1 純血会の夜
暗く絞られたランプの薄明りのもと、私はとなりに座っていた
元来私は人見知りで、一言二言しか喋ったことのない他人に触れるようなこと、例えクラスメイトであっても普段ならありえない。原因は純血会と称した、上級生による懇親会にあった。
この春から私が入学した青純女学院は、高大学一貫の私立の女子校で、いわゆるお嬢様学校と言われる部類に入る。実際に名家の御息女や、お金持ちの御令嬢が県外からも通う由緒正しい名門校である。敷居が高そうに見えるが、入試の難易度さえ超えることができるなら一般庶民への門戸は広く設けられている。入試のレベルは県下有数であるものの、奨学金制度の充実と内部進学における優遇措置を考えると、十分に挑戦してみる価値はある。そういうわけで、学力に多少なりとも自信のある女子ならば、一度は受験してみるという一種の風習があったのだ。
そして、なんとか私は狭い門を潜り抜けて青純女学院に入学を果たしていた。
さすがのお嬢様校。入学後、私は庶民との文化の違いに気圧されることになった。
山肌を切り開いて造られた広大な敷地には、一日では回りきれない数多くの施設が並んでいる。東西南北に分かれた四つの学生寮。古い教会建築風の礼拝堂。山上から海を見渡せる立地に作られた、グラウンドより広い庭園。県の博物館より立派な図書館。ファンタジーものの洋画でみるような、石造りのお城さながらの講義棟。学院の奥に広がる農学科の演習林の敷地を含めれば、青純女学院一校で小規模な学園都市を築いていると言っても過言ではない。
私の驚きは建物に留まらない。上級生とのお茶会の風習は、時に授業よりも優先すべきものであることは言うに及ばず、伝統のある儀式には血腥い過程を経るものもあると噂に聞く。姉妹の契りを破ったがために指を失ったという、やくざ者のような話もある。事実、上級生には生傷の絶えない生徒が多い。極め付けは、青純女学院の推薦制度である。
この学院は異人を積極的に迎え入れる方針を取っている。
嘘か真実か知らないが、特別な血を持つものには学院から推薦状が届くという。いわくつき、混じりもの、ひとでなし。大学ではそれらの特別な力を研究するための、神秘学なる学部まである。学院全体が怪談絵巻物のような場所なのである。そんな事情など、入学するまで知りもしなかった。今もってそれらの真実を確かめる勇気はない。
今夜開催された『純血会』は、学院の伝統のなかでも比較的穏やかな部類にはいる。怪しげな名前をしてはいるが、要は学生寮ごとに行われる親睦会のようなものだ。血を流させて、その清らかさを改めたりなんて野蛮なことはしない。上級生が新入生のなかからお気に入りのおもちゃを選んだり、自分の贔屓の子を見つけたりする程度だろうか。正直、私のような一般人は、お姉様と呼ばれる上級生と関わるだけでも戦々恐々としていた。
入寮は義務ではなく、基本的に任意である。しかし、学院の立地を考えると寮生となった方がはるかに便利で、ほとんどの生徒が寮で生活していた。何故かお金持ちの御令嬢が入寮することもあり、高級な家具を持ち込んだり、改装業者を入れたり、使用人を連れてきたりと好き勝手にするため、寮内は一種のカオスと化していた。
東西南北四つある寮うち、私の入寮した北寮こと葵寮は、他よりは落ち着いた部類にはいる。元が旧講義棟を改装したものらしく、部屋割りによってはやたら間取りが広かったり、ふたり部屋や四人部屋など様々である。私の場合は二年生の
体調不良で欠席も考えたが、この先も学院でやっていくことを考えたらいい案とは思えなかった。
葵寮は吹き抜けの螺旋大階段を中央において、東西に両翼を広げたハの字型の構造をしている。外観は中央に塔をもつ三階建ての西洋建築風で、灰色の石組みはレトロモダンというのだろうか。学生寮というにはあまりに荘厳で、迎賓館とでも名前を変えた方がいい。内部は暗い色の木組みと漆喰塗り、外側に反して落ち着いている(あくまで他の施設と比べて、という意味)。大理石の廊下で生活することになるとは、中学生の私には想像もできなかった。
