第7話 冬
薄っぺらい木製のドアが四度叩かれた。
『ジルバさん、牧場長から書類です。入りますよ?』
返事をするのも面倒だったから、俺は返事をしなかった。どうせエミリアは勝手に入ってくるに違いない。随分若いが、こんなことになっている俺よりも、よほど立派な神経を持っている。
「返事くらいしてくださいよ」
母親の反対を押し切ってトレーナーを目指すなんていう、性根の据わった娘さんだ。
「悪い。聞こえなかった」
俺が軽口に軽口で答えると、エミリアの表情が少しだけ歪んだ。
「嘘ばっかり。これ、今年の出産予定表です。初期育成からやるなら、去年一番の稼ぎ頭に一番最初に選ばせてやるって牧場長が」
「そう。迷うなぁ」
本当に迷う。
丁度自分には、トレーナーを続ける資格なんかないんじゃないかと思い始めたところだ。
「迷うなぁって。フェザーブルームの配合決めたのジルバさんですよね?自分で配合考えたら、普通自分で育成から調教までやるんじゃないんですか?」
「それは勘違い。配合資格しか持ってない人も多いし、フルトレーナーだったとしても全部一貫でやる人は多くない。それこそ配合は上を目指さなければ、ある程度いくらでもできるからな。自分で考えた配合の産駒全部を調教するのは現実的に厳しいこともある」
なんとなく決まりが悪くて、かゆくもないのに首の後ろをかく。間違ったことは言っていないが、本当のことも言っていない後ろめたさが気持ち悪い。
「でもジルバさん考案の配合は、今年フェザーブルーム1頭だけですよね?自分が考えた以上に魅力を感じる配合ってあるんですか?」
「たまにあるな。それは思いつかなかったって奴が。自分では思いつかないような他人の配合を見るのも勉強になる。うん、まあ、ありがとう。とりあえず書類見て考える」
言葉を交わすほどに、純真な少女を騙しているような、微妙な気分にさせられる。
書類を受け取って、大して見る気もない書類に目を通す。自分の所属している牧場の配合なんて書類を見るまでもなく覚えているが、ただなんとなくのポーズとしてそうした。
今年は三十五頭。大牧場に比べれば微々たる数だが、それでも五年前より倍近く多い。増産増産とやかましい軍のせいで、来年も人を増やさなければならなくなるのだろう。
ウチの牧場は昔から、トレーナー1人につき騎獣1頭が基本で丁寧な仕事が売りの小規模育成牧場だというのに、そのあたり軍は全く考慮してくれない。騎獣の生産育成を舐めてるのか?
「わかりました。決まったら名前を記入して牧場長の所までお願いします。で、質問したいことがあるんですけど、今時間大丈夫ですよね?」
「まあ、大丈夫だけど。お前他のトレーナーさんとかにそんな口の利き方してないだろうな?」
暗にお前暇だろって言ってるからね?人によっては不快に感じるから、気を付けてよホント。
「する訳ないじゃないですか」
「じゃあ俺にも多少は気を使えよ。素の口調はポロっと出るぞ。俺なんかそれのせいでこの年になってもガキ扱いされるんだから。……嫌なもんだぞ、いい年してんのにガキ扱いされるの」
「私、実際まだガキなんで」
「お前メンタルつよつよか?尊敬するわ。で、何だっけ?何が聞きたいの?」
本当のところ大して興味のない書類を散らかった机の上において、蜘蛛の巣が張った天井を見る。
そういえば最近、掃除してないな。
「何でフェザーブルームにシュヴァルツシッヘルを配合したんですか?これヤバくないです?」
「ヤバいってどっちの意味?」
「不味くないですか?」
「具体的に、なにが?」
「突変率です」
「ああ、そっちね」
俺が現状最高だと確信するまで何度も確認した配合だ。話の流れでエミリアが何を聞きたいのかは分かっていたけれども、一応。エミリアの指導役の役目を任せられている身分としては、こうして時々、エミリアの勉強具合を確かめなければならない。
「はい。コレ大体ですけど、突変率2割近いですよね?ブルームは父ベルクト、母ブルーローリエなんで多少悪いけど気にしない程度、なのは分かるんですけど。シッヘルがバリバリのバラクーダ直系の3代目じゃないですか。シッヘルは通常型ですけど兄弟の2割半は突変型です。うちの牧場だと突変型は敬遠しますよね?なのに何でわざわざこんな配合にしたのかなって」
