第3話 記憶。
「もし良かったら、俺と付き合ったりしてみないか。名前を教えてくれよ」
「…………………いえ、遠慮します」
「なんで」
「当たり前じゃないですか。意味が分からないですよ」
「何の意味が分からないんだ。付き合うって意味が分からないのか?」
「いや、それは分かってるつもりですけど……。そもそも貴方は誰なんですか、なんでおれこんなところに、っていうか、ここは何処ですか。昨日の記憶が途中からあやふやで、訳が分からないんです」
「ふうん。成る程。よっ、と」
「うわぁちょっと何するんですか!」
「押し倒されたくらいで騒ぐなよ。つまり覚えてないのか、昨日のこと」
「す、すみません」
「良いよ。俺はヒカルって言うんだ。気に入ったんだよ、君のこと」
「え、ちょ、ちょっと……」
「だからさ、君も」
「ちょっと……ちょっと、待っ」
「好きになりなよ、俺のこと」
「んむぅ、」
「ははっ。キスしただけで、可愛いな。で、君の名前は?」
「樹はなんでいつもそんな地味なシャツを着ているんだ?」
「デザインを選ばなくて良いから、楽だからです。それよりいつの間に人のスマホに勝手に登録したんですか」
「つまらんな」
「何がですか。人の話聞いてます?」
「良し! 服を買いに行こう。俺が選んでやるよ」
「別に結構です。あ、ちょっと!」
「行くぞほらー!」
「なぁ樹。スマホお揃いにしよう」
「なんでですか嫌ですよ」
「お前指のサイズいくらだ」
「知らないです。測ったことないんで。……なんでその指なんですか」
「他の指じゃ意味ないだろ」
「嫌ですよ」
「このシーツ買わないか」
「買えば良いじゃないですか」
「樹の部屋で使うんだよ」
「なんで貴方がおれの部屋のシーツを選ぶんですか」
「俺もそのうち使うからに決まってるだろ」
「……」
「なぁ樹。これやるよ」
「なんですか?」
「俺の部屋のカードキー。なくすなよ」
「あ、これ……」
「気に入ったのか?」
「え、あ、」
「樹、なぁ、このグラス色違いで買わないか」
「……良いですね」
「何が食べたい?」
「何でも良いですよ。貴方は何か食べたいものないんですか?」
「俺は樹の家で樹の手料理が食」
「おー寿ー司ーが良いでーす。回らないやつでお願いしまーす」
「……」
「なぁ樹」
「なんですか?」
「そろそろ、俺のこと好きにならないか」
「は?」
「俺割と頑張ってると思うんだけど。こんなに健気な姿を見てもまだ落ちないか」
「貴方何を訳の分からないことを言ってるんですか?」
「え?」
「おれならとっくに」
「え?」
「好きですけど……貴方のこと」
「……」
「……?」
「樹ー!!」
「ぎゃー!!」
「ん……あ、や! やっぱり、恥ずかしい……」
「大丈夫だよ。樹、ほら、力抜いてみな」
「こわいぃ」
「大丈夫だ。痛くない。ほら」
「あ、ん、ん……ふぁ」
「ほら、な。全部入った」
「いやだ、くるし、」
「可愛い、樹」
「一回だけ!」
「う、」
「良いだろ別に、減るもんでもなし」
「だって、今更なんか、照れ臭くて……」
「お前は一生俺のことを貴方呼ばわりするつもりか、樹」
「うぅ……」
「ほーらー!」
「………………ヒカル、さん」
「うっま! 樹の飯美味いな!」
「そうですか? たいしたもの作ってませんけど」
「手作りの味噌汁なんて久々だ。これからも頻繁に作ってくれよ」
「何読んでるんだ?」
「教科書です。経済の」
「へー。教えてやろうか」
「分かるんですか?」
「俺さぁ、一応これでも社長なんですが」
「社員総数三名の、ですか」
「……これから増えるんだよ」
「……な、樹。俺のこと好き?」
「好きですよ。どうしたんですか?」
「いや、何でもないんだ。……ごめんな」
「? 変な人」