一階部分は学生の部屋の他に、救護室や管理室などが詰めてあり、入り口は大階段から続くの北側正面にしかない。玄関ホールのわきには寮監の部屋があり、門限を破ると寮生でありながら寮監を任されている大学生のお姉様からやんわりと注意される。各部屋はすべて建物の南側面にしかなく、部屋の前は通路になっており、その部分だけは学校の施設の構造的な名残を感じられる。通路には細長いアーチ型の窓がはまっており、所によってはステンドグラスに変えられたところもある。
純血会の会場となる談話室は、三階の東翼の端にある。通路を潰して建物の面積を余すところなく使った部屋。かつての大講義室を改装したもので、葵寮のなかではもっとも広い。お姉様方の改装や持ち込みが繰り返された結果、天井からはシャンデリアが吊り下がり、アンティークの調度品が並ぶ、庶民には気の引ける空間ができあがっている。
私は踏み込んだ豪奢な空間で、可能な限り目立たないように息を殺しているつもりだった。しかし、そんな私の肩を叩く先輩がいた。
「そんな隅で縮こまってないで、真ん中に座りな。別に取って食ったりしないから」
ショートヘアの赤毛がまぶしい。そばかすが可愛らしく、幼く見える面立ちからは親しみやすさを感じた。すっくと背を伸ばした先輩の頭は、私のふたつほど上にあり、モデル顔負けのスタイル。180cmを優に超えていそうな長身と、ブラウスの上からでもはっきりとわかる盛り上がった肩と腕周り。活発そうな印象にふさわしい強引さで、私をど真ん中のソファに押し込んだ。あまつさえ隣に腰を下ろして、肩に手を回してきた。彼女が男でナンパが目的なら、二言目には「キミカワイイネ」と言ってきそうな手慣れを感じた。
「三年の
鉄砲水のように言葉が押し寄せて来る。早口なのに発音がはっきりしているから、すべての言葉を聞き取らざるを得ない。この人と喋り続けたら、数分で脳がパンクするかもしれない。どう考えても布雪先輩の人選は間違っていた。
「布雪先輩がそんなことを……あっ、私、柏です。
「リクちゃん、君、やっぱり可愛いね。私、趣味でボルダリングやっているんだ。今度一緒にどう?」
先輩、なぜ首筋を撫でるのでしょうか。
私にその疑問を口にする勇気はなかった。角質で硬くなった指先がうなじから鎖骨へ、とっかかりを探すように凹凸をなぞっていく。そこはかとなく、女の園の危険を嗅ぎ取った。
「新入生を恐がらせてどうするの」
不躾に衣里の鼻をつまんだ細長い指。現れた女性に、私は息を呑んだ。
ぼうっと光る白骨のような指には、輪っか状に盛り上がった傷があった。透き通る美しい肌に、やけど痕のようなケロイドの指輪がはまっている。絹よりも滑らかな黒の艶髪と日本人離れした白磁の素肌。胸焼けしそうな紅をさした唇。どこをとってもお人形のように端正で、非人間的な美しさ。それ故に、傷だらけの指先がやけに妖しく彼女を掻き立てる。
「なにするのさ、朱華」
衣里の後ろから現れたその人のことは、入学したての私でも良く知っていた。
「しゅ、朱華様っ……」
周りにいた一年生から悲鳴にも似たため息が漏れる。お姉様と呟いて頬を赤らめる子もちらほらと見受けられる。
三年の秋葉
この世に生まれたならば、一度はこれほど洗練された美しさを目指したいと夢見る。その正夢が現実に滲んでしまったような存在。学院には見目麗しい女性は下級生にも、上級生にも数多く見受けられる。それこそ、美しさについての基準がゆがめられてしまうほどに。なかでも群を抜いて目を引く女性のうちのひとりが朱華だった。
「衣里、あなた自分の担当を忘れているんじゃなくて? もうすぐ会が始まるのに、お茶菓子が足りないと言われているわよ」
