第6話 身代わり。

side I


「もう高校生なんだし、してやればいいのに。子どもじゃないって本人が言ってるんだろ」

 すっかり入り浸るのに慣れた涼平のアパートで、壁に寄せられたベッドに腰掛けて、自分で持って来た烏龍茶のペットボトルを開ける。一緒に買ってきた缶ビール二本は、勝手に冷蔵庫に突っ込んでおいた。

 煙草を吸い終えた涼平がまだ明るいベランダから戻ってきて、握り潰してくしゃくしゃになった煙草のケースをごみ箱へ投げ入れる。

「高校生だからとか、我ながらよく言ったと思うけど、別に理由なんか何だっていいんですよ。ただあんま深入りさせて、嫌な思いをさせたくないんです」

「ふうん。で、その身代わりがおれな訳ね」

「あんただって同じでしょうが」

 飲もうと思っていた烏龍茶を当たり前のように手から奪い取られた。目の前に仁王立ちになった涼平にごくごくと喉を鳴らして飲まれていくのを半ば諦めた気持ちで眺める。まあ、ベランダは陽射しが直に当たって暑かっただろうしな。

 大胆に減らした中身を軽く揺らして、涼平は烏龍茶をこっちに返してくれることなく、ローデスクに置いた。

「樹さんだけですからね、俺にこの部屋のエアコンつけさせんの」

 言って、涼平は普段あまり使うことのないエアコンを稼働させてから、ベランダの窓を閉めた。

「それもどうかと思うよ、おれは。熱中症気を付けな」

「好きじゃないんですよね、喉が乾燥するし。一度つけたら消したくなくなるし。俺は別に開け放しでも問題ないんですけどね、樹さんが聞かれたくないでしょ、盛り上がっちゃってる声。うちは誰かさんちと違って、お高いマンションじゃないんだから」

「はいはい要らんこと言ってごめんって。今あいつの事思い出したくないからそれ以上言うな。あれ、チューブは?」

「クローゼットに隠してる。樹さん悪いんだけど、いつものタオル持ってきてくれません」

「いいよ」

 涼平がクローゼットの上のほうを漁り出したから、立ち上がってまずは持っていた烏龍茶の蓋を締める。ふらふら狭い部屋を歩いて洗面所の細長い戸棚を開けると、几帳面に畳まれた形跡のあるタオルが雑に押し込まれている。こういうの性格が出るよなと思いながら、一番上のバスタオルを除けて、手を突っ込んで目的のバスタオルを探す。見なくても触れば分かる。奥の方に隠してあるんだ、洗いすぎてごわごわになったやつ。

 手探りで目的のものを探り当てて、引っ張りだせばやはり合っている。戸棚を閉めて部屋に戻れば、効き始めたエアコンの風がふわりと額を撫でた。

「文明の利器って素晴らしいよな」

「タオルありました?」

「あった」

 裕太くんよくいつも扇風機だけで文句言わないな、と、ここに居ない人物に感心しながらタオルをベッドに放り投げる。涼平は涼平で見つけたチューブとゴムの箱を同じようにベッドに放り投げ、いつもの黒シャツを当然のように脱いだから、自分も着ているシャツに手を掛けた。


 全部脱いで、ベッドに広げたタオルの上に転がっていると、よく見ればゴムの箱がいつもと違うのに気がついてちょっと焦る。

「え、ちょっと待って、これ何、いつものと違うじゃん」

 パッケージの絵を見れば、何だか中身の表面がざらざらして刺激が強そうに見える。

「……何でこんなイボイボ買った?」

「面白そうだなと思って。樹さん尻こっち向けといて」

「痛くね? これ」

「大丈夫じゃないですか、知らんけど。心配なら一応多めに使っときます? チューブ」

「あ、是非。 ……っ、いや、急にさわんな、」

 エアコンの風が冷たい。ぬるついたぬちっとした音が耳に障る。

 全身に汗が滲み出して、嫌な予感がして振り向いて顔を見ると、涼平は口の端を歪ませてにやりと笑っていた。

「やばい、痛いの恐い」

「大丈夫ですって、すぐ訳分かんなくなるよ」

「……、そっか」

 言われて、大人しくパッケージのビニールを破いた。そうか、訳分かんなくなれるんなら、それでいいか。

 嫌なこと全部頭から追い出せる。


「う、 ぁ」

「そうそう、そのまんま静かにしててくださいね。壁薄いんだからさ」

「やっぱこれ、いっっっだ……」

 抱き合ってるほうが、顔が見えなくて丁度良い。顔は見ない。名前も呼ばない。キスもしない。

 涼平は元の体温が高いから、ちょっと引っ付いてるとすぐに暑くなってくる。でも四六時中目を閉じているわけにもいかないから、出来るだけ顔が見えないように。

「ああ、駄目だ樹さん、これ暑いわ。あんたちょっと後ろ向いて」

「まって後ろは嫌だ、こえがまんできな、は は ……う、 あああ」




「そういえばさ、」

 すっかり空っぽになった頭と腹に、エアコンの冷風がゆるゆると吹き付ける。尻の違和感がいつもよりも酷くてまだ動く気にはなれない。

「今更なんだけど、裕太くんは何で君のことを師匠なんて呼ぶの? 裕太くんはフェンシングやってないんだろ」

「ああ」

 涼平はひとりで先にすっかり後始末を済ませてしまって、タオルを洗濯機に投げ入れてから戻ってきた。

「俺が高校まで剣道だったんですよ。ガキの頃から通ってた道場が同じで、ずっと子分扱いしてたから、もうその呼び方に慣れすぎて今更他に変えられないらしいです」

「へぇ」

「樹さんさあ、興味ない癖にそうやって尋ねるのやめましょ」

「いや別に、そんなことないよ」

 ローデスクに置き去りにされていた烏龍茶を取ってくれるから、漸くベッドに座ってそれを受け取る。でも中身が少ない。そして温い。

 涼平はパンツ一枚でベッドに腰掛けてから、パンツぐらい穿きません? と床に落ちていたやつも拾ってくれた。本当に甲斐甲斐しい男だなと思う。

「そういや樹さんこそ、結局行くんですか? ヒカルさんの会社の人の誘い」

「豪くんのことだろ。うん、一応。折角気分転換にって言ってくれてるし、断る理由も思い付かなかったからさ」

 受け取ったパンツを穿こうと脚を動かすと、やっぱり違和感が酷い。あれはもう二度と使わずにいてもらおうと心に誓う。

「その人、樹さんが自分とこの社長のそういう相手だって、しかも別れたって知ってるんですよね。よく誘えるよな。怖いもの知らずなのか、ただの考えなしなのか、どっちなんですかね。何歳?」

「君の一個下。まだ新人、なのかな。すげえ背ぇ高くてガタイがいいんだよ。無口な感じで。でも、ただメシを食いに行くだけなんだから、そんなに気にすることじゃないだろ。変なことじゃないと思うけどな」

 そう言うと涼平は呆れたような顔でこっちを見てきた。

「いやいや変ですよ。どう考えても変だろ、友達じゃないんだからさ。樹さんのこと好きなんじゃないですか、そいつ」

「まさか。そんな訳無いだろ。ああ、あと涼平さあ、ちょっとコンビニでメシ買ってきて。腹減った」

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