第5話 準備風景
翌日、指定された9時より早めの8時半に来ると、既に部室は開いていた。
「よ! おはようさん!」
中には恵ちゃんが既にベースを繋いでセッティング中。
「おはよ! 早いねー」
「ひとっ走り10分やしな」
たしかに走れば近いけれども、普通はたった十分で行ける距離ではない。
地図アプリで道の距離を調べたら約3キロ。
市街地を10分で3キロ……?
調べたついでとばかりに、そこから競技としての記録がどうなっているか調べたら、もうちょっとで陸上部の全国レベル。
ベースを担ぎながら……? エフェクターボードも持ちながら……?
「あ、そういや昨日あれから修くんに会ったんだけどさ!」
疑問を解決できる可能性を信じて、昨日の話を切り出す。
「あー、なんか後ろに映っとったな」
あのピースサインで映っている私の画像をスマホの履歴から開いて見せてくる。
「そうそう、あの時って恵ちゃん学校に戻ったりしてない?」
「さてー、どうやろね~」
すっとぼけられてしまった。
「あ、なんか隠す気だ!」
「秘密があるほど強く美しくなるんや……」
左手を腰に手を当てながら右手で顔の半分を隠す謎のポーズで、朝からテンション高めの様子。
「最後は魔王にまでなっちゃいそう」
「あたしの気持ちは既に魔王やな」
「じゃあ私は大臣ぐらいにしてくれると嬉しいな」
「うーん……祐理菜は……」
そこで考え込む?
「せや、膝の上の猫!」
「ペット!?」
想定外の角度でえぐり込まれた答えに驚いていると、後ろで気配がした。
「また猫の話してる?」
そう言いながら入ってきたのは修くんだった。
「あ、修くん、おはよー!」
「や、昨日ぶり」
「おはようさん、よろしくなー」
今日はちゃんとギターを持っての登場だ。
さっそく室内にあるアンプのノブを左向きに回しながら何か確認した後に電源を入れて、準備にかかった。
「そういえば入学式の時にやる曲、女性ボーカルの方はどうするの?」
今回予定している曲の片方は女性ボーカリストの曲で、文化祭の時はカラオケ好きなゲストを呼んで演奏していた。
メンバーのボーカリストはメインで歌う時以外、コーラスでゲストのサポートに徹していたのを憶えている。
「それならご心配なく、ここにおるわ」
「ほえ! まじ!?」
さらっと答えた恵ちゃんに、思わず変な声で聞き直してしまう。
「まじまじ。 というわけで祐理菜よろしくな」
「ちがーう!?」
ほぼ条件反射とばかりの勢いで否定の雄叫びを上げてしまう。
突然こちらにボーカルを振られても、叩きながら歌うのは高等スキルで全然できない。
「いやー、ええツッコミしてくれるわ」
満足げに微笑む恵ちゃん。
修くんもチューニングしながら苦笑いしている。
「それなりに練習はできてる。 楽器の音に埋もれんように頑張るわ」
そう意思表明して、セッティングに戻った。
私も昨日緩めたボルト類やスナッピーを締め直しながら、ドラムセットの準備に取り掛かる。
実質ハイハットの調整とストレーナーを締めるぐらいで真っ先に手持無沙汰になってしまったので、なんかチューニングをしている雰囲気でスネアドラムを叩いたりキーを弄ったりしていた。
おおよそ三人ともがセッティングも終わったものの、入り口近くに掛けてある時計が指し示すのはまだ8時45分。
各個人で好き勝手にじゃかじゃか音を立てて、楽器の調子を見ている。
そこへ、扉を開ける気配があったので全員の手が止まった。
「おまたせ」
そう言って入ってきたのは、明らかに不良学生と言わんばかりの外見をした男子生徒。
ツンツンの短髪に、細くて鋭い目つき。
ネクタイを緩めて着崩し、ワイシャツのボタンも上から二つほど外している。
修くんの背が高い上で標準的な体格と比べると、少し細身で小柄。 偏見を交えるならば、どこか神経質かつ粗暴そうにも映る。
楽器ではなくコンビニの袋を持っており、入る部屋を間違えてきたのではと思うものの、これで間違いない。
……むしろ軽音部だから、むしろ外見に対してはこういうタイプの方が通常運転?
