第2話 ジュニアチャンピオンシップ
長期の仕事が突然中断されて、
朝の内に刷られるらしい騎獣新聞を買い求めて目を通せば、予備知識がなくとも今日どんな騎獣が大会に出場するのかが分かる。
仕事にかまけてすっかり失念していたが、どうやら今日は、ルーキー最強を決めるジュニアチャンピオンシップの開催日だったらしく、五万人を収容する円形闘技場が超満員であることと、娘が執拗に今日の騎獣競技観戦を求めた理由に察しがついた。
ジュニアチャンピオンシップは八大大会の一つで、年に八つしかない
ギリギリ未成年である娘が競技場に入場するには保護者の同伴が必要で、その保護者の一人である私が長期の仕事が無くなって家に居るとなれば、これを利用しない手はない。
私は騎獣自体は好きだが、賭けがメインになってしまっている騎獣競技会は好きではないし、積極的に自分の娘を連れて来たいとは思わない。
けれども二年もの間、好きな仕事に集中させてくれた妻と、寂しい思いをさせてしまったに違いない娘に報いることができるなら、私は何だってするのだ。
賭け事に興味はないが、暇つぶしに紙面を眺める。
一番人気、ゴルトンディアマント。二番人気、アドマイヤブラウン。三番人気がだれだれと、勝ちそうな順で、期待感を煽る紹介文が紙面に並んでいた。
酷く俗っぽく見えて、少しだけ不快だ。
人間と騎獣の歴史について研究をする私から見れば、騎獣競技会はあまりにも人間の欲というモノに浸かりすぎた催しに見える。
騎獣競技会をエンターテインメントにすれば儲かるからと、伝統的に行われてきた品評会をこのような賭け事のネタに貶めたのは、他ならぬ軍である。そのことははっきりと不快だった。
しかも私が、これからがいよいよ本格的な調査の始まりだと思っていた古代遺跡の調査中止を決めたのも軍であるから余計に腹が立つ。
まあ、二年もの時間をかけ、人を雇い、道具を揃え、充分な数の騎獣を集めるために金を用意したのも軍であるから、ただの雇われ考古学者でしかない私が文句を言える立場に無いということも、理解はしている。
理解していたとしても、納得はできていない。
掘るだけ掘って全貌が明らかになったからと、調査をやめる阿呆がどこにいる?軍には考古学の必要性を理解する者がいないのか?考古は発展の土台を強化する学問だ。昔の人たちが直面した問題や変化を明確にし、失敗と成功と、その理由を知ることで、同じ失敗を未然に防ぎ、より良い成功を得られる。
砂の上に城を建てる阿呆はいない。砂の上に建物を建ててもやがて倒れるということを過去の失敗から学んでいるからだ。同じように過去の成功と失敗を軽視するということは、学びの土台そのものを軽視にすることと等しい。
遺跡を掘り返し全貌を明らかにしただけで何がわかる?本当に重要なのは、これからだったのに。
思い出すだけでハラワタが煮えくり返る思いがする。
(軍はこれ以上の調査を行いません。もちろん、この遺跡の調査を禁止するようなことも致しません。調査を継続したい方は、どうぞお好きなようになさってください)
できるものならやってみろ。どうせ出来はすまい。マルクスとか言う軍人が内心でそのように思っているのが透けて見えた。
悔しくなってすぐに同僚たちと知恵を絞った。遺跡の保全。今後の調査。やりたいことは山ほどある。しかしやはり、とんでもない額の金が必要になる。
遺跡調査は儲からない。古代遺跡から金銀財宝が見つかるなんてのは物語の中だけのことで、儲からない仕事に金を出す出資者はどこにもいない。
結局、私たちには金がないから、今までのような大規模で効率的な発掘調査は諦めるしかない。という所に話は決着してしまう。
なんとも言えず、悔しかった。
考古の志ある者には実行できるだけの力はなく、できる力を持ったものには考古の志がない。本当に、世の中というモノは間違っている。
試合の支度が済んだことを知らせるラッパの音が、どこか遠い所で起きた出来事のように思えた。
「始まる始まる!お父さん見て!アドマイヤブラウン!キャー!ブラちゃん今日も可愛い!信じられる!?私今朝も昨日もあの子にご飯あげたの!頑張ってぇぇ!!」
眼下で二頭の騎獣がのしのしと対極のゲートから入場すると、もうじき高等学校を卒業する娘はそれだけで大興奮だ。連れてきた甲斐もあるが、人よりも大きなレイオン種が可愛いという感覚は私には理解できなかった。カッコいい、ではないのか?
ばしばしと肩を叩かれたから、騎獣新聞を折りたたんで娘の視線の先を見る。
アドマイヤブラウン。二番人気。ヴァーグナー育成牧場所属。人間の最も古い友と呼ばれる
と、既に折りたたまれた騎獣新聞に書かれていた。
娘がどうしてもジュニアチャンピオンシップを観戦したかった理由は、このアドマイヤブラウンという騎獣にあるらしい。
恥ずかしながら私は、近所の育成牧場にジュニアチャンピオンシップに出場できる将来有望な騎獣が居るとは知らなかった。
ここ二年の間、穴掘りばかり見てきたせいで世情に疎くなっている、人間と騎獣の歴史を研究する一人の研究者として、改めなければならないだろう。
それこそ今は不本意ながら多少暇ができたのだから、娘がアルバイトをさせて貰っているという伝手と言えなくもない伝手もあるのだし、牧場を見学させて貰ったりすれば良いではないか。育成牧場は騎獣生産の最前線なのだから、学べることは多いに違いない。
じきに試合が始まる。
総当たり戦の初戦、双方ともダメージが残る試合にはしたくない。そうなると見どころの無い試合になることが多いが、どうもこの一戦は事情が異なるようだった。
アドマイヤブラウンは全身の毛を逆立てて牙をむき出しにし、唸り声をあげている。とてもではないが加減する気があるようには見えない。
後ろに控えるトレーナーも、腕を胸の前でがっしりと組んでいて、ベルトにつっかけた降参の合図に使用する白いタオルに指先をかける様子すらない。
どう見ても、今度こそ勝つという決意が感じ取れた。
しかし今アドマイヤブラウンが対峙しているゴルトンディアマントは晩成型ばかりのレプタイル種としては異様なほど成長が早い個体であるらしい。
ルーキーイヤーを苦しい状態で進めるしかない種族の唯一の例外。騎獣競技会史上、初の全戦全勝でジュニアチャンピオンシップに到達したレプタイル種。それが娘が熱心に応援するアドマイヤブラウンの初戦の相手だ。
次のことだけを考えるのであれば、棄権するのが最も賢い方法だろう。今日まで負けなしの相手が今日だけ負けるかも知れないなんて考える阿呆はいない。
強い騎獣が勝ち、弱い騎獣が負ける。騎獣競技会では絶対の、そして無情な真理だ。
そんなことを新聞を読んで分かった気になっている私などよりも、二度の敗戦から身に染みて理解しているに違いないアドマイヤブラウンとトレーナーは、勝ち目があると見ているらしい。
アドマイヤブラウンが勝つところを見てみたいとは思う。しかし娘には悪いが、私には無謀に思える。
一目見て分かる体格差は酷いものだ。アドマイヤブラウンとてレイオン種の成獣と比べても見劣りしない四メートルほどの全長を誇っている。しかし近頃大流行らしい、猿じみた
あの、アドマイヤブラウンの胴回りほどの太さもある前腕はなんだ?タフさを盾に腕を振り回しさえすれば、それで決着がついてしまいそうではないか。
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