第26話《幸福》
ケモノをセンサーに捉えた機人は、攻撃のため自動運転に切り替わる。発掘兵器を未だ制御しきれないのは、特殊運用室としての落ち度だ。結果として市街地を突っ切り、道路や建造物に被害を与えてしまうこととなった。
優助による必死の操作で、機人は制御を取り戻した。その時、既にケモノへと肉薄しており攻撃を受けていたため、無断での戦闘を行わざるを得なかった。
そこまで説明して、久美は優助に向けて人差し指を振った。
「うちの室からの報告はこんなところね。そのまま市民への正式発表にも採用されたよ。優助君の悪巧み通りでしょ?」
「ですね。驚くほど」
「まー、室長は色んな所から怒られてたけどね。あ、これは秘密で。あの人自分の苦労を人に知られるの嫌いだから」
久美の口から語られたのは、あくまでも特殊運用室としての公式見解だ。当然、真実とは部分的に異なっている。
正人や優助の判断で機人を動かしたと知られれば、反逆だと受け取られても不思議ではない。それだけの綱渡りをしたのだと、発案者である優助自身も認識している。
だからといって、あのまま待機するという選択肢を選ぶつもりは毛頭なかった。それは、優助だけでなく正人をはじめとした格納庫にいた者の総意でもあることを知っている。
久美の説明は、責任を押し付ける意図がないことも含んでいた。優助にはそれが嬉しかった。
「で、ここからは君の意志とは関係なく決められたこと。きっと不愉快だけど感情的にならずに聞いてほしい」
久美らしくないもったいぶった前置きに、何を伝えられるかは予測できた。表情を窺う限り、きっと彼女も納得できていないのだろう。
「防衛部の発表では、今回の事件は被害者ゼロだった。ということになっているんだ」
「ああ、ゼロですか」
「そう、誰も死んでいないんだよ。だから君は、君が見たこと全てを話してはいけない」
概ね予想の通りだった。久美の言う通り不愉快ではあるが、理解はできる。ケモノに侵入された上に、発掘兵器を暴走させた。さらに人間へ被害があったのでは、防衛部は立つ瀬がない。
多少の脚色はあるだろうとは思っていたが、ゼロとは流石に想定外ではあった。
「あそこの人間は、数えなくても良い人間だったんですね」
「いや、そういうわけじゃないよ。数えなくてもいい人なんていないはず」
久美の言い回しに、優助は言葉を間違えたと感じた。彼女の心根は優しく繊細に思えた。
「いや、公式には数えなくても影響しない立場の人間だったってことですよね」
「ああ、うん、そうだね。そう……だね」
はっきりしない返事で、事実なのだと察する。優助が救えなかったのは恐らく、身分が低かったり貧しかったりする人々なのだろう。
数えなくても大勢には問題ない人間。それならば、まだ損害として数えられる槍持ちの方が、価値を見出されているのではないかとも思えてしまう。人間だからといって、人間扱いされるとは限らないことを知った。
「気にしないで。納得はできないけど理解はしています」
「うん、ありがとう。ごめんね」
久美の謝罪は優助だけに向けたものではないようだった。
優助の意識が戻ったことを、それほど長くは隠せない。これからしばらくは、ササジマ市の様々な部署から尋問まがいの事情聴取が続くそうだ。
そのための口裏合わせが、この会話の目的だった。特殊運用室としての悪巧み、防衛部としての悪巧み。それぞれを飲み込んだ上で、事情聴取に対応しなければならない。
互いの言動に齟齬が出ないよう、理保も含めた打ち合わせは一時間ほど続いた。
「それじゃ、そろそろ私も失礼するよ。急ぎだったとはいえ、無理させてすまなかったね」
「いや、大丈夫です」
「古宮さん、またねー」
久美が手を振りドアの向こうに消えると、部屋はしんと静かになった。小さく息を吐いた優助の体に、どっと疲れが押し寄せる。
「お疲れ様。横になって」
背中を理保に支えられ、ベッドに体を預ける。体を起こし会話するという行為は、自分で感じていたよりも負担が大きかったようだ。今になって脂汗が吹き出す。
「大変だったね。さっきは抱き着いてごめんね。とっても嬉しくなっちゃって。あ、返事はしなくていいから」
痛みの中、額から頬を滑らかな指が撫でる。少しだけひんやりして、心地よかった。
話すことにも疲れている。理保の言葉に甘えて、優助は口を閉じた。明るくて優しい、穏やかな声だけが耳に入ってきた。
「短い間にいろいろあったね。私ね、優助は休んでいいと思うんだ。優助はきっと頑張っちゃうから、無理矢理にでも休むために、体が痛くなったんだろうなって」
右側から小さく笑い声がする。優助は目を閉じて聞き入った。
「私があの時に《ユウスケ》だったあなたを《優助》って呼んでしまったから無理させてるのかなって、ちょっと後悔もしたけどね。でもね、優助は優助のまま帰ってきてくれたから、やっぱり《優助》が正しかったんだろうなぁと、私は自画自賛するのです」
歌うような声色は、優助の緊張をほどき、意識を蕩けさせた。まどろみの中「……きだよ」と聞こえた気がした。
その後数日は、理保の熱烈な看護と事情聴取に費やされた。その中でも都市計画部の人間は、優助の謝罪じみた報告に頭を抱えるばかりだった。
他部署からの事情聴取は、情報の整合をとるため、特殊運用室の人員は同席を禁じられている。しかし、備品である理保はその限りではなく、設置が許可されていた。一般的には巫女は余計なことを聞かないし、言わない。
理保が近くにいるという事実だけで、どんな場所でも、何をしていても落ち着いた気持ちでいられる。落ち着くだけではなく、無性に心が高鳴る時もある。
それは、槍持ちは本来感じることのない、幸福というものなのかもしれない。
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