第53話《兄弟》

 ただ、確かめたかっただけだ。あの頃は何も感じなかったことを、今の自分が見てどう思うか。人間としての扱いに慣れてしまった自分は、防人達を見て何を思うのか。

 視察という名目で訪れた槍持ちの詰所からは、懐かしい臭いがした。汗や垢、糞尿、そして食事だと思っていたものが入り交じった臭い。それを悪臭と感じるのは、優助が変わった証拠だった。


「どうぞ、汚いところですが」


 痩せぎすの男が申し訳なさそうに案内をする。この詰所を使う防人の経営者だ。汚くしているのはお前らだろう、そう口にしたくなったが、なんとか耐えた。優助は、あくまでも人間の英雄としてここにいるのだ。

 ササジマ市には複数の防人業者が常駐している。今回は正人の配慮で、元の持ち主とは違う防人が手配された。


「おい、座ってるんじゃない!」


 男が座り込む槍持ちに怒鳴り、蹴りつけた。自分に対する態度との違いに不快になるが、これも耐えた。


「いいですよ。そのままで」

「そ、そうですか。躾がなっていなくてお恥ずかしい……はは……」


 無理な愛想笑いが虚しく響く。英雄が突然訪れたのだから、緊張しているのだろう。自分と相手の立場により態度を変えるのが、普通の人間というものだ。

 経営者が違えども、扱いには大差がない。収益を考えたら、使い捨て前提のモノにはこれで充分だ。それに苛つく感覚が残っていたことに、優助は少しだけ安堵した。

 人間の生活を知ったからこそわかる。これは、狂っている。進化体は関係なく、人が人に行っていい行為ではない。



 先程蹴りつけられた槍持ちが優助を見た。怯えと恐れと怒り、様々な負の感情を含み濁った眼差しだった。これも、ケモノをおびき寄せるため、意図的に作られたものだ。

 もしかしたら、彼と自分は逆だったかもしれない。偶然に理保と出会い、偶然に機人を操っただけ。望んでもいないのに作られて、家畜以下の扱いを受けるなど、今の優助には耐えられないだろう。


 続いて巫女の保管場所にも訪れた。高価なだけはあり、槍持ちよりはいくらか良い環境ではあった。一応は毛布のようなものがあり、身体も洗われているようだった。

 槍持ちと違い、なんの感情も示さない。薄暗い中で目をこらすと、痣のようなものが点々と見えた。それ以外にも、擦り傷や首を絞めたような痕が目に付く個体もあった。

 直接戦わない巫女は、基本的に怪我をしないはずだ。もしケモノに肉薄するとしたら、怪我どころの話ではない。

 巫女は見た目を美しく作られている。それが使用不能にならない程度に傷付けられている。推測できる理由はひとつだけだった。


「そういうことですか?」

「あ、まぁ、ははは」


 男は渇いた笑い声をあげた。誤魔化しているつもりだろう。しかし、備品扱いの巫女をそばに置く自分も、対外的には同じようなものだ。

 

「そうか……」

「は、どうされましたか」

「いや、なんでもないですよ。では、帰ります」


 そう、結論はもう出ていた。ただ、口に出す決心がつかなかっただけだ。あの時、理保に話した通り、優助は共存を望んでいる。自分の立場が危うくなるかもしれないが、その時は理保と逃げよう。

 今日は来てよかったと思う。今も気持ちが変わらないことが、はっきりと確認できた。

 ならば、あとは手段だけだ。優助は、急ぎ特殊運用に向かった。壁から街の端までが、酷く遠くに感じた。


 ようやく正人の執務室に到着した頃には、もう日が落ちかけていた。息を整え、簡素なドアをノックする。


「入っていいぞ」


 部屋の中は、正人と理保がいた。それはまるで、優助が来るのを待っていたようだった。


「正人……」

「安心してくれ、理保からは何も聞いていない。まぁ、座れよ」


 促されパイプ椅子に座る優助を、理保が心配そうに見つめる。


「話す気になったか?」


 どうやら、隠し事があることなどお見通しだったらしい。


「ああ」

「そうか、聞かせてくれ」


 優助はあの場で得た情報を全て話した。

 ケモノの由来、進化体、日本の滅び。あまりにも突飛で衝撃的な話を、正人は取り乱すことなく最後まで聞いていた。


 正人は信用できる相手だ。少なくとも、無下に扱われることはないという確信があった。ただし、優助の望み通りに事が運ぶ保証はない。目的がケモノの全滅であるならば、防人は防人として使う方が効率的だ。

 だから、自分の意見を口にするのには、勇気が必要だった。


「ここまではわかった。で、お前はどう思う?」

「今日見てきて、改めてわかったよ。今は、間違っている」

「進化体が、上位だと?」


 正人の目が細まる。元々切れ長のため、ナイフのような鋭さに感じた。これは、優助から続く言葉がわかっていた上で聞いている態度だ。


「いや、上も下もない。共存したいと思う」

「そうか。いや、すまん。試すような物言いをした」


 そうやって素直に頭を下げるところが、正人らしいと思う。だからこそ、部下達に慕われているのだ。優助も、きっと理保も同じだ。


「お前の言いたいことはわかったよ。結局、親父が正しかったってことだよな」


 正人の父親、先々代の防衛部長は『防人にも人権を』と訴えていた。正人自身、防人への偏見が薄いのは父親の影響だろう。

 ただし、命を落とした原因も、その主義があったからだ。 理屈としては正人の言う通りだが、それで納得できるものなのか、親のいない優助にはわからなかった。

 

「親父の跡を継ぐみたいなのは気に入らないが、可愛い弟の頼みだからな。あと、弟の恋人もな」

「室長さん!」


 これは照れ隠しなのだと、優助には理解できる。話して良かったと思えた。


「ただしな、すぐには無理だ。根が深すぎる」


 後ろ向きな言葉を吐き出す正人の口は、明らかに笑っていた。優助も知らない何かに、火がついたようだった。

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