現代医学は昭和生まれの頑固親父おやじの性格までも治してしまうらしい。

 いつも仏頂面で口うるさいだけのお父さんが、今まで見せた事のない陽気な表情を見せていた。

 体調を崩して三ヶ月入院していたけど、退院できる事がとても嬉しいのだろう。

 いや、ひょっとしたら遂に始まってしまったのかもしれない。

 まだボケるような年でもないけど長い入院生活のせいでアルツハイマーが進行したのだろうか。

 私の心配をよそにお父さんはこれでもかと言う程に笑っている。

 不意にお父さんと目と目が合った。

「何だ恵、まるでおかしな物をみるような目をして?」

「おかしいのはお父さんの方。何か悪いものでも食べた?」

「ああ、病院の飯はどうも味気ないな。久しぶり母さんの手料理が食いたいなぁ」

「そうね‥‥‥腕を振るって美味しい物を作らなきゃね‥‥‥」

 お父さんとは対照的に帰り支度をしているお母さんは表情はなんとなく暗かった。

「お母さんどうしたの?」

「別にどうもしないわ」

「ひょっとしてお父さんが帰って来ない方が良かったとか思っているでしょ?」

「何を馬鹿な事を言っているの恵、そんな訳ないでしょ、なんでそんなに冷たい事が言えるのよ!」

 お母さんのいきなりの怒鳴り声に少し驚いた。

 お父さんが理不尽な事を言ってもニコニコして受け流していたお母さんが初めて見せた怒る姿だった。

「まぁまぁ、怒るなって母さん。咲き始めたネモフィラの花言葉のようにさ、可憐に笑いながら恵を許してやってくれよ。さぁスマイル、スマイル!」

 いつもと違ってお父さんがお母さんを宥める役になっている。本当ならあべこべなのに。

 今日のお父さんとお母さんの様子は何だか変だ。

「さぁ皆で我が家へ帰ろう、久しぶりの家が待ち遠しいなぁ‥‥‥」

 一瞬だけお父さんの目が儚げに見えた。

 私達はお母さんが運転する車に乗って帰宅した。


 私のお父さんは野崎孝雄のざきたかお

 市役所に勤める地方公務員だ。

 私のお母さんは野崎幸子のざきゆきこ

 学校の先生をしていてこれまた地方公務員だ。

 そしてその間に生まれた一人娘の私は野崎恵のざきめぐみ

 公立高校に通う高校二年生である。

 いたって何処にでもいるごく普通の家族でだった。ついこの間まで。

 退院してきたお父さんは働きもせずにずっと家にいる。

 最初はまだ療養しているのかなと思ってたけど、六月になってもずっと家にいる。

 それでいていつも笑顔でとても優しい。

 その優しさに付け込んで欲しい服を買って貰った。こんな事は一度もなかったのに。

 逆にお母さんは暗い。

 どこか「心ここにあらず」って感じだ。

 やっぱりお父さんとお母さんは変だ。

 そして私はある疑念を抱くようになっていた。

 

 ――公務員をクビになったのかもしれない。 


 だとすれば納得できる。

 お父さんとお母さんはその事実を隠そうとしているんだと思う。だからお父さんは妙に明るく振る舞っていて、その事実を知りながら黙っているお母さんは、その罪に思い悩み暗いのかもしれない。

 そうなると私の将来が心配になってくる。

 大学へ進学出来るだけの経済力があるかどうかだ。

 最悪の場合は高校中退なんて事もあり得る。

 それでは最終学歴が中卒なってしまい就職すら覚束無い。

 せめて高校の学費を自分で稼がなくちゃいけないと考えた。

 学校帰りに寄った本屋で貰ってきた無料の求人誌を部屋でこっそり見た。

 残念ながら家から通える距離で良いアルバイト先がなかった。

 これは困った。

 職を探しがこんなに難しい事を高二で学んでしまった。

 他の高校生よりも一足早く世知辛い人生経験が出来て「ラッキー」だなんて思える程、ポジティブな方ではない。

「恵、夕飯よ」

 将来を悩んでいたらいつの間にか夕食の時間になっていた。

 二階の自室から台所へ行くと我が家にしてはご馳走と言える料理がテーブルに並んでいた。

 そう言えば今日に限らず毎日割りとご馳走が続いている。

 生活が苦しいはずのなにこんな贅沢をしていて良いのだろか。いや、全然良くない。

 きっと私を心配を掛けまいと無理しているに違いない。

 騙されたフリをするのも優しさかもしれないけど、それでは何の解決にもならない。

 私は勇気を振り絞ってお父さんとお母さんに尋ねた。

「お父さんもお母さんも私に気を遣わなくても良いから、覚悟は出来ているから、もう隠し事なんて止めて本当の事を教えて。私にも協力出来る事があるはずよ!」

 私の言葉にお父さんとお父さんは互い見つめ合って同時に頷いた。

「そうか‥‥‥恵にきちんと話す時が来たようだ」 

「でもあなた‥‥‥恵に受け止められるかしら」

「恵を信じよう」

「分かったわ‥‥‥」

 お父さんは咳払いしてから私に真剣な眼差しを向けてきた。

「心の準備は良いか。実はお父さんはな‥‥‥もう長くは生きられない。もって二ヶ月くらいだ」

「え‥‥‥」

「いやぁ驚くよね普通、いやぁ参ったわ、父さんもう死んじゃうんだってさ。あちゃー、こんなこと事ならもう少し健康に気を遣っていれば良かったなぁー。それともう一人くらい子供作っておけば良かったなぁー。癌で死ぬ、まさにガーンだな!」

 私が想像していた以上に我が家は深刻な事態になっていた。

 まさかお父さんが癌で余命宣告を受けていたなんて知らなかった。

 色んな意味で衝撃である。

 お父さんが死んじゃうのもそうだけど、あんなに堅物だったお父さんがこんなにも明るく振る舞う姿の方に圧倒的な衝撃を受けていた。いや呆れていた。

「お父さんは‥‥‥馬鹿なの?」

 衝撃的な告白なのに私の第一声がまさかの「馬鹿なの」だった。

「恵、何て事を言うの。あんたがそんな風に言ったら、お父さんが本当に馬鹿に見えてくるじゃないの!」

 私も大概だけどお母さんもちょっと酷い事を言っている。

 お父さんが軽いノリで言った「死ぬ」って言葉にどうも重みを感じない。

 お父さんが死ぬという実感がまるで湧いてこなかった。

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