「よく勉強してんじゃん」
エミリアが本格的にフルトレーナーに必要な勉強を始めてから、まだ2年しか経っていないなんて、誰が信じられるだろう。
エミリアは、俺のように牧場主の息子に生まれた訳でもなく、騎獣とはほとんど関りの無い普通の家の子供として生まれた娘さんだ。
スタート地点からして違う。だと言うのに凄まじい熱意を原動力に仕事をしながら、驚異的な速度で俺と配合の話ができるくらいの知識を身に付けている。
末恐ろしい娘さんだ。必ず近い内にフルトレーナーになるだろう。
「そういうのいらないんで」
「辛辣か?昔はもっと可愛げがあったもんだが。あーはいはい睨むなって、簡単な話だ。俺個人と牧場の判断基準が異なるってだけだ。牧場長はどれだけ魅力的な配合に見えても、突変率が2割もあったら普通はやらない。どんな突然変異が表出するか、まるで予想できないから」
通常、騎獣種の形質は安定している。レイオン種はレイオン種の形質だけを持ち。レプタイル種はレプタイル種の形質だけを持つ。
しかし時折、種族という枠組みから外れた形質を持つ騎獣が生まれることがある。レイオン種なのに鱗を持って生まれたり。レプタイル種なのに、鱗が無かったり。有るべきものが無かったり、余計についていたりするのが突然変異型だ。
競技会では有利になることもあるし、不利になることもあるが、そもそも生物相手に博打じみたことをするべきではないと考えるのは倫理的には当然のこと。
突変は遺伝する可能性があるため一般には敬遠される傾向が強く、俺だって突変率を軽視しているわけではないし、回避できるものなら回避した。だができなかったのだ。今の状態で思いついたならやらねぇよ。
「ある意味当然の判断だな。突変率が高いってことは無事に生まれる可能性が通常よりも低いってことでもあるから、結局生産性が落ちる。でも去年の俺は突変率2割以下ならやっても良いと思った。リスク以上の魅力をこの配合に感じたからだ」
「この配合ってそんなに魅力的ですか?確かに良い配合だとは思うんですけど、それにしてもリスクが大きいというか」
そうだと思う。
普通の人は特別な魅力があるとは思わないだろう。もっと危険度の低い配合は全然あるけど。
「これな、アドマイヤーの血統濃度が現状で一番高い配合なんだよ」
「アドマイヤーって、アドマイヤー記念の名前の元になったあのアドマイヤーですか?」
純白の名狼アドマイヤー。騎獣競技史上唯一、無敗で競技を終え八冠全てを獲得した、歴代最強と呼ばれる伝説的レイオン種。
八大大会の内で、大会名が騎獣の名前が元になっているのは夏のグランプリ、アドマイヤー記念だけ。
この騎獣がどれだけ特別なのか、アホでも分かるだろう。
「ああ、そのアドマイヤーだよ。とはいっても、古すぎる血統だから、大した濃度じゃないけどな」
レイオン種を育成する者であれば必ず一度は憧れる、絶対的な成功例。
およそ百五十年前に活躍した騎獣が、発展著しい現在の競技会で活躍するかは分からない。そんな古い血統を濃く残したとしても、改良の意義にはそぐわない。
何よりアドマイヤーは、その優れた能力を後世に残しにくい特性を有していたことが、既に明らかになっている。
そんなことは重々承知しているが。けれどもやはり、憧れるものは憧れる。
希少な白毛、無敗の八冠。小さな体に炎を纏って戦ったという眉唾な伝説すら、まことしやかに語られる。
言うなれば、アドマイヤーという昔の騎獣には、ロマンが山盛りに詰まっている。
まあ、エミリアの反応の悪さからも察することができるが、そのロマンに効率や倫理観をないがしろにするほどの重要度が無いことも理解している。
けれども俺は、一生のうちに一度はアドマイヤーを目指す配合を試したいと思っていて、運よく条件に合致する素晴らしい配合相手が、牧場長から配合を1頭やってみろと言われた年に出てきた。
シュヴァルツシッヘルの保有者も、必死になってアドマイヤーの血統を残そうとしている人だ。それもシュヴァルツシッヘルは競技時代に1冠を取得し、戦役から無事に帰還した、間違いなく実力のある騎獣でもある。
それがたまたま、突変率の高い相手だからといって、諦められるものでもなかった。
