第12話《市役所》

 人間になるという言葉は、何を意味しているのか。優助には全く見当がつかなかった。

 そもそも人間と槍持ちは別の存在だ。世に生を受けた段階から異なっている。人間から出産された者と、工場で生産された物。同じであるはずがない。

 見た目は似ているが、ただそれだけのこと。誰もが知っている一般常識だ。

 だからこそ、桜井の発言に優助は混乱した。


「それは、どういう……」

「まぁ、着いて来い」


 背中を向けた桜井は、質問に答えないまま歩き出す。仕方なく、優助もそれに続いた。

 靴と靴下というものは、違和感が酷い。履いて歩くように指示されていなければ、すぐに脱ぎ捨ててしまいたかった。


 三十分ほど歩いただろうか。道すがら、たくさんの景色を見た。

 ひび割れを補修したビル、剥がれた舗装を砂利で埋めた道路。行き交う人々はそれぞれ思い思いの顔をして生きている。慌ただしい様子だったり、談笑していたり、赤子を抱いていたり。

 優助には、彼らが何をしているのかうかがい知ることはできない。ただ、ひとつだけ言えることがあった。

 そこは、死がすぐ近くに存在しない穏やかな世界だった。

 それは、優助にとってあまりにも異質な世界だった。


「これが、お前達の守っているものだ」


 先を歩いていた桜井が首だけ振り返った。


「俺達はこれのために作られたと?」

「そうだ」

「そうですか」


 人間をケモノから守るため、槍持ちや巫女は生産される。槍持ちが人間を模した感情を持たされているのは、ケモノをおびき寄せるために過ぎない。

 優助は、自覚なく歯を食いしばっていた。


「これになれと?」

「いや、違う」

「じゃあ、何を」


 大声を出しそうになったところで、桜井が体ごと振り向く。優助の両肩を掴み、長身を屈め顔を覗き込んだ。

 想定外に力が強い。人間の男が着るスーツという服は、人を細身に見せる効果があるようだ。


「俺の口からはこれ以上言えない。余計な事を言ったのは謝罪する。だから、目立ちすぎないように頼む」

「はい」


 優助は口を閉ざした。『謝罪』も『頼む』も、槍持ちに対して使う言葉ではない。それだけの事を言わせてしまったことに、少なからず罪悪感を覚えてしまっていた。


「着いたぞ」


 桜井が指し示すのは、一際異彩を放つ建物だった。木材、石材、金属、コンクリート等、様々な建材で継ぎ接ぎがされている。

 古いものを無理に存続させようという、執念じみたものすら感じる様相だった。

 入口の上には大きく《ササジマ市役所》と書かれた木製の看板が見える。


「市役所?」


 見るのは初めてだが、自動学習装置で知識だけは持っていた。市役所というのは、都市の運営を司る重要な場所だ。ここがケモノに襲われたら、都市は壊滅したも同じと記憶させられている。


「入るん、ですか?」

「ああ、こっちだ」


 優助は思考をすること自体が無駄だと、ようやく理解した。これまでの常識と違いすぎて感覚が追いつかない。

 桜井に先導されるまま、庁内を進む。広さ、構造、装飾、その全てが優助を拒んでいるようにさえ思えた。


「ここだ」


 巨大な両開きの扉を前に、桜井は足を止めた。四角形を主とした幾何学模様に彫刻された木製の扉は、見るからに分厚く重そうだった。

 数度深呼吸した桜井は、扉に取り付けられている金具を使い、ノック音を四回立てた。


「桜井室長です。特殊事案対象の移送をして参りました」

「入れ」


 緊張した様子の呼びかけに応じ、扉の向こうから男の低い声がする。


「は、失礼します」


 桜井は、ノブを回しゆっくりと扉を開いた。その中は、ロビーや廊下とは打って変わった、飾り気のない部屋だった。

 奥には、口元に髭を蓄えた壮年の男が座っていた。鋭い目つきに射抜かれたようで、優助は一瞬体の動きが止まった。


「お前も入れ」


 部屋に数歩入った桜井が、入室を促す。なんとか足は動きそうだ。


「失礼、します」


 正しい作法などわからず、恐る恐る足を踏み入れた。絨毯の柔らかい感触が気味悪かった。

 優助が入室したことを確認し、桜井は扉を閉める。蝶番がかすかに甲高い音を鳴らした。


「うむ」


 扉が閉まったことを確認した髭の男は、背もたれの高い椅子から立ち上がり、破顔した。


「待っていたぞ、正人」


 立った勢いのまま、入口近くまで来て、桜井の肩を強く叩く。背は高くないが、がっしりとした体格をしている。 その太い腕によって、桜井の体が前後に揺れた。


「部長、やめてください」

「ああ、そうだったな」


 最後にもう一度背中を叩き、部長と呼ばれた男は優助に向き直った。その視線は桜井に向いていた時と違い、笑っていなかった。


「君に話しがあって、呼び出した。いくつか聞きたいこともある。遠慮とかマナーはいいから、まずは座ってくれ」


 小さなテーブルを挟んで、対面に二脚ずつ並んだソファを指差す。口調だけは柔らかかった。

 指示に従い優助が座ると、男はその向かいに腰を下ろした。桜井は直立不動のままだ。


「ユウスケと言ったな。優しくて助けると書いて優助」

「はい」

「私は、ササジマ市防衛部長の柳沢やなぎさわ 優作ゆうさくだ。同じ優がつくな。よろしく頼むよ」


 薄い髪を頭に乗せて、柳沢は柔和な笑みを浮かべる。ただし、眼光だけは突き刺すようだった。


「そこのまさ……桜井から少しは聞いているただろう。君を人間として扱うことに決まった」

「どういう、意味ですか?」

「言葉のままだよ。君はキジンと呼んでいるそうだが、あれを駆って人間を救う。その大役を担う者が槍持ちでは格好がつかん」


 柳沢の話では、機人は優助以外を受け入れなかったらしい。それどころか、起動すらしなかったという。

 外部起動装置は停車したままの列車にあり、今は使うことができない。その回収にもケモノの驚異が付きまとう。

 そこで、機人を稼働させる唯一の存在として、優助を活用することが市議会で決定となったそうだ。


 そこには拒否権など存在しないだろう。

 優助は目を閉じる。理保の笑顔が瞼の裏に写ったようだった。

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