第8話《優助》
ユウスケを体内に抱いた機人は、格納庫となっていた車両に戻り、腰を下ろした。前面の装甲が開き、冷えた空気が中に入り込む。
ベルトから開放されたユウスケは、身じろぎするのが精一杯だった。
「ユウスケ!」
自分の名を呼ぶ声も、まるで夢の中のように感じられた。
疲労感に包まれ全身汗だくの体は、まともに動かない。必死に気を張っていなければ、意識すら保てないような有様だった。
情報照射装置のおかげで、機人の操作や戦法に戸惑うことは一切なかった。ただし、肉体はそうもいかないようだ。 戦闘行動に伴う衝撃や振動に耐えるため、ユウスケの肉体は酷使し尽くされていた。
「大丈夫? 怪我はない? 辛くない?」
「なんとか」
理保に応えるために、機内から体を起こすだけでも一苦労だ。
感情と機人の性能に任せた戦い方は、一言で言えば雑なものであった。自覚はしていたのだが、自身の暴走を止めることができなかった。
言ってしまえば自業自得である。もっと負担を抑えた戦い方をしなければ、体が保たない。ただし、次があればの話だが。
「よかった」
「ああ、よかった。君を守れて」
「ありがとう。でもね、私はね、ユウスケが無事でよかったんだよ」
理保が今にも涙を流しそうな笑みを見せる。ユウスケはそれを不思議に感じてしまっていた。
自分は死ぬのが当然な槍持ちだ。無事を喜ばれたのは、生産されてから初めてのことだった。
「俺が、無事でよかったのか?」
「当然だよ。本当によかった」
「そうか」
心の暖かくなる、感じたことのない心地よさだった。
「動ける? とりあえずどこかで休んで」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
理保のおかげで、多少は意識が鮮明になってきた。今のうちにやっておかなければならないことを、いくつか思いついた。
機人に念じて、周囲に人の反応がないか調べる。生存者がいたら救助に向かいたい。
結果は、この場の二人のみ。探知できた人の名残は、肉や骨の欠片くらいだった。
ユウスケはため息を押し殺した。槍持ちの仕事は、完全に失敗だ。防人と言う名が聞いて呆れる。
たぶん、自分は回収後に処分されるだろう。
それでも、理保の護衛だけは全うしたい。貴重な巫女としてではなく、理保という少女としてだ。
ユウスケは機人をアイドリング状態で待機させ、周囲の警戒を指示した。人やケモノを含む脅威となり得る存在が接近した際は、警告音を鳴らすようにと設定しておく。
これで一旦は安心だ。機人から離れ、休むことができる。
「お待たせ、行こうか」
「うん」
装甲の縁に手をかけ、なんとか立ち上がる。機外に足を踏み出したのはいいが、足の震えが治まらない。思うように歩けず、ふらついてしまう。
「ユウスケ、肩」
「あ、いや」
ユウスケは、差し伸べたられた理保の手を取るのを躊躇った。ボロボロのTシャツ、血と汗とケモノの体液でべとつく体。
こんな汚いものは、理保に触れてはいけない。自分のような存在で汚していけないような、どこか神聖な存在だと感じていた。
「何してるの、ほら」
「あ……」
そんな葛藤に構うことなく、理保はユウスケの腕を自身の肩に回した。淡い色をした巫女の衣装が、部分的に茶黒色へ染まる。
異性にこれ程近付くのは初めてのことだ。頬をくすぐる髪と甘い体臭に、あらゆる思考が中断された。
金属で作られた格納庫の床でも、寝転がってしまえば体を休めることができた。理保がどこからか持ってきてくれた、人間用の毛布のおかげでもある。
槍持ちの宿舎では、コンクリートの床へ直に寝ていた。それが普通だったから、柔らかい毛布は素晴らしかった。
ユウスケは自分でも気付かない内に、微睡みに飲み込まれていった。
目が覚めた時には、周りはすっかり暗くなっていた。
頭の下に柔らかく温かいものがある。心地よさと違和感を覚え、未だもやのかかった思考と視線を巡らせた。
「あ、起きた?」
「ああ……」
ちょうど真上に、目を細めた理保の顔が見える。体勢から判断すると、おそらくユウスケの頭の下にある柔らかいものは、彼女の太ももだ。
慌てて身を起こそうとするが、頬に両手を当てられ、動けなくなってしまう。
「待って、もう少しこのままで。私の話を聞いてもらえないかな?」
「ああ」
全身が熱くなり、まともな返事ができずもどかしい。
「さっきも言ったけど私ね、巫女なのにこんなんだから不良品だったんだ。処分の直前で、あの子に祈りを保存する力があるらしくって、都市の研究施設に売られたの」
「ああ」
細く滑らかな指が、頬から頭に動く。汗と皮脂で固まった髪を解すように、ゆっくりと撫でられた。
「人間は私に優しかったよ。巫女の見た目だったり、特殊な存在だからだったり、色々な理由があるからなんだけどね。でも、みんないなくなった。たぶんね、あのケモノは私が呼んだんだと思う」
ユウスケの顔に水滴が落ちた。
涙で濡れた頬に、傷まみれの手を伸ばす。
「君は悪くない」
言えたのは、ただの一言。気の利いた言葉など思い付かなかった。
「ありがとう。優しいね」
それでも、理保は笑顔を作ってくれた。無理をしてでもそれができるなら、まだ良いのだろう。
「ユウスケの名前の意味を決めるって言ったでしょ? 最初は、勇気があって誰かを助ける人って意味で勇助って思ってた。でもね、あなたの寝顔とさっきの言葉で印象が変わっちゃった」
指が再び頬に移った。理保の瞳は真っ直ぐにユウスケを見つめていた。涙は止まらず流れ続けている。
「優しくって私を助けてくれるから、あなたは優助」
「そうか、優助か」
自分の名に意味ができたのは、悪い気分ではなかった。その意味も、好ましいものだ。
このあと処分されるにしても、死んでいった仲間達への自慢話になる。
その後、理保が探してきた人間用の保存食を食べた。チョコレート味のビスケットと記載があった。
槍持ち用の食事は、必要最低限の栄養と腹を満たすことだけを考えたものだ。味などという概念はない。
甘く歯ごたえのあるビスケットをかじる。最後の晩餐には、上出来が過ぎると思えた。
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