第3話 流星

 トレーナーの指示が飛ぶ。

 アドマイヤブラウンは指示に即座に反応して、真っすぐゴルトンディアマントに襲い掛かる。

 かと見せかけて、右に、左に揺さぶりをかけながら、大音声で吠えかかった。唯一明確に優勢と思える敏捷性を駆使し、隙を見出そうとしているのだろう。

 ゴルトンディアマントは姿勢を低くして、本命の攻撃を待ち構えカウンターを狙っているようだった。

 一発受けて、一撃で倒す。高い身体能力を笠に着た、いけ好かないが強力な戦法だ。


「アドブラいけっ!トカゲ野郎を噛み殺せぇ!」

「頑張ってぇぇぇ!ブラちゃぁぁん!!」


 興奮した観客からは物騒な声援が飛ぶ。娘も絶好調だ。

 レイオン種の咬合力こうごうりょく(嚙む力)は、あらゆる騎獣種の中でも抜きんでている。爪も打撃も通用しそうにない相手なのだから、噛みつきを決め手に据えるという判断は妥当だろうが、果たしてそれでも、どれだけの威力が発揮できるのかは未知数だ。

 ゴルトンディアマントの鱗と甲殻は見るからに重厚だ。筋肉はぶ厚く、それを支える骨もまた強靭に違いない。

 レイオン種の咬合力がどれほど優れていようとも、諸共嚙み砕くと言うのは無理筋のように思ってしまう。

 どう戦うつもりなのか。


『アドマイヤブラウン軽快なフットワークでゴルトンディアマントを翻弄している!さあ!どちらが先に仕掛けることになるのか!』


 実況者の大声にも熱がこもっていた。観客の歓声も闘技場がビリつくほどに高まってきている。


『ゴルトンディアマント!少々反応が遅れてきたか!?さあどうだ!これはチャンスなのか!?ブラウンが行った!喉を狙う!ディアマント迎撃!当たるか!?かわします!しかし届かない!フェイントに誘われてしまった形になるか!ディアマントは反対の腕で防ぎます!腕持ちの騎獣にはこれがある!最も硬い腕に噛みついてしまったアドマイヤブラウン!ディアマント、ブラウンを振りほどく!距離が開きます!双方ダメージは無いようです!スピーディな展開になりました!まさに息をのむ一瞬の攻防だ!さあ、ゴルトンディアマント自ら動き出した!アドマイヤブラウンの攻撃は脅威にならないと判断したのか!?アドマイヤブラウンには苦しい展開か!』


 熱心にアドマイヤブラウンを応援していた観客たちが悲鳴じみた声援を送り続けるも、当のアドマイヤブラウンはじりじりと後退せざるを得なくなる。一撃を貰えば終わってしまうから絶対に攻撃を受けない距離を保ちたいのだろう。時間を稼いでその間に何か突破口を見つけることができれば、まだ勝機があるかも知れない。

