第8話 求めるもの
思ったより重量のある聡美ちゃんの機材を私と恵ちゃんも手伝い運び込んでひと段落、各自の楽器をセッティングし始めた頃に、佳苗ちゃんがやって来た。
「失礼します」
「よ、おはようさん!」
恵ちゃんの、いかにも部活らしい『始まる前の挨拶はおはようございます』といった返しに少し瞳をキラキラさせながら、
「……おはようございます」
そう、改めて挨拶を返したのだった。
部室にキーボードはあれど、佳苗ちゃんも自前のものを持ってきたようだ。
背負った長方形のバッグは小柄な彼女の身体の幅ほどで、頭ぐらいの高さから膝裏ぐらいまである。
「メーカーが違うと用語や機能で混乱するので、自前でいかせてもらいます」
そう言って開いたケースの中に入っていたのは、白いキーボード。
「あら、ステージ向きの良いシンセね」
聡美ちゃんは自分のギター以外も気になるようで、私のドラムや恵ちゃんのベースにも興味を示していた。
「軽くて色々できちゃう実用シンセの定番です」
そう言って、小脇に抱えるように取り出したキーボードを持ち上げると、元からあった方を反対側に抱えるように軽々と持ち上げる。
まじか。 私は両手で抱えるぐらいだったんだけど……。
そして、持ってきたキーボードをスタンドの上に載せ換え、元々のキーボードを自分のバッグの上に置いた。
「備え付けの方はどうしましょう?」
体格に対して随分と力持ちな様子を目の当たりにして驚いている私を尻目に、恵ちゃんが答えた。
「うーん……なんか使い道あるんやったらサブ用のスタンド手配してもらうか?」
「そうですね……やっぱり触った事のないメーカーというのもありますし、使わないかと思います。 第一軽音部で必要とされたら融通しますか?」
「せやな、後でまた聞いてみるか」
「はい」
そう言って、自分のキーボードに電源やらケーブル等を繋ぎ始めたのだった。
……そういえば『シンセ』って呼んでるけど、『キーボード』との違いって何だろう?
とりあえずシンセと呼んでいる以上、そちらに合わせた方が良さそうだけど、今度調べるなり聞いてみる事にしよう。
私はいつも通りのセッティング。
先日の入学式ライブから配置を戻しただけで使っていないので、ちゃんと演奏できる形になるように戻していく。
キックペダルから始まり、スネアドラムの確認。
最近磨きすぎて新品の時よりピカピカになっているのではと思うスプラッシュシンバルの締め具合を確認。
シンバルの高さが随分上がっていたので、少し控えめにしつつ。
以前の練習時にふと思い立って目立つよう高くしたら、届かない・もたつく・疲れるという三重苦を起こしたので、今は姿勢を大事にして無理はしない方針としている。
聡美ちゃんの方を見ると、足元のチューナーを見ながら弦を調整していた。 もうじき昨日のような爆音が出てくるだろう。
反対側の恵ちゃんは少し音を控えめにして弾き具合を見ているようだ。
そして正面の佳苗ちゃんに至っては……。
止まってる……不動の姿勢で宙を見つめている。
一体何を考えているのか分からないけれども、この空間の中で魂だけが切り離されてそうな……天から何かを待っているんだろうか……。
その不動の姿勢はしばらく続いたかと思うと、突然普通に音出しを始めた。 今まで見ていたのは幻……?
佳苗ちゃんの隣にあるモニタースピーカーから返ってくる音を調整しているようだけれども、意外に慣れた手つきで色々と設定していく。
いわゆる『電子楽器の音』のイメージ通りというか、文字で表現するのが難しい音が聞こえてくる。
みょんみょんした感じの音とでも言えば伝わるのかな……?