「そういうこと、ですか」
「ごめん! 俺が悪かった!」
「こういう時……おれ、どうしたら良いですか……」
「許しては、くれないか」
「……」
「あっ、あ あ んや…… ん…… ……っひ、」
「樹……」
「っ、ひっ、く……」
「泣くなよ」
「ごめんなさい。もう、出来ません……」
「……」
「抜いて貰えませんか……帰ります」
『樹? ……俺』
『久しぶり、ですね』
『うん。ごめんな、急に電話したりして』
『いえ、良いですよ。どうかしたんですか?』
『うん、どうもしないんだけどさ……声が、聞きたくなったんだ』
『……』
『ごめん、迷惑だったな』
『……おれも』
『え』
『ヒカルさんの声、聞きたかった』
『樹、なぁ、顔が見たいんだ。会えないかな』
「髪の毛ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」
「面倒なんだよ。ドライヤーかけてくれよ、樹」
「ヒカルの髪って綺麗だよね」
「樹、はい、これ」
「薔薇? しかも二本だけ……」
「今日で一年経ったな。進級おめでとう、二年生」
「旅行?」
「そう。どっか行こう」
「社員二十人も抱えた癖に、休みなんて取れないだろ」
「そこを何とかしてもぎ取るんだよ」
「今注目の敏腕社長は余裕だな」
「そうだよ。卒業したら、お前も雇ってやる。就活の必要なくなるな。樹の大学の予定に合わせるから、たまには二人でどこか、のんびり遠出しよう」
「好き?」
「好き」
「もう一回言って」
「好き」
「あんた何回同じことすれば気が済むんだ!」
「気の迷いだったんだ……」
「付き合ってられないよ。そんなに女性の方が良いなら、おれなんて要らないじゃないか」
「どこに行くんだ」
「もう来ない!」
『樹、ごめん。会いたいんだ』
『ヒカル……』
『指輪、流石にもう、捨てた?』
『……有るよ、まだ。埃被ってるけど』
「手」
「嫌だよ、恥ずかしい」
「繋いでる方が暖かいだろ。だからほら、手」
「うん」
「ずっとこうしていよう」
「昨日来るって言うから待ってたのに」
「仕方ないだろ、仕事だったんだから」
「昨夜どこに行ってたんだ」
「友達の家だってば。ちゃんと言っておいただろ」
「クリスマスプレゼント」
「ぬいぐるみ……って……」
「樹に似てる気がしたんだ」
「うさぎが?」
「気に入らなかった?」
「いや、嬉しいよ。有難う、ヒカル」
「一人で帰って来れないなんて……飲み過ぎじゃないのか」
「煩いな、仕方ないだろ」
「薬、テーブルに出しておくよ」
「……帰るのか」
「最近あまりうちに来ないな」
「ごめん、勉強が忙しいんだ。三年から、やることが増えて……」
「俺はほったらかしか」
「そんなんじゃないよ。ヒカルだって仕事ばっかりじゃないか」
「仕方ないだろ」
「人妻って……」
「向こうが誘ってきたんだ」
「また仕方ないで済ませるつもりかよ」
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「どうしろって……あんたこそ何がしたいんだ。おれのこと何だと思ってんの?」
「……」
「なあヒカル。おれ今、あんたの何なのかな……」
「……何だろうな」
「……」
「分からないよ、最近」
「……。……なら、もう、やめよう。会う必要ないよな」
「……そう、かもな」
「そうだよ。なんか、おれも疲れた。何にこんなに怒ってるんだろ」
「樹」
「帰って貰えないかな。グラス、片付けるから」
「……樹、なぁ」
「もう会わないから」
「樹、ちょっと待て」
「触んな」
「……」
「……やめたろ、もう」
「涙とまんない……」
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