第2話 チューニング

 先ほど持ってきたドラム機材を、こちらの部屋にも置いてあるドラムセットに取り付けるため、近くにキャリーカートを置いて荷解きする。

 恵ちゃんが色々セッティングしようとした矢先、ふと気付いたように入り口へ向かうと、防音扉をしっかり閉めた。

 準備を『ぱぱっとやる』にしては、すっかりやる気のようである。


 私の方は、カートから降ろしたスネアドラムとシンバル、そしてペダルの入ったバッグそれぞれを持ってドラムの椅子……スローンへと向かう。

 ドラムを演奏するための椅子に『王座スローン』と名付けるセンスが好き。


 まずはペダルの四角いバッグからキックペダルを取り出し、バラバラになっている状態からバスドラムへと取り付けていく。

 そのままペダルの側面にジョイントを取り付けて、スネアドラムのスタンドの奥から左側にあるもうひとつのペダルに繋げた。

 いわゆるツインペダルというヤツだ。

 赤と黒を基調としたペダルのプレートに『5000』という文字がデザインされていて、見るだけでも強そうな印象を与える。

 ギャラリー側からは見えないけど、ひそかに演奏者のテンションを上げてくれるデザインだ。

 そのペダルにビーター……バスドラムを叩く部品を取り付けたら、今度はスタンドだけになっている場所にスネアドラムをバッグから取り出して置き、スタンドの基部を回して固定。

 高さが明らかに私向けの高さになっていなかったので、少し下げてから傾ける。

 少し薄めのピッコロスネアと呼ばれているもので、本体はピカピカの銅製。

 今度はバスドラムの前に回り込み、タムのホルダーにシンバルを追加するアタッチメントを取り付けて、小さなシンバル……スプラッシュシンバルを配置。

 これで私が持ってきたものは全て取り付け完了。

 バッグ類を部屋の隅に片付けたら、ここが私の音楽生活を送る次の居城となる。


 あらためてドラムセット全体を見ると、シンバルやハイハットは世間のスタジオやライブハウスでよく見かけるものだった。

 明るいオレンジ色を基調としたセットで、標準的な木材が使われていそうなもの。

 各ヘッドは少々使い込まれている感じなので、近いうちに新しいものに交換した方が良いと思うけれども、すぐには問題にならなさそうな感じだった。

 もともとバンドをしていた顧問の先生が、昔の仲間を聞いて回って安価で譲ってくれる人を見つけてくれたとの事で、こうやって演奏できる事に感謝。


 恵ちゃんの方を見ると、もう足元のチューナーで既にチューニングを始めていた。

 私もスローンへあらためて浅く腰かけ、スティックケースを開いたらフロアタムの側面にあるボルトに引っ掛ける。

 その中から二本を取り出し、軽くスネアドラムを叩いた。

 ……ぽんっ、という軽い音が出る。 違う、この音じゃない。

 側面にある響き線……スナッピーを固定するレバーであるストレーナーが緩めっぱなしになっていたので、引き上げるとスネアドラムの裏側でしゃらん、と少し音が鳴る。

 あらためて叩けば、たんっ、という鼓笛隊の叩く小太鼓と同じ音が響いて、いつも通りの音が聞こえてきた。

 左足のハイハットペダルを浅く踏んで、ハイハットの先端部にあるネジを締め込んだらペダルから足を離す。

 少し開いた状態になって、これもたぶんいつも通り。

 軽く鳴らしてみて違和感も無く、ほぼ直感。

 中古で譲ってもらったものにしては、かなり状態が良いものだと思う。 少なくともレンタルスタジオのネジが壊れかけているようなものよりは明らかに良い。


 そうこうしているうちにベースギターの音がアンプから出てくるようになった。

 音を出しながら、恵ちゃんがイコライザをちょくちょく弄るのが見える。

 正直、やっている事は分かるけれども音の内容についてはよく分かっていないので、その様子を見ながら、こちらは叩く位置がちゃんとスティックの届く距離にあるか見ていく。

 こういう時に小柄なのはちょっと悔しい。

 他の人たちが演奏する高さに合わせると、たまにシンバルが遠かったりする事も……。

 そんな悩みはさておき、特に距離も問題無く、ヘッドのチューニングも大体オッケー。

 耳の保護という事で、音楽用の耳栓を装着してから実際に全体を叩き始めた。


 スタンダードな8ビートのリズムで叩いていると、恵ちゃんもそれに合わせて単調なフレーズで合わせてくる。

 どうやら向こうも大体準備は整ったらしい。

 お互いに視線が合うと、彼女が頷く。

 恵ちゃんが今演奏しているフレーズは、昨年の文化祭でやった曲。

 そのテンポのままハイハットを叩いて2回カウントした後、ドラムで2拍分のフレーズを叩いたらベースとドラムだけでの演奏が始まった。


 春のひととき。

 言葉を交わさずに始まるコミュニケーションに心地よさを憶えながら、そういえばこの曲って昔のアニソンなんだよなぁ……などと思考が逸れていき、少しリズムがよれては引き締める。

 ゆっくり進む日常と、慌ただしい未来を期待しながら。

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