第18話 恋。
side Y
俺の好きな人は、二歳年上の大学生だ。
初めて会ったのは小学一年の時。
母親に連れられて通う事になった剣道場で、一際目を引く三年生が居た。剣道が強くて、笑った顔が格好良くて、俺はすぐにその人に憧れた。
一緒に通う筈だった友達はすぐに飽きて辞めたけど、俺はその人が居たから剣道場に通い続けた。その人の周りにはいつも誰かしら人が居て、向こうは弱っちい俺の事なんか見向きもしなかった。
今よりもっと上手くなれば、強くなれば、きっとこっちを向いてくれる。
そう思って、殆ど毎日のように家でも竹刀を振るった。
「頑張ってんじゃん、お前」
初めて話し掛けられたのは二年も経ってから。
その頃には、その人は誰よりも強くて、試合に出れば必ず優勝して、皆から一目置かれる存在だった。そんな憧れの人に初めて頭撫でられて褒められて、俺は緊張して舞い上がった。
だから思わず言ったんだ。
「弟子にして下さい!」
って。
その人は、はあ? って言ってから、俺に手を延ばしてくれた。
「良いぜ。なら今日から俺の事を師匠と呼べ! お前はなんか犬みたいだから……犬だ!」
「い……いぬ?」
「おい犬! 俺もう帰るから、また明日な!」
「ええええええええ!?」
それから俺は当分の間、犬と呼ばれ続けた。
やれパンを持って来いだのジュースを寄越せだのとカツアゲ紛いのことをされ、その癖剣道については何ひとつ教えてはくれなかった。教えてはくれなかったけど、剣道の話をしている時の師匠は凄く楽しそうでキラキラしてて格好良くて、俺はいつもそんな師匠の話を正座で聞いていた。
俺を犬と呼ぶのは師匠だけだった。
他の奴がからかって俺を犬と呼ぶと、師匠はそいつらを先生に見つからないところでボコボコにしていた。師匠は喧嘩も相当強かった。俺は小さい頃は身体がひ弱だったから、師匠には知らぬ間に、いつも守って貰っていたんだと思う。
何年もそうやって過ごして、師匠は中学を卒業と同時に道場を辞めた。高校の剣道部に入った。もともとずっと学校が違ったから、俺はそれから師匠と会う機会を失った。
でも半年くらい経って、中二の夏休みに師匠と街でバッタリ会った。
「よぉ、裕太じゃん」
師匠は、会わない半年の間に知らない友達が出来ていて、半年会わない間に、更に格好良くなっていた。
それでその時、初めて名前を呼んで貰えた。師匠はもう、俺を犬とは呼ばなかった。
その時偶然会えた事も、名前を呼んで貰えた事も、自分で思っていた以上にすごく嬉しくて、俺は憧れの師匠にまた会いたかったから、連絡先を交換させて貰った。師匠のメールはいつも凄く素っ気なかったけど、俺は全然気にしなかった。
高校は、当たり前のように師匠のいるところを受験した。
……落ちた。
師匠は、俺よりずっと頭が良かった……。俺は隣の高校に通う事になった。
落ち込む俺を、師匠は腹を抱えて笑った。憧れの人には、いつまで経っても手が届かなかった。
いつから「憧れ」が「好き」に変わったのか、そんなのは俺にも分からない。
只、気付いたのは、師匠に彼女がいる事を知った時だった。凄く嫌だった。取られた、と思った。師匠が遠くに行ってしまったような気がした。
寂しかった。
師匠が大学受験に合格して、高校を卒業する時、俺から師匠に告白した。
「好きです、付き合って下さい」
師匠は、卒業証書片手に、そんな俺に笑ってくれた。
その笑顔が、小三の頃弟子にして貰った時と被った。
最初、俺の友達はそれを猛反対した。
「あいつはお前の事なんか好きじゃないぞ」って言われたけど、俺は、それでも良いと思った。
嫌われるまでは、一番近くに居たかった。
付き合うようになって二年近く経った。
師匠は、いつでも俺に凄く優しかった。一人暮らしを始めたアパートにも遊びに行かせてくれて、樹さんにも俺の事を紹介してくれた。認めて貰えたみたいで、ほんとに嬉しかった。
初めてキスをした相手も師匠だった。
高校の途中から吸い出したらしい煙草の味は、俺には少し苦かった。
身体を触られるのも舐められるのも、恥ずかしいけど、師匠が相手なら嬉しかった。でもそれ以上の事はしてくれなくて、させてもくれなくて、正直ちょっと落ち込んでいた。やっぱり、俺が女じゃないから、気持ち悪いかな、とか。
でもついこの間の夏、師匠は俺に約束してくれたんだ。
「高校卒業したら、」って。
ガキじゃねぇんだろって言われて、急に自分がガキに思えて、でも背伸びをしようと思った。少しでも師匠に近付きたかった。だから勉強だって頑張ってた。今度こそ師匠と同じ学校に通うために。
つまり、俺はガキの頃から、かれこれ十二年は師匠の事を見ている訳で。
そのうちのいつからかは、大好き、で。
堪らなくて。
俺をほったらかしにしたままベッドに寝てたりするから、気付かれないようにそっとキスをした事もある。笑った顔が格好良くて、寝てる顔がちょっと可愛くて、強くて、優しくて。俺はそんな師匠が好きで、大好きで堪らなくて、勿体ないとさえ思ってた。
思ってた。
確かに勿体ないとか思ってたけど、突然目の前に突き付けられた現実は、俺には余りにも残酷だった。
昨日シャーペン一本忘れたから、取りに行っただけなんだ。気に入ってたやつだから。
雨降ってたから、傘差して。家の前まで来たら電話しようって。まだ帰ってなかったら、外で待ってればいいや、って。
雨はちょっとずつ強くなってて、俺は傘差したまま、師匠のアパートの前まで着いたから、スマホを出した。
そしたら、階段から二階に上がった人影が見えて、師匠だった。でも一人じゃなかった。綺麗な女の人が隣に居た。二人は玄関先で何か話してた。傘に打ち付ける雨音で話し声は聞こえなかったけど、俺は、近付けなかった。
そしたら、俺の見てる前でその女の人は師匠にキスをした。え、って思ったら、次は師匠がその人にキスをした。それで、抱き合ったまま家の中に雪崩れ込むように入って行った。
その光景が、なんか余りにも綺麗に見えて、映画かなんか見てるみたいで、でもその反面俺は頭真っ白になって、スマホと傘を握り締めたまま、そこに突っ立ってるしか無かった。
傘に当たる雨の音だけが、頭の中に響いた。
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