『約束』
私が八歳の頃、叔父にあたる人が死んだ。
随分覚めた言い方だと自分でも思うが仕方ない。何せ会ったことがないのだから。
正確に言えば、赤子の頃に一度だけ抱いてもらったことがあるらしいが、それもまた伝聞である。当然、記憶なんてある筈もなく、故に棺桶の蓋についた小さな窓越しの冷たい顔が、実感的な初対面だった。
始めてみたその顔は一言で言うと真っ黄色。黄疸という言葉など知るよしもなく、ましてやそれが目の当たりにする最初の『死』だった。そのせいで、幼い私は暫くの間『死んだらみんな顔が黄色くなる』と思い込んでいた。
死因は急性心不全。まだ二十代と若いながらも九州男児らしい大酒飲みだったらしく、元々肝臓にも負担がかかっていたのだろう。
その日も酒を飲みに飲み、冬場の風呂場で倒れてそのままだったそうだ。今で言うヒートショックである。
そんなわけで結局、まともな会話もしないままに叔父とは冷たい初対面と相成ったのだった。
大叔母に促され、物言わぬ黄色い顔を眺めていた時、黒服に身を包んだ祖母が私の肩を抱いてきた。
振り返って見上げた祖母は見るからに憔悴し、そっちの方がより死人らしいと思える程に青白かった。
「◯◯ちゃん。叔父さんはね、死んじゃったんだよ」
そうだね、とだけ返して口をつぐむ。そこに続く言葉は、流石に言えはしなかった。
けど婆ちゃんの方が死にそうだよ、なんて。
叔父が亡くなったその時、祖母は県内の総合病院に入院中だった。持病の手術の為であり、その間の留守を任せていた最中の、突然の訃報だった。
親である自分がいない場所で、まだ若い息子に先立たれてしまった衝撃と絶望。術後間もない身体にそれらを抱えて、それは死にそうな顔にもなるというものだ。
流石に人生八年分しか経験の無い子供にも、言葉を選べる程度にはそれを察することができていた。
「◯◯ちゃん、あのね」
幼い子供の沈黙をどう捉えたのか、祖母の細く長い手が背中を撫でる。その手が何往復かした後に、しゃがみこんだ祖母は私と向かい合わせになってこう言った。
「叔父さんはね、◯◯ちゃんみたいな妹が欲しかったの。だから、◯◯兄ちゃんって呼んであげてくれる? 」
とても優しい声だった。けれど、その目は鋭く光り、私の芯を貫いた。
そうか、私が呼んであげなくちゃいけないのか。咄嗟に出た感覚、それは紛れもない義務感だった。
祖母や大叔母は勿論、母も姉であるから兄ちゃんとは呼べない。叔父と関係があり、年下なのは自分だけ。
だから、私が呼んであげなくちゃいけないんだ。
子供ながらの単純思考に役割意識が結びつき、気づけば一つ頷きを返していた。
その瞬間の祖母の顔は、今でもよく覚えている。笑顔とも、泣き顔ともつかない表情。その中で、そこだけが生気を取り戻したかのようにギラギラ光を増した目を。
もしも嫌だと、拒否をしようものなら祖母は今度こそ死んでしまうかもしれない。私は怖かった。目の当たりにしたばかりで、けれども理解しきれない『死』というものへの恐怖をより感じやすかったのかもしれない。
祖母には死んで欲しくない。だから、兄と呼ぶのは祖母との、そして私自身との大事な約束となった。
それからの二十数年間、事あるごとに祖母は叔父の写真を見せ、遺した数々の武勇伝を私に聞かせた。その度に私は変わらずこう返してきた。
「◯◯兄ちゃんは凄いね」と。
そして祖母はそんな私を心から喜ぶのだ。あのギラギラした目で。
そうしてある時、私はふと気づいた。自分の中に居る、兄の存在に。
運動会のリレーではりきっていた兄。
祖母を車に乗せてデパートへつれていき、服を買ってあげた兄。
祖母が大好きだと笑って言っていた兄。
祖母からの伝聞に過ぎない筈の兄の存在が、確かに私の中に居る。一つ一つのエピソードの情景も、表情も、そして声もが、頭の中で鮮やかに再生できる。まるで兄本人からそれを聞いたように。
そうしていると、生活の至るところで兄の存在を感じるようになった。何かしたら兄に怒られるかも、こうしたら喜んでくれるかもと。それだけならまだ微笑ましいが、他にもある。
私は成人してから暫く経つまで、いつもは慣れてる夜の暗闇がとても恐ろしくなる時があった。そんなときはどうしてか、その暗闇から兄が見ているような感覚にとらわれるのだ。
兄がなにか怒ってる、暗闇から怒りの顔で私を見て怒っているのだ、だから怖いのだと。そうなるともう眠れず、電灯をつけたまま朝まで過ごすことがざらだった。
無論祖母にも話したことはある。が、その度に祖母はそんな私を心から喜ぶのだ。
「そうだねー! 兄ちゃんが来てるのかもしれないねぇー、良かったねぇ! 」
兄は生きている、私の中で。そう言って満足そうに笑うのだ。あのギラギラした目で。
そうでない故人を兄と呼ばせる事を嫌悪する人もいるだろう。それが自分の子供であれば尚更そうではないだろうか。現に、祖母の娘である私の母もその一人だ。
母は、私が兄と呼び始めたことで、初めてそのやり取りを知らされたという経緯もあってか、今でも良い顔をしない。
何度か訂正しようとされたような気もするが、今もって私が兄と呼んでいることから結果は明らかだろう。
今ではこの呼び方でのやり取りを、ある意味ではグリーフケアのようなものだと思っている。故人について語らい、喪った悲嘆と向き合う事を助ける大役。それを私は任されたのだと。
さりとて、この呼び方に疑問を持たずに来たわけではない。思春期の頃にもなれば、周囲の目も気になって『◯◯叔父さん』と呼ぼうとした。
けれど、いざとなると口から出ないのだ。祖母を前にしていなくても、それどころか周囲に誰の目もない時であっても、何故か呼べない。
『◯◯兄ちゃん』であればすんなり出てくる。頭の中で考え、こうして文字に起こすこともできる。なのに、口には出せない。何故なら、それはちゃんとした呼び方ではないから。
やはり『◯◯兄ちゃん』とよばないといけないのだ。これは約束なのだから。
そう、約束だった。祖母と、私自身との約束、そのはずだった。
けれど幼い私は気づかなかった。約束の相手はもう一人いることに。関係者は祖母と私、そして。
──だから例え祖母が亡くなろうとも、約束は続いていく。
そうだよね、◯◯兄ちゃん。
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