第5話 恋じゃない

 翌朝。

 佐喜のとなりで、秀人は、目を覚ました。ふたりとも全裸だ。

 急がないよ、と佐喜は言った。

 秀人が、自分の思いをとりあえず受け入れた、今はそれだけでいい、と。少しずつ、距離を縮めていけたら、と。そのつもりだったんだろうに。


 やっちまったんだ、佐喜と。

 大したことはしていない。

 裸で抱き合い、いろんなところにキスして、ナニをしごきあって、白濁液を飛ばして。

 もちろん、気持ちいいから、そうなったのだ。


 佐喜の骨ばった、やせた体を抱きしめても、義兄との行為で感じた満足感はない。できれば、マッチョに抱かれたかった。それが何故か、自分が上になり、佐喜を抱く格好に。こっちから仕掛けたんだから、当然、そうなるか。

 キスは引き金。

 うっかりだろうと何だろうと、引いてしまった以上、ゴールまで突っ走るしかない。


 好きだって言われたから、キスくらい、してもいいと?

 正直、佐喜は友人、それ以上の気持ちは持てない。

 でも、やってしまった。

 体をこすり合わせるだけ、だったけど。

 あれも、セックス、なんだよな。

 どこからが、したことになるんだろう。自慰のことを、セルフ・セックスっていったりするんだよな。


「おはよう」

 うだうだ考えているうちに、佐喜が、目を開いた。

「おはよ」

 口の端を上げて、笑みをつくる。

 佐喜の、幸せそうな笑顔に、後ろめたさを感じる。

 秀人は、後悔に近い気持ちを抱いていた。

 これでもう、佐喜は確信したんだろうか、自分だちは恋人同士だって。


 薫り高いコーヒー、トーストとベーコンエッグ。朝、食べないこともある秀人には、ごちそうだ。「恋人」と初めての朝食をとる佐喜は、幸せそうにパンをほおばる。

「シュウ、四月生まれだったよね。来年は、一緒にお祝いしようね」

「うん。サキは」

「八月」

「もう過ぎちゃったね、やっぱり来年だね」

 恋を始めたばかりの、ふたりにふさわしい会話?

 来年の、バースデーを一緒に祝う、約束。


 他人の指の味、体の、ぬくもり。

 知ってしまったら、知らなかったころには戻れない。

 間違いだった、とは、言えない。いかにも幸せそうな佐喜に、お試しでした、などとは。

 やせた子犬のような佐喜を、邪険にできるか。慕い寄ってくる子犬を、邪魔だと足蹴に。

 そんなひどいこと、できやしない。


 つまり、佐喜への思いは、恋ではない。好かれるのは嬉しい、嫌われるよりは、ずっといい。

 そう思いながら、佐喜にせがまれ、秀人は何度も、佐喜の部屋に行った。たまには、秀人の部屋に、佐喜が。

 当たり前のように、夜は体を重ねる。

 寝物語に、いろんなことを話すようにもなった。


「もやしみたいな体で、ごめんね」

 マッチョが好き、と、はっきり言った覚えはないのだが、ぽろっと漏らしていたのかもしれない。

「もうちょっと太ったほうがいいかな」

 控えめに秀人が言うと、佐喜は、

「太れないんだよね。食が細くて、ちょっと食べると、もうおなかいっぱいになっちゃう」

「うちのオヤジも、若い頃は細かったんだ。昔の写真見て、びっくりだよ。今はメタボ腹」

 あんなのもヤだな、と秀人は思う。


「クリスマスは、どうするの」

 年末が近づき、佐喜は、はじめて彼と過ごすクリスマス、が気になるらしい。

 乙女だなあ、と秀人は複雑な気分。

「特に考えてないけど。サキは?」

「シュウといられたら、それだけでいいよ」

 まだ、佐喜を恋人、とは認識できない。

 バイトを入れないようにしとくよ、と告げると、佐喜は、とても嬉しそうな笑顔になった。


 その日、秀人は、渋谷をぶらぶらしていた。

 複合施設に入っている美術館で、佐喜と待ち合わせ。現代名工展。漆器とか蒔絵とか、伝統工芸の展示らしい。正直、さっぱり興味はないが、佐喜の希望で、仕方なく。

 約束の時間まで、あと二十分。ふらっとスニーカーショップに入った。美術館は目と鼻の先だから、五分前に出ればいいや。


 あちこち、棚を見ていると、

「あれ?」

 隣で声がして、横を見ると、

「あ」

 シンと一緒に、居酒屋で会った、マッチョが立っていた。確かカイジという名。


「やあ。やっぱり君か。シュウくん、だっけ」

 歯並びのいい、白い歯を見せて、カイジが笑う。

 秀人は、ごくりと唾を呑んだ。

「こんにちは」

 覚えてて、くれた、自分を。喜ぶべき、なのか。

 あの時はわからなかったが、カイジは背が高い。一八五センチはありそうだ。

「奇遇だね。時間、ある? よかったら、お茶でも」

 時間はない、佐喜との約束が、ある。

 このへんのカフェに入って、オーダーしたとこで時間切れだろ。


 そう思いながら、秀人は、

「あ、ちょっと用事が。でも、急ぎじゃないんで、他の日にします」

「いいの?」

「はい」

 ちょっと待ってくださいね、と。佐喜に連絡する。



 ごめん。急に不調になった、途中まで来たんだけど。帰って寝る


 大嘘を書いた。

「お待たせしました」

 笑顔でカイジを見上げると、

「じゃ、行こうか」

 カイジは、ぽんと秀人の肩をたたいた。

 それだけで、体に電流が走る。


 佐喜。すぐそばにいるのに。

 あんなに楽しみにしてたのに、佐喜。

 ごめん。僕、サイテーだ。







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