりもずっとしっくりくる理由。
「なんか、多分、分かってたんだと思う。長く続かないの」
「へぇ」
「いつか別れるって、多分どっかで思ってた」
テレビの中では、台本通りの安いストーリーが流れている。きっとあんな感じに似ている。先が見えていたから、涙も出ない。
カチッとライターの音がして、目線だけ動かすと涼平が煙草に火をつけたところだった。今空いたばかりの缶を灰皿にする気らしい。
「外で吸わないのか。壁紙汚れるぞ」
「外寒ぃし。今日は特別」
肺まで深く吸い込むらしい煙りは、微かに色を濁らせて吐き出される。ぼんやりと煙りの消える先を目で追った。
「つまり、樹さんはそいつみたいに真剣ではなかったって事だ」
「何か今日言い方冷たいな」
「だって樹さん多分馬鹿だもん」
「言い方……」
涼平は少しだけ長くなった灰を、案の定コーンスープの缶の中に落とした。
「樹さん今さあ、煙草野郎とまだ続けるか迷ってるだろ」
「……何でいきなりそんな話になるんだ」
「俺さぁ、」
食わえ煙草のまま涼平はリモコンを手に取り、パチパチと何度かテレビのチャンネルを変えた。
「俺、自分が逃げ癖ついてるからさ、何となく分かるよ、今の樹さんの気持ち。逃げたいんだって、一番大事なものから」
テレビのチャンネルは、結局最初のドラマに戻った。涼平は二回目の灰を缶に落とす。
「大事なもの?」
「なぁんで気付かんかなぁ。態度が全然違うじゃん、あの人の時と」
あの人、が指す相手が、すぐに頭に浮かぶ。別れる度に泣きじゃくって、待って待って最後には、自分から諦めた。
何となく否定したくて、気付かない振りをして黙った。
「樹さん、裕太と付き合ってた時の俺と同じ事してんだって、今。自分が真剣に向き合ってまた嫌な思いすんのが嫌だから逃げてんだよ、自分から」
「違う」
「違わない。樹さんどんな相手選んでもさぁ、基準があの人から変わってないんだって」
「基準……」
言われて改めて思い知る。
あいつと、ヒカルと、まるで違う豪くん。
ヒカルと似ている気がした藤城さん。
涼平の言っている事が全て当たっている気がして、もう一度違うって言いたくても、言えない。
それに、
「でも……だってさぁ、もう遅いじゃんか。もうずっと会ってないし、今頃新しい人が居るんだろうし」
「まぁ俺はエスパーじゃないからそんな事は知らないですけど。樹さんがいいなら俺もう何も言わないし。でもさぁ、樹さん。俺は、」
涼平は、煙草を口から離してこっちを見た。合った目は、真面目だった。
「俺は、後悔してないよ、今」
「涼平……」
何なんだよ。
顔思い出したら、急に胸が苦しくなってきた。さっきまで出て来なかった涙が目に溜まる。
「だってさあ……」
「うん」
「豪くん優しいから」
「うん」
口から出てくる声が全部震えてる。頬に流れる涙の感触が擽ったい。
でも涼平は、そんなおれのみっともない声を煙草片手に聞いてくれる。
「ずっと甘えてて」
「うん」
「飯ちゃんと食わないから気になるし」
「うん」
「藤城さんだって、大企業だし、ヒカルよりずっと金持ちだし」
「うん」
「セックス上手いし」
「あーそれ大事」
「でも浮気者だし……っ」
「うん」
「でも、二人のほうが絶対良いとこいっぱいだし、諦めたのに……」
「うん」
「なんで……」
なんで顔思い出しただけで、声思い出しただけで、こんなに涙が出る。
会いたいと思ってしまう。
「おいでよ」
俯いていたら、涼平が腕を掴んで引いてきた。その手のひらの温度にまなかの顔が浮かぶ。
「……いい」
「なんもしないって。おいで」
「……」
躊躇った末に火燵から足を出すと、もう一度腕を引かれる。ずりずりと寄って行くと、久しぶりにその腕の中に抱きしめられた。中途半端な体勢で、頬に鎖骨が当たる。
「なあ、今晩泊めて」
「無理」
「藤城さん来たらどうしよう」
「鍵開けんなって」
「だってもし……」
「もし?」
「もし……藤城さんも居なくなって……ヒカルともやっぱり駄目だったら……なんにもなくなるじゃん……」
「何言ってるんですか。大丈夫だって。だってその時は」
「その時は?」
「その時は、俺がまたこうやってあげる」
「……。はは、ばあか」
髪をぐしゃぐしゃに掻き乱されたので、仕返しに服で涙を拭ってやった。
「そいつ言ったんですよね。樹さんに相応しいのは自分じゃない、必要なのは自分じゃない、って」
「うん」
「そいつも多分気付いてたんだって。樹さんがいつまでも社長さんの事ばっかなの」
「そっか……。最低だな、おれ」
「うん最低ですね」
「戒めにもっかい言って」
「最低だよ樹さん」
「もっかい」
「はいはい、最低最低。そいつの為にもさぁ、そろそろ素直になるべきなんじゃねぇの。俺居るし?」
「心強いな」
「俺も見てらんねぇよ。リナだって心配してましたよ。早く戻れば良いのにって」
「おれ、そんなに分かりやすかったかな」
顔を上げると、涼平はまた悪戯っぽく笑ってみせた。
「ま、俺ら一応? 樹さんの友達ですし? ちゃんと味方ですよ。だからさ、怖くないって」
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