家族

小笠原寿夫

徒然なるままに

 鈴虫が鳴る夜に、詩を書いてみる。


後、三時間待てば、夜明けはやってくる。

一人の時間を心に任せて歌えば

孤独から抜けられる。

例え、これが夢の中だったとしても

訪れるのは、日常。

そんな事に有難みを見出すほど

一人の時間は長い。孤独な夜は長い。

歌おう。明日へと向かう子供たちに贈る子守唄を。


月がとても綺麗だから

あの月に手が届かなくても

ここに生きている事が大切で

朝を待つ私たちは 月を見て夜を感じる。

もう寝なさいと鈴虫は鳴く。

共に歌おう。おやすみの唄を。

おやすみなさい。


 夜空を見上げながら、母と喋り明かした夜。私は、学校であった事を、母は、職場であった事をベランダで語った。あの頃の母は、優しかったし楽しかった。

 一人になって思う。私をくすぐってくれた母の愛情を。母は言う。

「あんたらが、私たちを親にしてくれたんやで。」

この言葉は深い。子供が親に感謝するのは、当たり前のことだが、親が子供にそれを言えるのは、並大抵の事ではない。


 私が、重大な病気をしている時、父は私に日記を貸してくれた。父が若かりし頃に書いた日記である。

 そこには、今の明るい父ではなく、思い悩む青年の文章が綴られていた。

「笑うなよ。」

そう言って、私に手渡された日記には、仕事の記録や母との馴れ初め。ロッキード事件についても書かれていた。

 読み進めるうちに、我が父も一人の人間だった事を彷彿とさせる。私の悩みなど、父の苦悩に比べると、蚊が刺した様なものであることに気づかされる。

 そして、私は父と母の愛情によって育ったことが見て取れる。最後のページを捲った時、私は、思わず吹き出しそうになった。

 母が、父の日記に落書きをしているのである。

 内容は明かせないが、結婚したんだ、という事が言葉の節々から見られる。暗く長い日記の果てに、途轍もなく明るい文字が下手くそながら読み取れた。

 いいものを見せて頂いた。今までに読んだどんな小説よりも感動した。

 私が、どんな道に進もうと、この両親に育てられたという自負は、私を勇気づけた。


「私、凄い事、考えてるねん。」

ある日、母はそう言った。何かと問い質しても教えてくれなかった。

 それは、私を実家から追い出して、私を一人暮らしさせる考えだった。未熟だった私は、一人住まいのマンションと実家を行ったり来たりした。突き放す愛情。母は、それを持っていた。父と母にもしもの事があった時に、私が自立していける唯一の手段がそれだった。


「男がめそめそ泣くな!」

「お前は、職人になれ。」

「社会に出たら新聞を読みなさい。」

「寿夫、社会って冷たいやろ。」

父の言葉は、いつも重たく私に伸し掛かった。その言葉を受け止め、私はそんな言葉を聞かない生活に突入した。

 父の厳しい教えは、その都度、的を射ていた。

 朝、二日酔いで起きられない父を見て、育った私は、父の様にはなるまい、と思って幼少期を過ごした。しかし、歳を重ねる毎に父の偉大さに気付かされた。

 そうして、私は父の様な存在になりたいと思った。


「あんたらは、いい仕事をしてくれた。」

母は、しみじみと言う。私と弟の事である。私が重病にかかり、札幌で入院してしまった時に、迎えに来てくれたのが、アルバイトを休んだ弟だった。弟は、駄目になった私を操りながら、神戸まで私を連れ戻した。

 その十五年後、姪が産まれ、弟は父になった。時の流れは、人を変える。変わるのであれば、いい方向に変わっていくに越したことはない。

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家族 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio

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