第25話《報告》

 帰路は自動的に、市街地を避けた迂回路へ設定されていた。急いでいないならばそちらの方がいいと、優助は電算装置からの提案を受け入れていた。

 特殊運用室の格納庫に到着した機人は、中心部に着座し装甲を開いた。照明の光が闇に慣れた目に眩しい。


「優助!」


 機人へと真っ先に駆け寄ったのは、理保だった。手を振りほどかれた久美は、目を丸くしていた。あまりの勢いに、その他の職員も唖然としている。


「理保……」


 何とか少女の名前を口にする。思考が満足に働かない。体も腰と膝を中心に、まるで悲鳴を上げているようだ。


「ボロボロだな、おい」


 理保とその後に続いた斎藤の二人がかりで、機人から引っ張り出される。両方から肩を支えられ、何とか地に足がつけられた。

 一瞬気が抜けた拍子に、胃から何か熱いものが込み上げてきた。


「うっ……」


 呻き声に合わせるように、優助は意識が遠のく。全身に力が入らない。腹部の痙攣だけは激しさを増していた。


「優助! 優助!」


 愛らしさすら感じる悲鳴と、自分の吐瀉物に汚れた理保の作業着。それに申し訳なさを感じたのを最後に、優助の記憶は途切れた。



 目を開けると、白いものが広がっていた。意識はぼんやりとして、自分が何をしているのかもわからない。

 少しずつ焦点が合ってくる。白く見えていたのは天井だったようだ。ひび割れも汚れもない、綺麗な天井だ。優助は徐々に鮮明になる意識で、現状を把握しようとした。

 自分が寝ているのは、恐らく人間用のベッドだ。柔らかく体を支える異常さには覚えがある。掛けられている毛布も温かく、違和感が拭えない。


「んぅ……」


 優助の右側から吐息の漏れるような声がした。その正体を優助は知っている。間違えようのない声だ。

 首を回そうとしたが、引きつるような痛みで上手く動かせない。首以外の部分も動かすには痛みが先行し、力を入れることができなかった。


「ぁ……」


 喉はカラカラで、声はろくに出ない。呼びかけることもできず、優助は仕方なく天井を見つめた。しかし、彼女が近くにいるという事実だけで満足だった。


「んぅ」


 身じろぎするような気配がする。かすかな衣擦れの音が聞こえるほど、ここは静かな場所だった。


「あ、寝ちゃってた。優助ー、そろそろ起きてほしいよー」


 ようやく意味のある言葉を発した理保は、優助の顔を覗き込む。あえて幼さを残して調整された端正な顔立ちが、視界を支配する。

 本来は無表情である美貌に意思が見えることが、理保が理保である理由のひとつだった。


「わっ!」


 感嘆の声を上げ、理保は三秒ほど固まった。大きな瞳が揺れている。


「優助!!」


 そして、毛布越しに思い切り抱きついた。

 指一本動かせず、声も出せない優助は、全身を襲う痛みに耐えることしかできなかった。

 熱烈な抱擁は、騒ぎを聞きつけた正人達に引き剥がされるまで続いた。


「ごめんなさい」


 体を起こされた優助は、部屋の隅で小さくなる理保を見つめていた。感情が豊かすぎる姿は、飽きることがないと思えた。

 駆け付けた医者の話によると、あちこちの筋肉が断裂しているそうだ。数日経てば完治するだろが、それまでは安静にしている必要がある。

 骨や内臓には損傷がみられないのは僥倖と言われた。ただし、食べ物は消化のいいものにしろとの指示だ。

 治るまではあまり身動きができないということだ。必然的に、この救護室で何日か寝泊まりすることになる。


「理保ちゃんね、ずっと優助君のこと見てたんだよ。だから、許してあげてね」


 久美が笑いながら弁護をする。それを聞いた理保はますます小さくなっていった。

 優助はケモノの排除から帰還した後、約一日半の間眠っていたらしい。いつ目が覚めるかわからないからと、ベッド脇の椅子で見守っていたらしい。


「そもそも、怒ってないよ。ありがとう、理保」


 掠れた声で答える。一口だけ飲み込んだ水は、何とか話ができるくらいには喉を潤してくれた。


「優助ー」


 理保の声は少し震えていた。


「目が覚めたばかりで悪いが、報告を聞かせてくれ。あの夜、何があった?」


 割って入った正人は、どことなく疲弊しているようだった。無理もないと思う。

 暴走したことになっている機人が街を突っ切り、道路や建物を一部破壊した。そんな中、唯一事情のわかる優助が、意識不明だったのだ。恐らく、関係各署から責められているのだろう。

 しかし、正人はそれに対する謝罪や弁解を求めてはいない。彼はそういう男なのを、優助は短い付き合いの中で知っていた。


「ここで、いいのか?」


 目だけで室内を確認する。医者が退室した後に残っているのは、正人、久美、須山、斎藤、優助、そして理保の六人だ。


「ああ、構わん」


 正人に促され、優助はゆっくりと口を開いた。あの惨状とケモノの異常な行動を思い出すだけで気分が悪くなる。しかし、これは伝えなければならないことだ。


「ケモノの動きが違った」


 ケモノが食事を中断したこと、機人を見て逃げ出したこと。子供が食われたであろうこと。不快感を抑え、それらを可能な限り詳細に語った。


「そうか」


 正人が沈痛な面持ちで頷く。口数の多い久美も黙ったままだ。


「よくやってくれた。あとは任せてゆっくり休め。古宮、後を頼む」

「はーい」


 足早に部屋を出ていく正人の背中を見送った久美が、優助に向き直った。


「ちょっとだけ、お姉さんと口裏合わせをしよう」


 少しずれた眼鏡の位置を直し、久美は人差し指を立てた。

 その笑顔から出てくるのは悪巧みだろう。そもそもの悪巧みをした張本人である優助は、思わず顔をしかめた。

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