スターネーシヴァラ国物語～シャシャーンカ王の罠～

第十七章 裏切者の正体

　　　第十七章　裏切者（うらぎりもの）の正体（しょうたい）

　クリパールが去った後もアジタ祭司長（さいしちょう）だけはまだ息があった。しかしサチンとアビジートは息絶（いきた）えていた。最後の言葉を残すこともできずに無念（むねん）の死を遂（と）げた。

　アジタ祭司長（さいしちょう）が矢傷（やきず）の痛みに耐（た）えている時、明り取りの窓に一羽のカラスがとまったのが目に入った。アジタ祭司長（さいしちょう）はこの機会を逃さなかった。迷わず最後の力を振り絞（しぼ）って呪文（じゅもん）を唱（とな）えした。するとカラスの目つきが変わった。さっきまでは餌（えさ）を追い求めるだけの野生（やせい）のカラスの目だったのに、今やその目は使命（しめい）に燃えていた。

　「風の神よ、どうかわしの声を聞き届けて下さいませ…。」

　呪文（じゅもん）の最後にそう付け加えると、クリパールと同じようにカラスはどこかへ飛んで行きった。

　アジタ祭司長（さいしちょう）はついに力を使い果たして永（なが）い眠（ねむ）りにつこうとしていた。目をつぶると背中の痛みが和（やわ）らぐようだった。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）。」

　誰かが名前を呼んだ。アジタ祭司長（さいしちょう）の目が再び開かれた。目に映（うつ）ったのはシンハの姿だった。

　「シンハ！無事であったか。」

　アジタ祭司長（さいしちょう）は声を絞り出して言った。ホッとした響きがあった。アジタ祭司長（さいしちょう）はシンハの無事を心から喜んでいた。シンハは鉄格子（てつごうし）の前に黙（だま）って膝（ひざ）をついた。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）、お可哀相（かわいそう）に。スターネーシヴァラ国最高の風の使い手と謳（うた）われたあなたがこんな罠（わな）に掛（か）かって死んで行かれるなんて。私を選んで下さったならこんなことにはなりませんでしたのに。なぜ私を祭司長（さいしちょう）に選んで下さらなかったのです？」

　この言葉を聞いてアジタ祭司長（さいしちょう）は冷水（ひやみず）を浴（あ）びせられたような気がした。アジタ祭司長（さいしちょう）はシンハを見上げた。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）、あなたは本当に良い方だ。私が言う嘘（うそ）をあっさり信じてしまわれた。普通、使者（ししゃ）だったからといって数えるほどしか来たことがない城の内部（ないぶ）を覚えているはずがないではありませんか。」

　「裏切（うらぎ）ったのか、シンハ！？」

　アジタ祭司長（さいしちょう）の目は驚きで大きく見開かれた。シンハはその顔を眺（なが）めて満（み）たされたような恍惚（こうこつ）とした表情になった。

　「なぜこんなことを？」

　アジタ祭司長（さいしちょう）は苦（くる）しそうなかすれた声で尋ねた。シンハは不敵（ふてき）な笑（え）みを浮かべた。

　「私は生まれてこのかた祭司（さいし）としての修行に明（あ）け暮（く）れてきました。毎日毎日くたびれるまで経典（きょうてん）を読み、護摩（ごま）を焚（た）き、呪文（じゅもん）を唱（とな）えて影（かげ）を操（あやつ）るという私だけの技（わざ）を体得（たいとく）しました。それなのに、あなたはあんなどこの馬の骨とも分からないアニルなどに祭司長（さいしちょう）の座（ざ）をくれてしまわれた！」

　シンハは憎憎（にくにく）しそうに言った。

　「シンハ、よく聞きなさい。わしはお前の努力を認めていないわけではない。お前は並みの人間にはない能力を、修練（しゅうれん）を積（つ）み重（かさ）ねることによって体得（たいとく）した。しかし、この世には並外（なみはず）れた天性（てんせい）の力を持って生まれる者もいるのだ。」

　「それがアニルだと言うのですね！？」

　シンハは憎（にく）しみに燃えた目でアジタ祭司長（さいしちょう）を睨（にら）んだ。

　「シンハ、お前にはお前だけが持って生まれた天性（てんせい）の才能（さいのう）がある。それを見失ってはいかん。」

　アジタ祭司長（さいしちょう）は諭（さと）すように言った。けれどシンハは聞き入れなかった。

　「もういい。あなたは私の誇（ほこ）りを踏みにじった。もう十分です。これ以上私を傷つけないで下さい。永遠に安（やす）らかにあれ、アジタ祭司長（さいしちょう）。」

　シンハは悲しみと憎（にく）しみ、尊敬（そんけい）を込めてそう言って、暗い角（かど）を曲（ま）がって姿を消した。アジタ祭司長（さいしちょう）はその後姿を見送り、弟子（でし）の裏切（うらぎ）りという苦（にが）い悲しみの中、深い眠りについた。