第14話《正人》

 桜井に腕を掴まれたまま、優助は庁舎内を早足で移動した。怒っているとも憮然としているとも捉えられる表情からは、その本心を窺うことはできなかった。


「やられた。遊ばれたな」


 市役所の門を潜ったあたりで、桜井はようやく口を開いた。


「遊ばれたって?」

「いや、こっちの話だ。それよりも、説明が途中だったな」


 頭を二度ほど振り、これまでと同じような無表情になる。彼が意図的に感情を見せないようにしていることは、少ない時間でも察することができた。つまりは、わかりやすい男ということだ。

 そして、口はあまり上手くない。


「まずは、着いてきてくれ。口頭で説明するよりも、見た方がわかる」

「はい、あっ……」

「なんだ?」


 歩き出そうとした桜井を、思わず呼び止めてしまった。今ここで聞く必要もないのだが、このまま誤魔化すこともできなさそうだ。


「あの、何と呼んだら? 兄弟ということでしたが」

「あー、そうだよな。あの人はもう……。正人でいいよ。あと、名目上は兄弟だから、敬語もできる範囲で控えてくれ」

「はい……いや、うん」

「それでいい」


 優助は、会話をすることに少しずつ慣れていた。それは、まるで自分が本当に人間になったと錯覚してしまうようだった。

 槍持ちとして言葉を吐き出すのは、挨拶としての名乗りと祈りを求める絶叫くらいだ。倉庫での私語は禁止されていたし、親しくなるほど長く生きることもない。


「ま、正人」

「お、なんだ?」


 指定された呼び名を口に出すのに、優助は妙な緊張を感じた。これが、照れというやつだろう。自動学習装置から入力された知識だけはあるが、実感するのは初めてだった。

 正人も、どこか落ち着かない様子だ。


「俺の持ち主はなんと?」


 優助の所有権は、防人の経営者にあるはずだ。ササジマ市と近隣二都市に拠点を持ち、比較的影響力が強い。

 あのケチな持ち主が、たった一個体とはいえ無償で都市に提供するわけがないと思う。きっと足元を見られたのだろう。

 それが正人にとって不利になっていないか、心配になっていた。


「それは気にするな。防人の必要数を見誤った失態を水に流すと言ったら、大喜びで飛び付いたよ。それはそれで不快ではあったけどな。だから優助、お前はもうこっちの人間だ」

「わかったよ」


 気になっていたこととは多少違う回答だったが、納得ができた。それに、安心させるように、ゆっくりと丁寧に説明してくれたことが嬉しいと感じた。


 それから正人に先導され、また街を歩いた。中心部から離れるにつれ、人々の喧騒は徐々に静まり、補修されずに崩れた建物が多くなっていく。

 しばらく進むと、ビルと工場が一体になったような建物が見えてきた。半分廃墟のような周囲とは対象的に、しっかりと補修されている。


「ここが、俺達とお前の職場になる」


 そう言って正人が指差した看板には《ササジマ市防衛部特殊運用室》と書かれていた。


「ここの、室長?」

「そうだ」


 室長ということは、この建物の長ということだ。自分の兄となる男は、人間の中でもかなり上の立場だということを改めて認識した。

 そんな室長に引き連れられ、工場部分の入口に向かう。


「室長、お疲れ様です!」

「おう」


 入口の脇に立っていた警備員と思わしき男が、背筋を伸ばし挨拶をした。

 外見から判断すると、警備員は正人よりもだいぶ年上だ。人間は年齢によって上下関係が決まると入力されていたが、例外もあるようだ。


「そちらは?」

「ああ、明日から配属される。俺の、あー、弟だ。見学と紹介で連れてきた」

「弟さんですか」


 警備員は怪訝な眼差しを優助に向ける。それもそうだろう。いきなり明日から配属の弟など、怪しまない方がおかしい。それが警備員の仕事だ。


「事情があって引き取ったんだよ。深く聞かないでやってくれ」

「は、失礼しました」


 踵を合わせた警備員の肩を叩き、正人は建物の中に入る。やはり、人間の立場というのは、年齢とは直接関係がないようだ。

 正人が特別なのかもしれないが。


「気を悪くしないでくれ。真面目なんだ」

「うん、わかってる」


 飾り気がない廊下の先に、大きな両引きの金属扉が見えた。あの時の列車内で見た以上の、頑丈な作りだ。大きさは比にならない。


「俺だ、開けてくれ」


 正人が扉を三度叩き、大声を出す。音の響きから考えると、奥はだいぶ広い。


「俺さんは帰ってください」


 中から女の声が聞こえた。正人をからかっているつもりなのだろう、半分笑っているような言い方だ。


「いいから、開けろ古宮こみや

「はーい」


 鍵を開ける金属音の後、重々しく扉がスライドした。おそらく電動による自動式だ。

 徐々に開いていく隙間から姿を見せたのは、眼鏡をかけた若い女だった。癖のある赤茶色の髪を雑に括り、くすんだ薄緑色の作業服に身を包んでいる。優助よりも頭半分ほど小さく、小柄の部類に入る背丈だ。

 半分ほど開いたところで、扉は動きを止めた。


「この中の連中だけは、お前の事を知っている。俺の信頼できる部下だ」


 正人の言葉を受けて、古宮と呼ばれた女が満面の笑みを浮かべる。


「こんにちは。信頼できて優秀で美しい部下の古宮こみや 久美くみだよ。君が噂の優助君だね。よろしくねー」


 優助に向けて激しく手を降る久美を指差し、正人は眉間にしわを寄せた。


「信頼はできるし優秀ではあるが、人格はこの通りだ」

「はぁ」

「酷いなぁ室長。訴えますよ」

「やってみろ」


 二人の軽いやり取りには、確かな信頼関係が感じられた。


「今日は見学だよね? あの子もお待ちかねだったよ」

「お待ちかね?」


 優助の返事を聞く前に、久美は体を横に避けた。

 広い倉庫のような内部に窓はなく、大量の照明で全体が照らされている。天井から吊り下げられている幌のようなもので遮られ、奥まで様子を見ることはできなかった。

 それよりも、優助の視線は一箇所に釘付けになった。

 久美と同じ作業服を着て、優助に背を向ける方向で折り畳み椅子に座っている人影。太めの三編みにされているが、あの髪の色は見間違うことはない。


「おおーい、優助君が来たよー!」


 久美が声をかけると、三編みを翻し、彼女は振り返った。

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