第1章
第1話 揺れる尾は流星にあらず
古い大理石でできた円形競技場が、どよめきと怒号で揺れた。
『タオルだ!タオルが投じられた!試合終了!勝者はゴルトンシュトーム!これは一体どうしたことだジルバ・ヴァーグナー!?こんな負け方は見たことが無い!前評判を覆し勝ったのは三番人気のシュトームです!圧倒的優勢と見られていたシェイクテイル!まさかの敗戦!ゴルトンシュトーム!これは大器の片鱗なのか!?あ!皆さん!応援券を放るのはやめてください!試合はまだ残っています!まだわかりません!まだわかりませんよ!』
ひらひらと舞い散る応援券を縫うようにして解説の大声が響いているが、私はその言葉の意味をいまひとつ理解できなかった。
思い出したように、喜びの歓声が上がる。それがシュトームの応援をしていた人達のものだと分かる。
それよりも遥かに大きな悲鳴や怒号は、シェイクテイルの応援をしていた人達のものだということは分かる。
普段なら前座としか扱われない新騎獣戦が、これ程の熱気に包まれるのは、シェイクテイルとゴルトンシュトームが、極めて有望な騎獣だったからだということも分かる。
『ジルバ・ヴァーグナーの新たな相棒シェイクテイルは、まさかの黒星スタートとなりました!夢の最年少トレーナー三冠が怪しくなってしまったか!?本日は五頭からなる総当たり戦ですので以降の試合に期待をかけたいところですが、シェイクテイル早くも満身創痍だ!どうするジルバ・ヴァーグナー!トレーナーとしてどのような判断を下すのか!?注目です!』
分からないのは、なぜ負けたのかということ。
相手のトレーニング事情は知らないが、トレーニングの質は五分以上だろう自信がある。少なからず現状で最適と思えるだけの調教を課してきたし、シェイクテイルも私の期待によく応えてくれた。
種族の優劣は、現時点で優勢だった。成長期が長い代わりに急成長が望めない
シュトームに才能があるのは確かだと感じたが、現状ではシェイクテイルの敵ではない。正直な所、負ける要素が無かったとすら思う。
しかし現実はどうだ。
三冠どころか八大会制覇すら狙えると確信していた
私の攻撃指示だけを、ひたすらに無視して、シュトームの攻撃をかわし、かわせない攻撃は上手く受けた。
私が何かおかしいと感じて降参を意味するタオルを投げ込むまで、シェイクテイルはそれを続けたのだ。
実況者に言われるまでもなく、そんな負け方は見たことが無い。
騎獣に限らず生き物なら何だって、痛いだけの時間には耐えられない。
戦闘経験の少ない若い騎獣であればトレーナーの指示を無視することも珍しくはない、攻撃を受けて戦意を喪失し逃げ回ることはある。逆に激昂し猛攻にでることもある。
大抵は逃げ回るか、戦うか。どちらかの対応策を本能的に選ぶものだ。
シェイクテイルに逃げる気が一切無かったことは、今なお
逃げもしないが、攻めもしない。けれど戦う意志は、確かに胸に抱えている。
その見たことが無い戦い様に、不思議な決意めいたものを感じた。
「ジルバさん、次の試合の用意があります、シェイクテイルを退場させてください」
「はい」
競技場には、既に勝者の姿は無い。
観客席には、僅かな余韻だけが残っている。
シェイクテイルは、自分が負けたことに気付いていない。
負けたと思っていないのかもしれない。
思えば当然のことだ。勝った負けたは人間の都合で判断される。相手をノックアウトするか、自分がノックアウトされない限りシェイクテイルに理解できる筈もない。
もしかするとシュトームが逃げたと思って、自分が勝ったと思っているかもしれない。
もしくはまだ、戦いが続いていると信じているのかもしれない。
この戦いごっこを始めるのも終えるのも、人間の役目だ。
「シェイクテイル。戻れ」
私が声を掛けると、唸るのをやめたシェイクテイルが駆け足で戻ってくる。
シェイクテイルは私の目前までやってくると、人間の手の平と変わらない大きさの舌で私の顔を数度舐めてからお座りをして、名前の由来である触手状の尻尾を伸ばし、私の右手をにぎにぎと弄ぶ。
大きな怪我はしていないようで、ひとまず安心する。なんなら、もう一戦できそうな余裕すら感じた。
にへ、と口を開けて笑う様子は普段と全く変わらない。撫でろ褒めろの合図だ。
お座りをしてなお私と同じ背丈があるシェイクテイルも、まだまだ数えで二歳と少しの子供だ、幼いとも言える。
若年期がベストでないのは、どの騎獣も同じこと。
そうだ。私とシェイクテイルの二人三脚は、まだ始まったばかりだ。
何が悪かったのかを分析し、正しい教育を与え、強い騎獣へと鍛え上げる。それこそ、
負けは負けだが、たかがデビュー戦で負けただけのことでしかない。デビュー戦から三連敗した騎獣が五冠を達成したことだってある。
黒星スタートだからと気にしすぎても、良い結果には繋がらない。
私は、シェイクテイルには冠を獲れるだけ獲らせて、絶対に
今度こそ絶対に、相棒を戦場になど、くれてやるものか。
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