第11話 彼が得たもの

 遠吠えの大合唱が収まった頃、自分の心臓がやかましく飛び跳ねていることに気付いた。

 ことが済んでから、生きた心地がしなかったと、血の気が失せる思いがする。

 それでも俺は、馬鹿みたいな大声をあげて、すぐそばにいる若いトレーナー見習いに言わなければならないことがある。


「馬鹿野郎が!」

「っ」


 突然の大声に驚いたらしいエミリアの肩が小さく跳ねたのが見えた。


「俺が逃げろと言ったら逃げろ!俺はお前に足止めをしろなんて言わなかったぞ!」

「でもジルバさんにもその仔にも危害が及ぶ可能性がありました!」


 真っすぐに俺の目を見てエミリアは言った。

 自分は正しいことをしたと信じ切っているような、自信を感じさせる強い声だ。大した肝だが無謀が過ぎる。


「誰が危ないだとかいう話じゃねぇ!お前の考え方が問題だと言ってるんだ!」

「……考え方?」


 エミリアは反論をする為か大きく息を吸ったが、その途中で何かに気が付いたように息を吐き出して言った。

 頭に上った血が、一つの疑問でとたんに落ちた。やはり優秀だ。自分が優秀だから、世の中には話の通じない馬鹿なんていないと思っている。それが大きな間違いだ。


「良いか、よく聞け。騎獣は、人間とは違う」

「そんなこと分かってます」

「いいや、分かってない。良いからまずは聞け」


 出鼻を挫かれた気分になって、俺は一度だけ深呼吸をした。


「騎獣は、人間とは違う。言葉を話さないから意思の疎通は難しいし、人間よりもずっと動物的な本能が強く、理性が弱い。それがどういうことかと言えばつまり、騎獣は人間よりも遥かに簡単に理性を失って、本能だけで動いてしまう可能性が高いということだ。十年調教を重ねた騎獣でも、二十年人間と一緒に生活した騎獣でも、何かの拍子に理性を失う可能性が常にあるということだ。騎獣の傍で暮らし始めてまだ二年しか経ってないお前から見たら、騎獣は賢く、俺たちが言うことをよく理解しているように感じるかもしれないが、その感じ方は、さっきみたいな命に関わる緊急事態に直面したことが無い人間の感じ方だ」


 エミリアは唇を噛んで、じっと俺の話を聞いていた。


「さっき、急にフェザーブルームが唸りだして戦闘態勢になった時、お前真正面に立ってて、どう思った?何を感じて、何を考えた?」


 肩が小さく震えている。より強く噛み締めたらしい唇からは色が失せていた。


「何でも良い、正直に言ってみろ」


 浅く、細かい呼吸を何度かしてようやく、エミリアはか細い声で喋り出した。


「こ、わかったです。普段は、怖いなんて思ったことないんです。フェザーブルームは、もともとすごく賢くて、大人しくて、いつも私達が何を求めているのか、すぐに理解してくれます。だから、ブルームが、急に唸りだして、あんなにおっきな牙が、むき出しになって。おかしいんです。牙なんてご飯あげる時に毎回見てるのに、なんか、全然、違うものに、見えて。でも、ジルバさんのいう通りだったら、赤ちゃんと、ジルバさんが危ないと思って、なんか、とっさに。すみません、私、初めて騎獣が怖いと思って、なんか、混乱して」

「それでいい。怖くなかったなんて言い出したら、クビにするしかない所だった」

「え?」

「俺も『ああ、これは下手したら死ぬな』と思って、怖かったよ。お互い生きてて良かったなぁおい!」


 全力で作り笑いをして、片手で仔狼を抱えたままエミリアの背中を軽く叩いた。


「いったぁ!」


 心臓は今でもバクバク鳴っていて、内心とても笑えるような気分じゃないが、俺は一応エミリアの上司みたいなもんだ。付けなければならない格好というモノがある。

 ひとしきり笑うふりをして、足元の地面を見た。

 自分の膝が笑っているのが見える。格好わりぃなぁおい。


「まあ、座れ。中も落ち着いたみたいだし、俺たちも、少し落ち着こう」


 下は地べただが、気にすることじゃない。作業着は汚してなんぼだ。

 片腕で宙ぶらりんに抱えた仔狼が楽になるような形で抱え直し、間違って落とさないように慎重に腰を下ろして、あぐらをかく。

 普通の犬と変わらないサイズ感の仔狼も、今では静かにしている。


「はい」


 エミリアも膝に震えが来ているらしく、慎重に腰を下ろす様子が、少しだけ笑えた。


「知ってるとは思うが、基本的に騎獣は人間を襲わない。調教していようが、していなかろうが関係なく、昔っから騎獣は、人間を襲わない生き物だ」

「はい」

「でも、騎獣が理性で行動をしていない時は分からない。騎獣が俺たちに危害を与えるつもりがなくても、暴れるのに巻き込まれたら、人は簡単に怪我をしたり、死んだりする。毎年どこかで一人か二人、牧場関係者が事故で命を落とすのは、大抵これが原因だ」