「おはようさん!」
「おはよー!」
「おはよう」
皆が口々に挨拶を返す。
「普通に水で良かったかな」
そう言って、おもむろに袋からペットボトルの水を取り出して全員に配ろうとする。
「助かるわ。 ありがとな!」
恵ちゃんが真っ先に受け取り、その隣にいた修くんも同じく水を手にする。
「阿倉川も」
「さんきゅー!」
そして私の方にもやってきて、バスドラム上のタムごしに受け取る。
「ほい」
「ありがとー!」
いきなり水を配り始めたのは、
名前の区切りは『海山道』『隆』だけれども、初めて見ると『海山』『道隆』と誤読される運命にあるボーカリスト。
一部クラスメイトからは知った上で『みっちー』と呼ばれてると聞いている。
見た目と口数の少なさからぶっきらぼうだと思われるけども、いたって常識的どころか、今回のようにみんなの分まで労ってくれたりと、わりとマメな感じ。
特にこういった見た目の生徒によくありがちな高圧的な態度も取るワケでもなく、恵ちゃんの方がよほど武闘派なぐらいだ。
個人的には何だか口数少ない割に愛嬌を感じて、『たかしくん』と呼ぶよりも『たかちゃん』と呼びたいと言ったら、照れながら『たかしで呼んでくれ』と即答された過去もある。 親密度が足りなかったようだ。
全員がボトルを受け取ったら、マイクのかけてあるスタンドまで歩み寄る。
人差し指の爪で先を軽くカリカリと擦って電源が入っている事を確かめると、口元に近付けて声出しを始める。
既に恵ちゃんがミキサーの前に立っており、隆くんが色んな声を出している間に調整していく。
『ハッ』といったような声から『ツー』『シー』という声、それぞれのバランスを見ているようで、フェーダー以外のツマミも弄り始めた。
恵ちゃん自身もベースの音を単音で出しながら、修くんもギターのコードを弾きながらとどんどん音を足してのバランスを見ていく。
私もドラムを軽く8ビートで、タム類も混ぜながら叩く。
少しして、隆くんが頷くと、恵ちゃんもそれに応じて頷いた。
全員が楽器の音をいったん止めて、恵ちゃんがその場を切り出す。
「ほんなら、まずは海山道の定番からやっとくか」
「あ、できればアレめっちゃ喉使うから、少なめだと助かる」
「わかるー」
恵ちゃんがちょっと上の方の角度を見ながら真顔で理解を示す。
たぶん無茶振りされたときの気持ちを思い出しながらの答えだろう。
「新入生が二番目に聴く曲がコレってなかなかパンチ強めだよね」
率直な感想を私が告げると、みんな共にわからんでもないといったリアクション。
なにせ文化祭で大暴れした曲、顧問の先生に一応は確認したものの、『ヤッチマイナー』というお墨付きを貰ってしまった。
止めてくれるどころか、がっつり背中を押してくるというなかなかヤバめの先生なので、ホント私の周りに普通の人が全然いなくて戦慄する。
ちょっとだけ自分を変えたい、そう思ってバンドで人の前に立つという事を選んだ私。
その『ちょっとだけ』は入部してから一年、いつの間にか達成していた気がする。
今はこの環境を愛おしく思える安心感。
いつの間にか私も普通じゃなくなるのかと思ったり、実はこうやって仲間として安心感を得ている時点で既に変わってしまったのに気付いていないのではという妙な不安と共に。
「あたしらは変わらんからな。 これぐらいの勢いで行こうや」
「そうそう、これで入部希望するぐらいパンチの強いメンバーに期待しよう」
新学期からの部長ふたりがやる気になっている、それだけで今は充分だ。
全員がそれぞれ、ステージから客席をまっすぐ眺めていると思ったであろう位置に向いた直後、私はドラムのスティックで少し速めのテンポで4つカウントした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます