第54話《理保》

 あくまでも優助の想像だが、たぶん正人は目標を見失っていた。ただの道具だとわかった時点で、ケモノへの直接的な怒りは行き場を失ってしまう。生産して運用している存在も、意思を持たぬ電算装置だ。憎み続けるには無機質すぎる。


「優助、話してくれてありがとう」

「話してよかったと思う。お互いに」


 優助の返事に、正人は苦笑した。重く深刻な話をしている場に似つかわしくない、失笑ともいえる反応だった。


「バレているみたいだな」

「俺の予想通りならね。きっと大変だろうけど、安心した」


 突き進む道がなければ、前に進めない。正人はケモノの正体についての公式発表後、燃え尽きたような危うさを漂わせていた。優助はその理由を、今になってようやく理解した。

 あの怪物は、所詮過去の名残り。市民の為に滅ぼす意味はあっても、拳をぶつける価値はない。父や婚約者の復讐という誓いは、ある意味心の支えだったのだろう。だから、人間と防人の共存という難題は、彼が走り出すためにはちょうど良い理由になったのかもしれない。


「お前、変わったな。俺に銃を向けられた時とは大違いだ」


 正人は指先を優助に向け、銃を撃つような仕草をみせた。初めて会ってから半年ほどしか経っていないのに、酷く懐かしいような気分になった。


「あの時は必死だったから」

「そうだな、惚れた女を守るために、人間に交渉を持ちかけるなんてな」

「もう、室長さん、からかわないでください」


 顔を赤くした理保の発言に、正人と優助は声をあげて笑った。初めて機人に 乗った時、あの場にこの人がいてくれて良かったと心から思えた。

 正人以外の人間であったなら、きっと優助は今この世にいない。そして、人間の世界はケモノによって、ゆっくりとすり潰されるように滅んでいっただろう。

 正人だけではない。特殊運用室の面々のおかげで戦うことができた。最終的に生き残れるかの保証は未だにないが、機人と彼らにより少なくとも可能性は生まれたのだ。


「これは、確実に長くなるぞ」

「わかってる」


 社会の仕組みを変えようとしているのだ。一朝一夕に済むことではない。


「たぶん、お前には辛いことを強いるぞ」

「ああ、覚悟はしてる」


 簡単にいかないということはよくわかっている。槍持ちや巫女を見捨てる選択は消えない。そして、優助は自身が槍持ちであったことを隠し続けるということだ。


「ならいい。うちの連中には俺から話す。報告は聞いていたが、落ち着くまで伏せていたことにするから、口裏を合わせろよ」

「ありがとう」


 配慮を配慮と理解し、素直に礼が言える。優助は、多少なりとも成長しているのだと自覚した。


 特殊運用室の中心メンバーが集められ、正人は優助のもたらした情報を語った。資料などは用意せず、口頭のみ。議事録も書かない。漏洩の危険性は最小限に留める内容だからだ。

 久美、斎藤、須山の三人は驚いてみせたものの、平静を欠くようなことはなかった。


「優助君、露骨に何か隠してましたしね」

「まぁ、俺らに言う前に室長に話す内容だな」

「そうでもないと、アレを動かせるわけがないし、納得ですよ」


 ということだ。つまりは、命を懸けた同士の信頼関係だ。


「この話は、この場を出たら口外禁止とする。俺からの指示があるまで、一切会話に出すな。これは命令だ」


 取り乱すことなく会話が成り立つのは、恐らくこの場の六人だけだ。それは正人の意見だけでなく、総意でもあった。

 十五分ほどでその場は解散となり、優助と理保は帰宅を指示された。翌日からは機人の修復作業が始まる。整備員達も、今日は早めに退勤するようだ。


「あ、そうそう、優助君。理保ちゃんも」


 格納庫を出ようとした二人を、久美が呼び止めた。いつものように、眼鏡の下は半分笑っている。


「みんな照れて口に出さないけどね、優助君と理保ちゃんで良かったと思っているよ。君らじゃなかったら、今はないともね。ありがとう。これからもよろしくね」

「はい……」

「はい!」


 自分が思っていたことを、仲間達も思っていた。優助は胸に何か熱いものが込み上げ、まともに言葉が発せなかった。


 その日はこれまでで一番の贅沢をした。

 奮発して高級な疑似鶏肉を買い、理保が甘辛い味付けをして焼いた。いつか食べた本物の鶏肉など、比較にならないほどに美味く感じた。

  貴重な水道水を貴重な電気で沸かし、湯船に浸かることもしてみた。「二人で浸かればお湯は少なく済むよ」という理保の提案には、邪な意味も含めて同意した。彼女の身体は、想像よりも美しかった。


 そして、薄い寝巻きを着たまま、二人はベッドの上で寄り添っている。照明は消して、月も見えない。優助は、触覚と嗅覚だけで恋人の存在を認識していた。


「ふふ、裸見られちゃったね。ようやくお互い様になれたよ」


 どこか嬉しそうに理保が呟く。

 怪我の介護をしていた際、一方的に優助の裸を見たのを今でも気にしていたらしい。妙に律儀なのも、魅力のひとつだ。


「綺麗だったよ」

「嬉しい。照れちゃうけど」


 熱と匂いで理保の顔が近付くのがわかる。優助は手探りで柔らかな頬に触れ、唇を合わせた。


「みんな言ってたから言いそびれちゃったんだけどね、私もね、あの時助けてくれたのが優助でよかったと思ってるよ。私が一番そう思ってる」


 自分の名前に意味をくれた少女。湿った吐息と共に聞こえる告白は、誰の言葉よりも優助を幸福にさせた。だから、滑らかな髪を撫でながらその想いに応える。


「俺もだよ。理保がいたから戦えたし、生きられた。それは、これからも」

「うん、嬉しい。私もそうなんだよ、優助だからなんだよ」


 これからの戦いは、これまでとは全く違うものになる。命令ではなく、意図的に同胞を防人として扱わなければならない。長い目で見て必要なこととはいえ、想像するだけでも吐き気を催すほど酷い行為だ。

 そんな中で、支え合える相手の存在は勇気になった。優助は大きな愛しさと不安を重ねて、理保の身体を強く抱き締めた。

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