第618話 古代禁呪

 イーサムが猛獣の貌へと変わった。狙った獲物を喰らおうという、肉食獣の凶暴な貌に。

 それは、相手がかわいそうになるぐらい、世界最強の野生。

 牙と爪を剥き出しにしてラクシャサへ向かって跳んだ。

 イーサムなら、魔法だ撹乱だとかそんなもん無視して、その反則的な力だけで相手をぶっ飛ばす。

 そう、イーサムなら……


「……激臭ストロングスメール……」

「ッ!」

閃光フラッシュ

「あっ……ッ!」


 その瞬間、ラクシャサが何かをやりやがった!

 くっさ眩しい! な、涙が出るような刺激臭! 一瞬視力がなくなったかと思えるぐらい眩しい光!

 だが、こんなもん、嫌がらせ程度の……いやっ!

 遠くの女に匂いだって余裕で嗅ぎ取れちゃうほど鼻が利くイーサムにはこの刺激臭は苦痛のはず! 更に、鼻だけじゃなく、視界までつぶした。

 だが……


「んぬ……関係あるかあああああっ!」


 だが、鼻が潰れようとも、視界を奪われようとも本能だけで怯まないイーサムの雄叫び。

 怯んじゃいねえ。見えねえし、鼻も潰れて俺もそれどころじゃねえが、イーサムがそのまま攻撃しかけているのは分か―――


「…………お見事………………古代禁呪・感覚共有シェアセンス………」


 閃光の中、確かに聞こえた賞賛の声。

 だが、次の瞬間には、鋭い何かが肉を貫く音が聞こえた。

 光が徐々に晴れていく。潰れた鼻も何とか息を吸える位には治ってきた。

 ラクシャサはどうなった?

 そう思ってゆっくりと目を開けたら……


「なにいッ!」


 イーサムの豪腕より繰り出された手刀。

 紛れもなくラクシャサのローブごと体に突き刺し、貫通している。

 その証拠に、ラクシャサを覆っているローブから、魔族の青い血が噴出している。

 だが同時に……


「……ラクシャサ……おぬし……やってくれるのう。相変わらず、ヤル気を削いでくれる魔法じゃのう!」


 目を疑った。

 たとえ、見えなかったとはいえ、イーサムは攻撃をしたが、ラクシャサが攻撃をした気配はなかった。

 なのになんで……イーサムの体に、腹に「穴」が空いてるんだ?


「イーサムッ!」


 しかもその傷は、イーサムがラクシャサに付けた傷と同じ箇所に、同じような抉れ方をしている。

 イーサムは攻撃を喰らっていないはず。なのに何故?

 するとイーサムは、ラクシャサの肉体を貫きながら、自身の傷に顔を歪ませることもなく笑みを浮かべた。


「術者の血を一定以上に浴びてしまうことで、その血が呪いとなって、術者と感覚を共有するという禁呪か………ワシの手刀で噴出したおぬしの血を浴びたのはまずかったのう」

「………………」

「ぬははははは、となるとこのままおぬしを力ずくで引き裂くと、おぬしと感覚を共有しているワシもどうなるか分からんのう」

「………………」


 感覚を共有する? つまり、負った傷も痛みも共有してしまうってことか? そんな魔法が存在すんのかよ!

 いや、もはや魔法というよりは呪い?

 だが、その割にはイーサムは余裕の貌だな。


「う~む、ワシがおぬしを攻撃すればそのダメージがワシにも跳ね返ってくるか。ふ~む………困ったの~………ッ、な~んて言うと思っておったか!」

「ッ!」


 んなっ!