結構な音量だけども、グランドピアノの音に切り替えたら逆に随分と小さくなったりで、バランスで苦慮していそうな感じがする。
とはいえ、誰かと演奏した事が無いとは言いながら、いつか皆で演奏をするためにあれこれ勉強をしていたと思うと、がっかりさせてはいけないと私も気合が入る。
その直後、聡美ちゃんのギターがガンガンに歪ませた音を放出し始めた。
昨日のさくっと合わせたものに上乗せする勢いで、音の厚みがすごい。
修くんの主なスタイルはキラキラした感じだったのに対して、聡美ちゃんは音圧と低音で殴りかかってくるような、『武闘派』といった感じ。
アンプは青く光ってるし、なんか足元のスイッチは銀色でキラキラしてるし、更にはメタルな感じの重い音を響かせる。
なんかもう色々と眩しい。
そして満足したのか、少しボリュームを調整してから、いわゆるクリーンと言われる歪んでいない音からあらためて弄って調節していった。
みんなが思い思いに音を出しつつ、それぞれで音量を調整しているのを眺めているだけだったけど、ふと我に返ると私は全然音を出していない。
これはドラム抜きでの調整になってしまうと気付き、とりあえず恵ちゃんが弾いている単調な8ビートのリズムに合わせて普段の演奏時の音量でドラムを叩き始めた。
その動きに気付いたようで、ちらっとこちらを見るや白玉の単音ではなくメロディで私のテンポに合わせ始める。 いつもの流れだ。
こうやって音量調整の時にフリーで色々と試す時間も、先週……どころか先日までは修くんや隆くんと一緒だったのが別のメンバーに置き換わっている。
一年が切り替わったのを感じると共に、私が先輩の立場になったというのに一番楽器経験の短いメンバーという条件が変わらない事に少し戦慄を憶えたりと私の中で忙しい。
ベースとドラムで合わせている中に聡美ちゃんも途中から混ざって演奏っぽい形になり、メロディができていく。
音量バランスが大体終わったのか、佳苗ちゃんもピアノの音色で混ざり、ちぐはぐな即興の演奏がしばらく続いた。
こんな調子で全員の音合わせが終わったところで、みんな部室の中央に集まる。
私の正面には佳苗ちゃん、右手に聡美ちゃん、左手に恵ちゃん。
定番の丸椅子に座って全員が顔合わせ。
「しかしまあ……みごとに楽器ばっか集まったなぁ」
恵ちゃんが苦笑して切り出す。
「一応、このメンバーで決定っちゅうワケにもいかんし募集は続行しよう。 ふたりとも、ボーカリストっぽいクラスメイトとか見つけたら声かけてもらえると助かる」
「はい! 私から質問です!」
聡美ちゃんがわざとらしく挙手する。
「ほい、桑名さん」
恵ちゃんもそれに乗るかのように指名した。
「部活の方向性が経験者メインという事なので、基本的には歌うスキルがある前提でいいですか?」
「その辺、たしかに統一しておきたいトコやな。 で、まさにその通りや」
恵ちゃんは立ち上がると部室の隅にある古びたホワイトボードに向かって歩いていき、黒のマーカーを手に取る。
「基本的には歌う行為をカラオケと勘違いするモンは後々合わんようになるっちゅう経験則と前例がある」
それは昨年の私たちに起きた経験則だ。 いつか話す日も来るだろう。
マーカーのキャップを外してボードに書こうとしたら、ペンが走るのみで文字が出なかった。
「なんや、おまえインク切れとるやんけ!」
黒のペンに向かってツッコミを入れて戻すと、赤と青を同時に手に取り両方を走らせたところ、赤い線だけが走った。
「青もあかんのか……とにかく、第一希望として『歌える』こと、副目標として『楽器志望なら既に弾ける』ことがボーダーラインやと思ってくれたらええわ」
『歌える』の方に丸印を付けた後に『楽器なら経験者』と書き、ペンのキャップをパチンと押し込む姿は、制服じゃなければ先生と言われても違和感なさそうな振る舞いだった。
「んで、せっかく皆でセッティングもしたワケやし、全員が知ってる曲でも何かやってみるか?」
「あ、いいね!」
私もすぐに賛同する。
「せやな……昨日の入学式で演奏した紅蓮華とかは? アニソンとして括るならかなり有名やし、ちょうど歌ったし」
その提案に、新入生ふたりも頷く。
「あれならバッチリ覚えてます! なんなら後半のKiLLiNG MEとかもいけますよ!」
「……アニメをリアタイしてたので完璧です」
リアタイ勢、つまりリアルタイムで毎週見ていたという事らしい。
刀を持つようなポーズを取ると一言。
「息の呼吸!」
「それ普通に息してるだけだよね!?」
定番のボケに速攻でツッコミを入れてしまった。
「よし、ほんならやってみるか。 間違ったりして合わんくなっても適当に戻ってきてくれればええからな!」
ぶっつけ本番かと思ったら、新入生ふたりともそれなりに覚えたりしているというのは歌の知名度おそるべしといったところである。
「はい! キーは原曲と一緒ですか?」
「あー、それやと調整大変やもんな。 一音下げのドロップCや。 慌てずにな」
「了解しました!」
聡美ちゃんの質問に、何かに納得したかのように答えた。
そういえば一昨日やった曲は両方とも全部の弦の音を低くしていると練習時に聞いた覚えがある。
ここで弦楽器ふたりがチューニングを始めるが、ここで恵ちゃんの言う『大変』という意味がすぐ分かる。
聡美ちゃんはギグケースのポケットから何かを取り出したかと思ったら、小さなL字型をした銀色の工具だった。
短い方をギターのネックあたりにあるネジに差し込んで回すと、チューナーで調整を始める。
足元のチューナーを見ながら、無言で合わせるふたりを遠景で見るとなかなかシュールではあるものの、それぞれの表情にズームするとなかなか絵になる。
恵ちゃんが先に終わって弾いてみるも、私にはよく分からない。
ただ、普段のチューニングより音を下げているという事だけは分かる。
そして聡美ちゃんもチューニングが終わると、先ほど緩めたであろうネジを今度は締め込む。
そして念のためか再びチューナーを覗き込むと、今度はギターのブリッジ側をちょいちょいと弄って微調整しているようだ。
色々大変というのを目で見て理解した。 どうも構造が違うらしい。
工具を戻してから出した音は相変わらず厚みのある音で、そこは変わらない。
「今回はピアノと一緒に入るから、祐理菜がカウント入れてスタートしよか」
「りょーかい!」
恵ちゃんの提案にすぐさま返答する。
聡美ちゃんは軽く音を出して問題無い事だけを確認したら、頷いて準備完了をアピールする。
佳苗ちゃんは無表情ながら両手を大きく挙げてマル印のサインを出した。
……独特な感性の持ち主だと常々思わされる。
そんな思いはさておき、いつもの耳栓を付けると頭の中で曲の歌い出しを現実の時間に置き換えてリズムを作ると、そのスピードのままでスティック同士を叩いてカウントを始めた。
先日からメンバーが変わるだけでここまで曲の印象が変わるのかという感動がそこにはあった。
恵ちゃんが歌い出すと同時に、佳苗ちゃんがピアノの音で並走する。
キーボードと合わせた事が無かったので、新鮮な感じだ。
それと同時に、ずっと歌いながら原曲には無いベースの音を鳴らしていた恵ちゃんが凄いという事にも気付かされる。
私は音楽の邪魔をしない程度に2拍目でハイハットクローズの音を出してリズムをガイドする。
昨日の入部以来、高速メロディばかり披露していた聡美ちゃんが、こういう重くゆっくとしたフレーズをこなしている姿を見ると意外に感じてしまう。
初日で受けたインパクトが凄すぎて、すっかり固まってしまっていた印象が融解した。
とはいえ、修くんと比べれば何かと音圧が強めなのは変わらない。
Bメロで、いつの間にかマイクを設置していた佳苗ちゃんがさらっと演奏しながらコーラスを入れていく。
原曲に入れ込んでると、そういうところもきっちりやりたくなるよね……わかる。
ちょっとテンションが上がりボリューム大きめのドラムになってしまいつつも、1コーラスで演奏を終える。
「いい……」
相変わらず語彙力が消失したまま、半笑いで呟いてしまうぐらいの体験だった。
演奏を終えたポーズのまま不動の体勢で止まっている正面の佳苗ちゃんも、心なしか頬が紅潮しているような気がする。
「ぶっつけ本番でここまでできるか……ええ意味でヤバいな」
恵ちゃんもやり切った表情で今後の期待を膨らませているようだ。
「いいですねー……いいですね!」
聡美ちゃんとしても、掴みは良かったようだ。
「時間もまだありますし、できそうな曲あったらじゃんじゃんやりましょ!」
正直に言ってしまえば、昨日はすごい演奏をするのでハードル激高かと心の片隅では戦々恐々だったけれども、同世代の楽しみ方をしてくれるようで嬉しく思う。
「よっしゃ、ほんならもう片方もやってみよか? おんなじドロップC……あ……」
恵ちゃんが途中で佳苗ちゃんに視線を向ける。
「はい、ありませんね」
何が無いのか、私はすぐには理解できなかった。
「せやなぁ……サビとかになるとヴァイオリンの白玉混ぜるだけで雰囲気出ると思うけど、普段をどうするかやな」
「あ、そういうこと!」
ようやく合点がいって声を上げたら一斉に注目されてしまった。
あの曲、元々はシンセパートが無いんだ。
恵ちゃんが私の納得に対して応えるように頷くと、佳苗ちゃんが続ける。
「参考にできるものはたくさんありますが、私が推したいのはパリピシンセですかね」
「パリピ?」
「れっつぱーりー、です。 もしくは別のグループがコピーしてるバージョンで、女性ボーカルというのもありますよ」
佳苗ちゃんが次々に提案してくる。
「お! そりゃまた一つ希望やな!」
「ギターは7弦全て1音下げですけど」
「Bより下まで行くんか……さすがに5弦いるわ。 なかなかやばい」
「やばいですね、是非やりましょう」
恵ちゃんと聡美ちゃんがそれぞれの方向でやばいリアクションを返した。
「あたしが歌うにはチューニングの問題もあるし、元々この曲リクエストしたボーカルがいる向こうに突撃でもかけてみるか?」
「あ、いいですね! ゲスト引っ張ってきましょう!」
なんか完全に恵ちゃんと聡美ちゃんは意気投合した感じで、それぞれの楽器をスタンドに立てると扉を開けて出ようとする。
すると恵ちゃんが振り返って声をかけてきた。
「さあ、祐理菜と塩浜も行くで!」
「私たちも!?」
「Oui monsieur」
佳苗ちゃんが謎の言葉で即答して歩き出す。
何となく取り残されるのは嫌なので、私もそれに倣って出入り口に向かった。
外に出ると、昼を回ったばかりの眩い陽光と、その陽射しの割には少し冷たい空気が身体を抜けていく。
そういえばお昼ご飯を食べる声掛けだけのつもりだったはずが、がっつりチューニングしてセッションまで始めてしまっていた。
とりあえず今のうちにと思って振り返ると、恵ちゃんがドアの鍵を締めたと思ったら聡美ちゃんと共に駆けだしていく。
「よし、待っとれよー!」
「呼び込んだらもう勝ちですわ!」
なんか新入生にあるまじき順応性を発揮しながら恵ちゃんの後を駆けていく……けど、見た目は清楚そうなお嬢様……感覚がおかしくなる……。
佳苗ちゃんと私は顔を見合わせて苦笑すると、ゆっくり第一軽音部の部室に向けて歩き出すのだった。
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