第2章『変転』

第11話《拘置所》

 優助を乗せた列車は線路を逆走し、ササジマ市に到着した。車内に降車を促す放送が流れる。

 床に座り込んでいた優助は、とりあえず立ち上がった。列車での移動が快適だと思ったのは初めての経験だ。窓から見える太陽は、徐々に傾き始めていた。

 自分も降車すべきか思案していると、ドアをノックする音が聞こえた。そういう文化があることは知っているが、どう対応していいのかはわからない。


「入るぞ」


 しばらく呆然としていると、声と共にドアのレバーが動かされた。この声は確か、桜井と名乗った人間だ。優助をこの部屋に案内した男でもある。


「返事くらいし……ん? ベッドは使わなかったのか?」


 綺麗にシーツが敷かれたままのベッドを見た桜井が、文句を中断して問いかける。


「あ、いや、汚れると思って」

「そりゃあ、汚れるだろう」


 首を傾げつつ「まぁいいか」と呟き、言葉を続ける。


「お前にはこれから査問部より事情聴取を受けてもらう。しばらく勾留されるから、そのつもりでいろ」

「処分、しないんですか?」

「できないんだよ。着いて来い」


 吐き捨てるように言う桜井に続いて、優助は部屋のドアを潜った。


「理保は、無事ですか?」

「お前に知る権利はない」

「そうですか」

「俺もだけどな」


 理保の安否は確かめられなかった。知らないのであれば、これ以上問い詰めても無駄だろう。諦める事には慣れている。


「あれは貴重な個体だ。安易に処分されることはないはずだ」


 桜井が振り向かずに呟いた。それ以降は無言で車内の通路を進み、列車から外に出た。


「あぁ……」


 感嘆を漏らすことしかできなかった。そこには溢るような数の人間達がいた。皆が皆、穏やかな表情をしている。優助はそんな光景を知らない。


「駅は、初めてか?」

「はい、壁の内側は」

「そうか。行くぞ」


 ケモノを避けるため、都市は高さ十五メートル程度の壁に守られている。ただし、壁と言っても全周を囲っているわけではない。常に増築をしていて、ここササジマ市ではようやく生活圏の半分といったくらいだ。

 その穴を埋めるため、各所に防人の詰め所が配置されている。名前こそ詰め所だが、実際には倉庫と呼んだほうが違和感がない粗末な建物だ。

 生産された彼らは、壁の切れ目に配置された倉庫に配備される。そして、ケモノの襲撃時に駆り出され戦う。槍持ちと巫女で扱いに差はあれど、結局は人間が扱う道具のひとつであった。


 優助も本来であれば、内側には足を踏み入れることなく死んでいくはずだった。理保と出会い、機人を操った事で、それは大きく変わってしまったようだ。


 拘置所に入ってすぐ、優助は生産されてから初めて体を洗うという行為を体験することになる。シャワー室に放り込まれ、職員二人かがりで汚れや垢を流された。

 髪は短く切り揃えられ、眉も整えられる。真新しい襟付きシャツと足首まであるズボンにも着替えさせられた。

 鏡を見ると、まるで自分が人間になったようだった。


 優助が入れられた居室は、槍持ちの倉庫に比べれば抜群の居住性だった。人間のために作られた施設なのだから、それも当然だろう。

 両手両足をプラスチック製の枷で拘束された事情聴取も、苦痛には思わなかった。査問部の担当を名乗る男達は、質問に答えれば平手打ちすらしない。時折癇癪を起こして鞭を振り回す、優助達の持ち主とは大違いだった。

 何よりも驚いたのは食事だった。列車で食べたビスケットと同じものを「こんなものしかなくて、すまんな」と手渡された。あれは『こんなもの』と謝るくらいに粗末なものだったらしい。

 事情聴取を受けた数日間で、優助の持つ人間の印象が大きく変わっていった。


「おい、出ろ」


 ベッドで寝る事を覚えた優助は、その声で身を起こした。呼んだのはいつもの査問部の男ではなく、防衛部の所属と言っていた桜井だった。

 防衛部とは、その名の通り都市の防衛を受け持つ組織だ。人間は基本的に壁の建築や補修を行い、直接ケモノに対峙する部分を防人へと委託している。


 知っていることは、事情聴取で全て話した。機人を操れるのは一人だけというのも、咄嗟についた嘘だとも白状した。

 つまり、優助にはもう何の価値も残っていないということだ。あとは、この場で処分されるか、防人に返されて処分されるかのどちらかだろう。


「桜井さん」

「なんだ?」


 だから、どうしても誰かに伝えたかった。その相手が桜井というのは悪くないと思う。


「人間の生活というのをやれてよかった。感謝している」

「は? これがか?」


 桜井は少し声を荒らげ、優助が使っていた居室を指差す。何に驚いているのか、理解できなかった。


「いや、いいや。行くぞ」

「はい」


 逃げ出すことはないと判断されたようで、手足に枷は付けられていない。元より逃げ出すつもりなどなかったが、多少は嬉しい気持ちになる。

 自分の扱いには何の不満もない。しかし、やはり理保のことが気になってしまう。

 無駄だとわかりつつも、優助は桜井に問いかけた。


「理保は、どうなりましたか?」

「俺には言う権利がない」

「そうですか」

「ただ、これだけは先に伝えていいと許可を得ている」


 拘置所の門を通り過ぎたタイミングで、桜井は優助に振り向く。


「お前は今日から人間だ」


 その言葉の意味を、優助は理解できなかった。

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