 しかしゴルトンディアマントは一撃を当ててしまえさえすれば良いのだから、必中の状況を作りたい。

 攻め手と受け手が入れ替わり、競技場内になんとも言えない悲壮感が蔓延して行くのがわかった。

 相手を倒せる手段がある方が勝って。無い方は負ける。この試合はつまるところ、初めから分かりきった勝負だったのかも知れない。

 強い方が勝って、弱い方は負ける。そういう法則で、競技場は回っている。


「頑張れぇぇええ!!」


 アドマイヤブラウンに向けられた娘の大きな応援が、空虚に感じてしまう。

 牽制と位置取りを巧みに操り、ゴルトンディアマントはじわじわとアドマイヤブラウンを壁際に追い詰めつつある。

 あの剛腕から繰り出される牽制の一撃すら、半端な威力ではない。安全な距離を保ち続けることすら容易ではないのだということが、私にも理解できてしまう。


『‐‐‐‐‐!』


 ゴルトンディアマントを応援する歓声に飲み込まれてはいるが、アドマイヤブラウンのトレーナーが懸命に指示を飛ばしていることは分かる。

 アドマイヤブラウン自身にも、戦いをやめる気など毛頭ないことが見て取れる。

 劣勢にある一頭と一人は、まだ勝ちを諦めてはいない。

 しかし、もう後がなかった。

 戦上手らしいアドマイヤブラウンを簡単に壁際に追い込むのだから、ゴルトンディアマントは大した騎獣なのだろう。負けたとて恥じる必要はない、それほどの相手だ。


『これもかわす!アドマイヤブラウン!必死に距離をとりながらゴルトンディアマントの猛攻をかわしきっている!しかしもうすぐ後ろには高い壁がある!横への脱出を計りたいブラウンですが!ディアマントは絶対に逃がしたくない!巧みな攻撃で壁際からの脱出を阻んでいる!まさに猛攻!アドマイヤブラウン万事休すか!?』


 もし今降参したとして、誰にも責められることはないだろう。

 負けたらお終いのトーナメント戦でもないのだから、初戦で大きなダメージを受ける前にタオルを投じた方が合理的だ。重篤な怪我のせいで競技生命が絶たれることだって珍しくはない。運が悪ければ命を落とすことだってあり得る。


『もう無理だ!タオルを投げろ!次もあるんだからぁぁぁ!』

『トレーナー何やってんだ!もう十分だろぉぉ!!』


 もう降参して良いのだと観客ファンに言わせるのだから、アドマイヤブラウンも大した人気者だ。

 どう足掻こうが、自分より強い相手に勝つことはできない。

 さながら社会の縮図に等しい法則が競技場にもあるのだと思うと、苦々しい思いがする。

 だが、仕方がないことだ。自分にはどうにもできないことというのは多々ある。つらいことは歯を食いしばって耐えるしかないのが現実だ。

 心の底から勝利や成功を望んでいたとしても、諦めることしかできない場合だってある。


「頑張ってぇええ!!」


 まだ大人とは呼べない年齢の娘には、まだわからないのかもしれない。


『ディアマント追い込んだ!もう本当に後がない!ディアマントからすればいよいよ大詰めといった所!』


 アドマイヤブラウンは必死に横方向に逃れようとするが、ゴルトンディアマントはそれを遮るように細かい攻撃を重ねる。

 ゴルトンディアマントの剛腕は前足ではなく可動域が広い本物の腕だ。隙の小さい攻撃をかわされたとしても、どの方向にでも素早く追撃を行うことができる。アドマイヤブラウンもトレーナーも、それを理解しているからこそ大きく横に逃れることができないのだろう。


『真正面からの攻撃をかわすかわす!アドマイヤブラウン!素晴らしい目!凄まじい集中力!なんという胆力でしょうか!レイオン種の意地を見せる!レプタイル種に敏捷性では負けられない!しかしこれは苦し過ぎる展開です!壁際から逃れたとしてもゴルトンディアマントを倒す手段がなければ結局はジリ貧だ!さらには!集中を切らしてしまえばその瞬間に勝負が決まってしまう!どうするジルバ・ヴァーグナー!まだ勝ち筋は見えているのか!?ああっと!今のは怖かった!あわや決着かと思いました!いよいよ余裕も無くなってきたのかアドマイヤブラウン!』


「頑張れぇぇええ!ブラちゃぁぁん!!ほらお父さんも黙ってないで応援してよ!ほら!!」


 声をかけられて娘の表情を見た。


「エミリア。お前、泣いてるのか」


 娘は、酷い顔をしていた。

 大声を上げ続けたせいで頭に血が上ったのか顔は真っ赤で、敗戦濃厚であることを理解していたのか、表情は悲しそうに歪んでいる。


「泣いてないし!勝つし!泣く理由なんか無いもん!ブラちゃん頑張れぇぇええ!!」


 娘の声だけが、空しく競技場に響く。

 今や観客のほとんどがゴルトンディアマントの勝利を予感しているに違いなく、競技場内には悲痛な雰囲気が充満していた。

 アドマイヤブラウンを応援していた人たちも、ゴルトンディアマントの応援をしていた人たちでさえ、一方的な、見ていて辛くなるような試合が早く終わることを願っている。

 懸命に攻撃をかわし、何とか勝機を見出そうとしているアドマイヤブラウンは、既に全身から疲労感を滲ませていた。一撃を受けるのも時間の問題だ。誰しもそう思っているからこそ、競技場が震えるほどの凄まじい熱が失せてしまったのだろう。