「ぬどりゃああああああああ!」

「ッッッッ!」


 俺たちは思わず目を疑った。

 なんとイーサムは、自分が敵に与えたダメージがそのまま返ってくるということを理解しながらも、ラクシャサに突き刺した爪をそのまま真横に動かして脇腹を削り取った。

 当然魔族の青い血が噴水のように飛び散るが、それはイーサムも同じ。

 屈強な肉体を誇るイーサムの脇腹が突如抉られ、赤い血が飛び散る。

 だが、そんなことをイーサムは毛ほども気にしてねえ。

 それどころか、ラクシャサから引き抜いた爪をそのまま真上に持ち上げて、今度は力任せに真下に向かって振り下ろし、ラクシャサを叩きつけやがった。


「っておいおいおいおいおい、いいの? あれ、いいの? ねえ、ヴェルちゃん!」


 誰もが顔を青くするのは当然のこと。

 船の甲板に埋まるほど勢いよく叩きつけられたラクシャサは、呻き声こそ上げないものの、体が痛みで痙攣しているのが分かる。

 だが、そのダメージはイーサムにも跳ね返る。頭蓋が割れて頭からも血が噴き出している。

 なのに、なぜかイーサムは普通に笑っていた。



「侮るな、ラクシャサよ。痛みを共有する? それがどうした! おぬしが痛いと思う痛み程度、ワシには屁でもないのう」


「………………………………」


「腹が抉れようと、心臓を貫かれようと、臓腑が飛び散ろうと、四肢が砕かれようと、傷つく覚悟も痛みに耐え抜く度量もないものに戦をする資格などなしっ!」



 なぜ、イーサムはあんだけの傷で平気なツラしている? 

 自分の力がそのまま跳ね返ったとはいえ、ラクシャサが感じる痛みや傷がイーサムにとっても致命的に感じるものとは限らねえってことか? 

 いや、つうかそもそもそこに小難しい理屈はいらねえ。多分、気合の一言で片づく。

 そして、それがイーサムって男そのものなんだろうな。相変わらず呆れちまったよ。

 で、それはそれとしてラクシャサ自身はどうだ? 全身を痛みで震わせながらも、何とか立ち上がろうとしている。


「……修復リカバリー……」


 それは、ラクシャサ自身が痛みに耐えきれなくなったと証明しているような魔法。回復魔法だった。

 暖かい光が漏れ、ラクシャサを包み込んでいく。

だが、それは意味のないこと。


「ぬはははは、ほれ、結局同じことじゃ。おぬしが回復すればワシの傷も修復される。これでは意味がないのう」

「…………」

「どうした? 狂気に染まったオナゴ共や、口八丁で言い包めた貴様の部下共でも出さんのか? よもや、このままワシとやりあって勝てると思っているわけではあるまいな?」


 ラクシャサ自身が傷に耐え切れずに回復魔法を使えば、自然とイーサムも修復される。

 現に、ラクシャサが自分の傷を治そうと魔法を使った途端、イーサムに刻まれた傷も修復されてしまった。

 確かに、これでは意味が無い。

 すると……



「古代禁呪・感覚遮断センソリーディプリベーション


「ぬぐっ! …………ほう……」


 

 傷を修復させながらゆっくりと立ち上がったラクシャサは、再び何かの呪文を唱えた。

 次の瞬間、荒々しい笑みを浮かべていたイーサムの表情が変わった。

 イーサムは、ボーっとした顔のまま辺りをキョロキョロ見渡したり、両手をジッと見たりしながら立ち尽くした。


「って、おいおいおいおい、イーサムッ!」


 それだけじゃねえ。イーサムは目の焦点が定まってねえ。

 流石に何か異常を感じ、慌てて駆け寄る俺だが、イーサムは俺の声に全く反応しない。

 ただ、ボーっとした目のまま空だが、途端に皮肉な笑みを浮かべた。


「ぬはははは、本当にやる気を削いでくれるの~」


 一体イーサムに何が起こっているんだ? いくら俺がイーサムの名を呼んでも、間近で叫んでいるのに聞こえないのか、まるで反応しない。

 すると……


「おい、婿よ。ワシの側におるか~? ちょっとメンドクサイ呪いにかけられてしもうてのう」

「呪い?」

「ラクシャサのやつ、感覚遮断などという魔法を自分自身にかけよった。この魔法が発動しておる間、視覚も、嗅覚も、聴覚も、触覚、ましてや今なら味覚すらも、肉体のあらゆる感覚が遮断されておるわい」

「………な、なにい?」

「じゃから、今、ワシは何もできんわい。ぐわははははははは、まいったのう。まあ、それは向こうも同じじゃがのう」


 か……体の感覚を全て遮断? そんなことができんのかよ! 

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