「ウチの牧場の目標は、まあ少なからず俺と牧場長の目指す所はアドマイヤーだったんだよ。だからウチにはアドマイヤー直系のフェザーブルームがいるし、冠名もアドマイヤーから貰ってる。突変率が2割近くても、この配合がアドマイヤーを目指す物だと理解した牧場長はゴーサインを出した。今回だけっていう条件付きでな」
この配合では白毛はまず出ない、体格もずいぶん大きな仔になる可能性が高い、騎獣が炎を纏うなんてことは初めから信じてすらいない。どれほどアドマイヤーの血を残したところで、異なる血統の方が遥かに濃いのだから、アドマイヤーとは似ても似つかない仔が生まれることは分かりきっている。
だがそれでも、生まれてくる仔は、他のどの騎獣よりも多くアドマイヤーの血を持って生まれる。本当に僅かな、あってもなくても変わらないような薄い血だが、まだ誰も知らないような法則が作用して、伝説的な仔が生まれる可能性もゼロではない。
決して、アドマイヤーのコピーが欲しい訳ではない。そんなことが不可能だということはわかっている。
ただ。次の伝説がもし、自分の手によって生まれるならば、それはアドマイヤーの子孫から出るべきだと思っていた。という子供が見る夢物語のような話だ。
「それなら」
「ん?」
長く話したせいか自然と長いため息が出て、エミリアの言葉を聞き逃した。
「それならなおさら、その仔はジルバさんが面倒を見るべきだと思います」
「そうか?」
誰が調教を施そうが、強い騎獣は強いものだ。だがそれはそれとして、俺の腕前が不足なのであれば、腕利きのトレーナーに預けるべきだろう。そうならないように学んできたつもりだが、それでも上には上がいると理解できるくらいには経験を積んできた。
自分で育てることにこだわって、強い騎獣を弱くしたのでは何の意味もない。それは泣き叫ぶほどに苦しく、トレーナーをやめたくなるくらい空しく感じるのだと、俺は学んだばかりだ。
「はい。だってその子は、ジルバさんの目標の為に生まれてくるんですよね」
エミリアが言うことは、否定のしようもない。
「ジルバさんが考えて決めた配合なんですよね」
結局俺は、もしかしたらなんていうあやふやな欲に負けて牧場のセオリーとリスクを無視した。
突変型として生まれるかもしれない仔のことも、それを胎に抱えなければならないフェザーブルームのことも、一切考えなかった。
俺のような人間に許される行いではなかったと、今は心底から思う。
だからこそ余計に、俺のようなトレーナーが、騎獣を育ててはならないのではないかと悩んでいる。
「なら、責任を負うべきだと思います」
「責任?」
別に、生まれた仔をそこらに捨てる訳ではない。俺が育成をしなくても、他のトレーナーが育てるというだけのことだ。ウチの牧場の手に余るようであれば売却するという選択肢もある。血統自体は優秀だ、買い手がつかないことなどまずありえない。つまるところ育成牧場の責任は正しく果たされるということに他ならない。
「その仔は、あなたが配合を思いつかなければ、生まれることは無かったんです。あなたが産ませる仔なんです。あなたが親なんです」
騎獣が人間の都合で生産されることも、俺が配合を考えたことも、俺が産ませるということも分かる。
けれど、俺が親だという点だけは、まるで理解できない言い分だ。
父はシュヴァルツシッヘル、母はフェザーブルーム。それは何があろうと変わらない事実なのではなかろうか。
「配合師として、人として。最低限、親の責任くらいは負ってください。じゃあ、書類さっさと書いて提出してくださいね。失礼します」
エミリアは強い語調で吐き捨てるように言って、出て行った。
ろくに掃除もしていない部屋の天井を意味もなく見つめる。
考えるべきことが一つ増えたような気がしたけれど、どれほど考えても答えは出なくて、苦しさばかりが増えていく。
なにもかも放り出して逃げ出したい衝動に駆られて、思い出したみたいに仕事をして、気が付けば書類は埃まみれになっている。
そうやって、寒い冬を過ごした。
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