「あ……すっかり、忘れてた」
「困ったものね。今日は三年しかいないのに、私たちがもてなさなくてどうするの。ねぇ、あなたもそう思うでしょう?」
頭を撫でられて同意を求められたけれど、私はそれどころではなかった。彼女の真っ赤なネイルで撫でられた頭皮がジンジンと痺れるし、花で満杯の浴槽に突き落とされたみたいな深い香りで、脳が沸騰しそうだった。この時の私は完全に、『憧れのお姉様に触られてしまったモード』に突入していた。返事なんかできるはずない。
「あ、あ、あっ、え」
「あーあ、朱華の方が困らせてるじゃん。おーい? 大丈夫?」
「この子のことはいいから、あなたは早くお茶菓子を取りにいきなさい」
「うーん、リクちゃんのこと放っておくのもな……お、レイ! こっち、こっち。ちゃんと来れてえらいじゃん。悪いんだけど、リクちゃんと仲良くしてあげて。どうせ、レイもまだ友達のひとりも作れていないんでしょ。ほら座った座った――リクちゃん、こちら私と同室の稲生令。不愛想な子だけど、いい奴だから喋ってあげてね。それじゃ、私は仕事があるから! また後でね!」
衣里は一方的に喋り、私の隣に仏頂面の女の子をひとり置いて行った。
「まったく、あの子は……ごめんなさいね、私もまだ準備があるから。また、お喋りしましょうね?」
嵐が去った後には、なんとなく気まずいふたりが取り残される。稲生令と呼ばれたその子は、見るからに不機嫌そうな眉の形をしていた。一年生らしい幼さを鼻先に残していながら、ツンと尖った唇は強気な性格を物語っていた。独立独歩の四文字がよく似合うシャープな顔立ちと、栄養失調を疑う平たい体型。黒いミディアムの毛先を神経質に撫でている指先と、スカートの中で組まれた足。とてもではないが、こういう集まりが好きそうには見えない。
「あの……私、柏李来といいます」
おずおずと目線を伺いながら切り出してみる。同い年なのに、思わず敬語を使わせる圧力が彼女にはあった。
「かしわ? チッ……偶然にしても出来過ぎ」
「あの、私の苗字がなにか?」
「別に」
彼女は私の名前を聞いて、より眉間の皺を深くした。それ以降とても話かける雰囲気にならず、お紅茶とお茶請けのマカロンが行き渡り、会が始まるまで気まずいまま一言も言葉を交わさなかった。
そして、ついには衣里も帰ってこぬまま、純血会が始まってしまった。
「一年生の皆さん、葵寮に入寮してもうすぐ一ヶ月ですね。学院での生活には、もう慣れましたか? これまでの生活と大きく変わって何かと苦労なさっている方もいらっしゃるのではありませんか?」
談話室の中央、深紅のアームチェアに腰掛けた朱華が、優雅にティーカップを持ち上げながら語り掛ける。
シャンデリアの明かりを落として、ぼんやりと部屋全体と照らすオレンジのランプの明かりだけになる。集まったのはこの寮の三年生が十数名ほどと、一年生が二十余名。各寮は毎年部屋の空き方が異なるので、各学年の人数もまちまち。葵寮は今いない二年生が一番多く、大学生は寮監を除いてひとりもいない。
会が始まる直前に、なぜか居残っていた二年生のひとりが顔を出した。一通り見回したらお茶菓子をひとつふたつ放り込むと帰っていった。一瞬、目が合ったような気がしたが、できれば気のせいであってほしい。
何故二年生かと分かったのかというと、彼女が有名人だったからだ。ただし、朱華とは真逆の悪名高い噂ばかり。
そんなことを考えていると、朱華が手元の蝋燭に火を灯した。
「今夜は親睦もかねて、この学院にまつわる昔ばなしをお聞かせしようかと思います」
それから朱華は、紅茶で口を湿らせて、実話とも創作ともつかないできごとを語り始めた。
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