第22話 決意。

side H


「随分いいツラしてるじゃねぇか」

 人の顔を見るなり口元をにやつかせる譲治に舌打ちを一つ返す。最後の客が出て行ったところだった。

「今日も焼酎か」

 ここ数ヶ月、キープボトルには一切口をつけずに焼酎ばかり飲んでいたから、譲治は俺がスツールに座るよりも先に焼酎のグラスを用意した。

「いや、今日は」

 壁際のいつもの指定席に腰掛けて、上のほうの棚に飾ってある深い緑色のボトルを指で示す。

「あれくれ」

「へーえ。珍しいな」

 驚いたような声が返ってきたが、機嫌が良いのかひとつの文句も言わずに、すぐにグラスを替えて氷と菓子の皿を出してくれた。

 久しぶりに見るアルファベット入りのチョコレートには、ちらりと見ても探した文字が見当たらない。

「なぁ、「I 」くれ、「I」」

「はあ? 何言ってんだお前」

「これだよこれ」

 意味が伝わらなかったらしい譲治に、チョコレートの包装の端を摘んでゆらゆらと示す。

 手に持っていたのは、「K」。

「ぁあ? んなもん知らん。自分で探せ」

 譲治は面倒臭いと言わんばかりの態度でチョコレートの大量に入った袋をこっちに投げ付ける。俺は素直にそれを受け取って、すぐにその袋を逆さまにした。

 カウンターにばらばらと個包装にされたチョコレートが散らばる。ひとつひとつ文字を確認して、いらないものから袋に戻していく。譲治は呆れたように「馬鹿かお前」と言いながら、布製のコースターの上にレミーのグラスを置いた。それから、カウンターにデカイ肘をついて、あからさまに渋々といった態度で選別を手伝ってくれた。

 思わず顔がにやつく。

「「I」だぞ、「I」」

「分かってるよ煩ぇな。「I」なんだろ」

 大の男が揃ってカウンターに頭を突き合わせて、カウンターの上の小さなチョコレートを選別している。俯瞰で想像してしまって、可笑しかった。

 結局数十個もの中から探し出した「I」は四つのみだった。

 譲治は袋を下げる事なく脇に寄せて、まだ何も言っていないのに勝手に自分のグラスにレミーを注いだ。

 カチン。

 久しぶりの高い酒を一口含んで、探し出した「I」を口の中に放る。舌の上に広がる甘さに、妙な満足感を覚えた。溶けきる前に、氷で冷えたレミーをもう一口煽る。

 旨かった。

「安酒ばっかりは飽きたのか」

「ああ飽きたね。やっぱりこれが良い」

 そうだ、俺はやっぱりこれが良い。

 頭がふわふわする程ハイペースで酒を煽って、脱いでいた上着のポケットに入れていたスマホを手探りで取り出す。迷っていた頭の靄が晴れたようで、気分が良かった。

「なぁ、どう思う?」

「何が」

「俺やっぱ……好きなのかな」

「……。馬鹿には付き合ってらんねぇよ」

「やっぱそうだよなぁ」

 否定しなかった事を肯定と受け取って、それを後押しとばかりにスマホでメールを打つ。

 確かに譲治の言う通りだ。馬鹿だな。自分の事なのに、こんなに時間がかかった。自嘲なのかどうか良く分からない笑みが浮かぶ。

「おいおい、そういうのは酔った勢いですんなよ」

「ばぁか。こんなもん、酔った勢いじゃないと送れるか」

 否定して迷うのをやめたらすっきりした。久しぶりに笑いながら気分良く酒を飲んだ気がする。

 スマホには送信完了の画面が光った。






side I


「ったく。最初っからこうすりゃ済んだ話じゃないですか」

 涼平は自分のスマホで「藤城 光昭」の名前を検索してくれた。

 就職情報室で叫んで怒られたおれ達はカフェテリアまで逃げてきた。カフェテリアは開いたままの入り口ドアから外気を入れてはいるものの、天井の空調からは温かい空気が送られてきている。気付けばもうすぐ冬が近付いてきていて、厚手の服を着ていてもそれを脱ぐ事はない。

「あった。やっぱこの会社だ」

 テーブルの中央に置いてくれた画面の大きなスマホを二人して覗き込む。そこには、ついさっき求人情報で発見した会社の名前があった。

「どっかで聞いたと思ったんですよこの名前。テレビのニュースじゃん。新社長だわこの人」

「知らんかった」

 だらだらと詳しく記載されているプロフィールを斜め読みして、開いた口が塞がらなかった。涼平はもう用がないとばかりにスマホの画面を閉じる。

「まさかそんな人だったとは……」

 あまりの事実に力が抜けて、背凭れに背中を預ける。

 確かに威厳というか、威圧感は漂っていた。でもそんな規模の大きなところからくるものだとは、これっぽっちも思っていなかった。

「凄い人だったんだなあ」

「浮気してる事もその理由も本当に最低ですけどね」

「やっぱり、やめないとな」

「やっと彼氏が報われますね、可哀相に」

 涼平はやれやれと上から物を言うようにして溜め息を吐いた。

「明日、ちょうど会う約束をしてるんだ」

「詫びに菓子折りでも持ってけば良いんじゃないですか」

「そっか、何が良いかな」

「冗談だって」

 ちゃんとやめなくては。これ以上裏切るような真似は。

 明日豪くんに会ったら、自分から「好き」って言ってみよう。

「有難うな、涼平」

「どう致しまして。俺もこないだ裕太の事でいろいろ泣き付いたりしたし。お互い様ですよ」

 涼平は、あれからまなかの事を本当に大切にしている。

 自分も同じで在れれば良い。何だか胸の奥が暖かくなった気がした。






 次の日、豪くんは約束した公園に先に来ていた。

 すっかり寒くなってきたのに着ている服は相変わらず薄手で、よく風邪をひかないなぁと遠くからぼんやり思った。来る前に寄り道してホットの缶を買って、正解だったな。両手に持った熱い缶を握り直す。

 公園で会ったのは初めてだった。いつかのヒカルとの、車の中でのキスが頭を過ぎって、慌てて首を振って記憶を飛ばす。

 決めてきたんだ。今日は口に出して彼に伝えようって。ちゃんと向き合うって決めたから。

 公園には、遊具の近くに親子連れがいた。豪くんは、遊具から離れたところにあるベンチに座っていた。

「ごめん、お待たせ。寒かっただろ」

「いえ」

 近くまで寄って、豪くんの顔を覗き込んで疑問に思う。

 何だかいつもと顔つきが違う。怒っているような、苦しんでいるような、険しい顔をしていた。

 手にしていた熱い缶をひとつ渡すのも躊躇った。

「……どうしたの」

 後ろめたい事があるから、嫌な予感がしてつい心臓が鳴る。豪くんは下に向けていた顔を上げて、立ち上がった。

 まっすぐに目が合う。低い声だった。

「樹さん」

「はい」


「別れてください。俺と」

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