「はい」

「だから、騎獣が普段と違う行動をしたり、しそうだなと感じた時は、まず距離をとれ。近くに居続けるのは一番危険だと、一番最初に教えたはずだ。覚えてるか?」

「はい覚えてます、すみません」

「いや、忘れてた訳じゃないなら上等だ。言葉じゃ伝わらないこともある。実際経験してみて良く分かっただろう。さっきの状況が怖いと感じられたなら、それでいい」

「クビにするしかなかった。ってのは、どういう意味なの?」


 俺に全く気を使わない普段の口調が少し出てきて、俺は胸をなでおろすような気分になった。普段ならケチの一つも付けるところだが、今は良い。

 騎獣が好きで育成牧場に勤め始める奴が仕事をやめる最大の理由が、騎獣の危険性を痛感する事態に直面することだ。

 こんなはずじゃなかった。思ってたのと違う。そう言って辞める奴が多いが、仕方がないことだ。誰も危険がある仕事なんてしたくないだろう。引き止めることなんてできないし、してはならない。

 けれども俺はこの真面目な、優しくて頭の回る、何よりも情熱を持ったエミリアという娘に、トレーナーになって欲しいと願っている。それは俺の勝手な願望だから口にはしないけれども、思うのは俺の勝手に違いない。

 そんなことを考えていると、なんだか照れ臭くなってくる。手慰みに仔狼を撫でてみる。母親に舐めても貰えなかった仔狼は、べたべたに湿っていた。

 体温を失うと不味いから、一緒に抱えてきた寝藁で仔狼の体をゴシゴシこすり、しっかりと羊水を拭う。気温は春らしく暖かいから、凍えるということはないだろう。


「騎獣は怖いってことが分からない奴は、いつか必ず逃げ遅れて怪我をする。下手をすると死ぬ。そんなの申し訳ねぇからクビにするんだ。自分じゃ分からないから辞めたいとも言わないだろうしな」

「なるほど」

「まあ、いざって時とっさに動けるかどうかは、身に染みた感覚や危険察知の習慣がモノを言う。お前はまだ二年しか勤めてない。怖いと思ったのもさっきが初めてだろう?なら俺や、他の先輩トレーナーさんとか従業員さんがデカい声出したら、とにかくすぐに従っておけ。俺たちはお前より経験がある分、危険や違和感に敏感だ。お前より確実な判断ができる」

「それは、そうする。ごめんなさい」

「いいよ。と俺を守ろうとしたんだろ?ありがとう。大したもんだ。誇っていいが、何よりまずは自分を大事にしろ。俺たち先輩はお前より危険を知ってるから大丈夫だ。若い奴は他人の心配なんかする必要はない。一番危ないのは、間違いなくお前だからな」

「うん、気を付ける。ところでさ」


 体に力が戻ったのか、エミリアは身を乗り出して、仔狼を覗き見た。


「ん?」

「その子、男の子?女の子?」


 エミリアの声色は弾んでいる。

 それもそうか、幸運に恵まれたとはいえ、エミリアがこの仔狼を危機的状況から守ったのは事実だし、自分が守ったものが何だったのか、気にならない人は居ない。

 何より赤ん坊というものは可能性そのものと言って良い。眺めているだけで嬉しくなる存在だ。


「さあ?確認する暇もなかった。見てみるか」


 撫でるのをやめ、そっと後ろ足の片方を指先で摘まむようにして持ち上げ、股座またぐらを見る。


「ん!?」


 有るか無いかを確認する寸前、指先に、にゅるりという妙な感触を感じて、思わず変な声を出してしまった。


「男の子だね」


 エミリアは何も気付いていないのか、いつも通りの声色だ。


「んん~?」


 目を瞑って、俺は何も見ていないと、自分に言い聞かせる。が、妙な感覚が指先に巻きついているのは疑いようがなかった。


「なに?変な声出して。って、それ、なに?」


 聞かれたからには、俺も現実を直視し、答えなければならない。

 俺たちの視線はソレに釘付けになった。

 摘まみ上げた仔狼の後ろ足をゆっくりと解放してから指先を少し持ち上げても、ソレは俺の指先に巻きついたまま離れない。

 それはほんのりと気持ちの良い温かさだから、きっと血が通っているモノなのだろう。

 巻きつかれた感触は、羊水なのか粘液なのか分からないが、少し湿った感じがして、とても柔軟だ。

 色合いこそ仔狼の体毛と変わらない群青で目立たないが、毛がないせいか見た目の質感が他の部位と全く異なっていて、違和感が凄まじい。

 だというのに、俺の指先を捕まえるよう巻きついている紐状のモノはなぜか二本あって、仔狼の尻尾のあるべき部分から、あって当然と言わんばかりに生えている。

 というより、ソレはきっと、尻尾の代わりについているモノなのだろう。

 認めよう。

 フェザーブルームが産んだ仔狼は、尾の代わりに二本の触手を生やした、突然変異型だ。

 それは、まあいい。生まれをどうこう言ったところで変えられるものでもない。

 しかし、このままずっと指先を捕まえられていると両手が塞がってしまい何もできない。だから触手を剥がすために、少しだけ指を持ち上げた。


「え、離れない。離してくれない!なんで?お前ケツ半分浮いてますけど!?首苦しくないの!?離しなってば!?」


 ずっと静かにしていた仔狼が、思い出したようにみーみー鳴きだした。俺にはその鳴き声が、意地でも離さない。と言っているように聞こえた。

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