第9話 女友達。

side M


「田辺くんはさぁ、優しいんだもん。馬鹿がつくほどのお人良しなの。自分には全然関係ない事なのに、あたしが悪いことしようとしたら隣で止めてくれんの。説教する訳でもなくてさ、まぁ年上に説教なんて出来ないんだろうけど、黙って手を引いてくれるんだよね。年下の癖にあの醸し出す安心感は何だっつーの」

「良いわねぇ、幸せで」

 よく手入れされた柔らかい頬を軽く摘んだ。

 へへ、と笑みを零す小柄な彼女は本当に可愛くて、その仕草ひとつひとつは全てが計算し尽くされている。柔和で、可愛くて、華のようで、それでいて影も鋭い淫靡さも感じられる彼女の振る舞いは、私には羨ましくさえ映った。

 彼女のようになりたいと思ったこともあったけど、無理だった。彼女のように強くない。

 歳は一つ違っても長年の友人だから、彼女が今に至るまで、何に傷ついて何に挫折して、どうやって強くなったかを知っている。おどけた態度も、男の子達の前で見せる甘えた顔も、女の子達への愛想笑いも、全てが彼女の計算で、全てが彼女の本音だ。

 失敗が怖くて、いつも確証の持てない最後の一歩を踏み出すことの出来ない自分には、彼女の身につけた処世術を真似することは出来なかった。


 それで良いんだって。まなかちゃんには、あたしみたいにはなって欲しくないもん。


 真っ直ぐにしか向けられない彼女の言葉はいつだって私を素直にさせる。

「あーあ。私、あんな態度全然可愛くなかった」

 髪がぼさぼさに乱れることはそれなりに気になりつつ、それでも白いテーブルに頬をつける。

 カフェテリアの二階は広いロフトのようになっていて、自販機とテーブルと椅子しかない。太陽の光が床に乱反射する一階と比べるとほんの少しだけ暗くて、木曜日の昼前は大体そこでリナと話し込んでいた。

「折角涼平に話題持たせたのに、逃げたらあたしの親切が台無しじゃない」

 リナは売店で買ってきたスナック菓子の袋を豪快に開け、テーブルの真ん中に置いた。その一つをだれている私の口にも放ってくれる。噛むとしゃくっと音を立てて、すぐに口の中から消えた。甘味と塩味の混ざった後味だけが残る。

「美味しい」

「でしょ」

 現金にもお菓子に釣られて上体を起こして、今度は自分でもう一つ口に入れた。

「だって樹くんが帰って来ないから、話に詰まっちゃって……」

「話なんて何でも良いじゃないの」

「私から出て来るのなんて勉強の話ばっかりよ。卒論とか、院に行く準備のこととか、研究室の教授が滑舌が悪いとか」

「……まあ、確かにあいつは全然興味ないかもしれないけど」

「そうよね……」

 頬杖をつくと溜め息が出た。お菓子を口に運ぶ手はお互い止まらない。

「馬鹿みたいに緊張しちゃうの」

「可愛いね」

「全然可愛くないわよ。ちょっとコーヒー買ってくる」

 小銭だけ財布から出して、すぐ後ろにある自販機の前に立つ。いつものカップコーヒーを二つ持つと、粉々に砕かれた氷がヒールの音に合わせて水面で揺れた。

「どうぞ」

「有難う。まなかちゃん大好き」

「お菓子のお礼よ」

 大好き、なんてすぐに口に出来ることすら羨ましい。

 そう思いながらカップに口をつけると、リナが先に口を開いた。

「でもさ? 本当に涼平のこと好きなら、そろそろ焦ったほうが良いんじゃない? 時期的に」

 痛いところを突かれた気がして、う、と言葉に詰まる。自分で決めた将来と、一年早く生まれてしまった現実を少しだけ後悔したくなる。

「あと半年したら、まなかちゃんは院に進んじゃうんでしょ」

「まだ分からないわよ。進学試験も受けてないし」

「でも、どっちにしても会う機会は減っちゃうよ。院に行かないで四年になったとしても、四年生ってあんまり大学来ないでしょ。うちらだって就活も本腰になるし……どんどん擦れ違っちゃうよ」

「そうよね……」

 何と無くだった近い将来が、現実味を帯びてすぐそこまで来ていた。焦らなければならないことは、沢山ある。

「樹くん、これから就活するって言ってたけど大丈夫かしら」

「話を逸らさないの。それは多分大丈夫じゃないの? あっちはきっとすぐに仲直りするって、いつもみたいに。それより今は自分の心配しなさい」

「はぁい」

 こういう時、リナと仲良くなれて良かった、と思う。対等に何でも話せる友達なんて、本当はきっと、そうそう出会えない。

「涼平もまなかちゃんの事好きだと思うんだけどなぁ」

「そんな事ないわよ。態度見てたら分かるじゃない」

「碌に話も出来ない癖に。でも、そんなにどこが好きなの? 涼平のこと」

 両肘をテーブルについて、可愛く頭を傾けながらリナが尋ねる。

「何、突然……」

「そういえば聞いたことなかったなぁって。まなかちゃんは、もっと大人っぽい人が好きそうなのにね」

 好奇心に満ち溢れた瞳は、獲物を放すつもりはなさそうだ。

「そんな急に……どこって言われても……」

 突然の核心に触れるような質問にしどろもどろしてしまって、急に自分が弱々しい女の子にでもなったかのような感覚に陥る。

「友達のあたしが言うのも難だけど、あんなの只のフェンシング馬鹿だよ? まぁそれで行くとまなかちゃんは勉強馬鹿だけど。田辺くんみたいに安心感を獲られる訳じゃなし。ああいうのってきっと、付き合っても自分のことばっかだよー? そういえば彼女が居るとかいう噂もたまに聞くけど、本人に聞いてもはぐらかされるんだよねぇ」

「彼女……」

「噂だってば。あたしも見たことないもん。仲良いから、何も知らない人達があたしのことを言ってんのかもしれないし」

「そういえばどうなのかしら。樹くんからもそんな話聞かないから、てっきり居ないのかと思ってたけど、よく考えたら居てもおかしくないわよね、格好良いもの」

「ほほーう」

「えっ? あっ!」

 ばっと口を手で抑えたが遅かった。リナは人の悪い顔でにやにやとこちらを見ている。

「成る程ねぇ、ああいうのがやっぱり好みなんだねぇ、まなかちゃんは」

「恥ずかしい……」

 まんまと誘導されたことに今更気づいて、顔から火を噴きそうになる。気を逸らそうとわざとらしく壁の大きな時計を見た。

「ああもうこんな時間! リナ、お昼どこに食べに行く!?」

 誤魔化すようにテーブルに広げていたお菓子や何やらをガタガタと片付けると、リナは未だにやにやと笑いながらも唇に色を乗せ直すのを忘れなくて、そのたいしたことない仕草ひとつを挙げても、可愛いと思える。

「この間田辺くんとね、良いお店見つけたんだ。おデートの下見ついでにでも行く?」

「デートって……」

「行くでしょ」

「行くわよ」

 ごみ箱にきちんと分別してから、改めてリナに向き直る。

「やっぱり私もリナみたいだったら良かった」

「あたしみたいだったら、涼平とは一生進展しないよ。そろそろ逃げ腰やめなさい」

「そうよね」

 そろそろ、ちゃんと向き合わなくちゃ。

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