 沈黙に圧されて、娘の声援も次第に尻すぼみになってしまった。

 鼻水をすするような音が確かに私の耳に届いて、酷く痛々しい気分にさせられる。

 競技場には、トレーナーの発する声ばかりが、嫌に響く。


「勝つもん。今朝だってたくさんご飯食べて調子はばっちりだし、ジルバさんが一生懸命作戦考えて、ブラちゃんも一生懸命トレーニングしたんだもん。ずっと頑張ってきたんだもん。勝てなきゃ、おかしいよぉ」


 娘は真っすぐにアドマイヤブラウンを見つめながら、ぽろぽろと涙を零し始めた。


『ゴルトンディアマント動いたぁ!タオルはない!決着かぁ!?』


 全ての観客が実況者の声に吸い寄せられ、二頭の騎獣を見た。

 大きく振りかぶられたゴルトンディアマントの右腕が今、頂点に到達した。

 誰しもが悲惨な結末を予想して息をのむ。

 空気を切り裂く剛腕がアドマイヤブラウンの頭上に振り下ろされる。


『バックスロウ!』


 トレーナーの指示が響く。

 アドマイヤブラウンは指示を受けて牙をむき笑い、背に高い壁があるのを承知して大きく飛び退いた。

 巨大な岩つぶてと化した剛腕は地面を大きく揺らしたが、そこにアドマイヤブラウンは既に居ない。

 ゴルトンディアマントは反射的にアドマイヤブラウンの姿を追って、壁の高い所を仰ぎ見る。

 壁面に着地したアドマイヤブラウンが、一瞬だけゴルトンディアマントを見下ろした。口元は不敵な形のままだ。

 不思議と一瞬、時間の流れが遅くなったような奇妙な感覚に襲われる。


『下がれ!』


 ゴルトンディアマントには、自身のトレーナーの声が聞こえていないようだった。

 振り下ろした右腕を引き、さらに一歩を踏み出し、自然と前に出る左腕で最速の追撃をするつもりに違いない。


「いっけぇぇぇえええええ!」


 私のすぐ隣から、全ての観客の心情を代弁する唯一の声が発せられ、時間の流れを正常に引き戻す。

 アドマイヤブラウンが壁を蹴る。

 ゴルトンディアマントの左腕は、まだ打ち上げられていない。

 それは、暗い夜空を割る一筋の流星のようだった。

 凄まじいとしか言いようのない速度で飛び出した薄茶色の流星は、ようやっと打ちあがったゴルトンディアマントの左腕を置き去りにして、露わになった喉を正確に捉えた。

 その衝撃は本物の流星にも劣らないに違いない。

 着地点を見失ったゴルトンディアマントの右足が空中に投げ出され、圧倒的な質量を持った強者が圧倒的劣勢にあった弱者の一撃により半回転させられ、首から地面に叩き付けられたことを即座に理解できた人がどのくらい居ただろう。

 一瞬遅れて、ずん。と重たい音が競技場に響いた。


『おおおおおおぉぉぉぉおお!!』


 アドマイヤブラウンの敗北を信じて疑わなかった誰も彼もが、雄叫びをあげる。

 狼じみた大歓声が、競技場が震わせていた。


『アドマイヤブラウンの勝利です!なんということでしょう!信じられない!世代最強と呼ばれたゴルトンディアマントに初めての黒星を与えたのはアドマイヤブラウンだ!まさに流星のような大技で圧倒的不利を覆した!』


 私は、魂まで震えたような、そんな錯覚を覚えた。

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