第3話《鍵》

 隣の車両に駆け付けた時は、既に遅かった。

 研究者らしき若い女の首筋に、ケモノが噛み付いている。こうなってしまってはもう、助ける術はない。噛み千切られ、絶命するのを待つのみだ。

 ユウスケの姿に気付いた女は、血の気を失った顔で何かを言おうとしている。しかし、潰れた喉では声を発することができなかった。

 話すことを諦めた女は、自身の背後を指差した。その先には、頑丈な作りの扉が見える。ケモノの力でも、簡単に破壊することはできないだろう。


 扉を指し示した後、女の体から力が抜けた。意識を失ったか、それとも命を失ったか。

 どちらにしても大差はない。最終的にはケモノの餌になるからだ。その証拠に、目の前の怪物は優雅に食事を始めている。

 ユウスケは、女の手から鍵らしき物が落ちるのを見た。背後にある扉を開けるものなのかもしれない。

 気にはなるが、それどころではない。助けることができなかった今、速やかにこの場を離れなければならない。

 食べ終えたら、おかわりは自分だ。

 ユウスケは踵を返し、車両から外へと飛び出した。


 外はまさに地獄絵図だった。

 逃げ惑う者、槍で応戦する者、石が当たり吹き飛ぶ者、そして食われる者。

 巫女のいない状況では、どうあがいても生き残るのは不可能に近い。

 列車のトラブルと防人の読みの浅さが重なると、こういった悲劇が起こる。頻繁にあるわけではないが、珍しい話でもない。

 たまたま運がなかったのだ。そこに必然性はない。


「終わりか」


 ユウスケはかすれた声で呟いた。

 研究者を食べ終えたケモノが、車両から顔を覗かせる。ユウスケは漠然と『こいつに食われて死ぬのか』と考えていた。

 槍を持った姿を見て、食べ物でなく敵だと判断したのだろう。大きく鋭い爪が迫る。ユウスケは反射的に半身になり攻撃を避けると、その勢いで槍をケモノの腹部に突き刺した。

 その行動に自分でも驚いてしまった。頭では生きることを諦めていた。しかし、体は死に抗っている。


 槍を刺したところで、祈りを捧げる巫女はいないというのに、何をしているのだろうか。いつまでも避けられるわけがないのに、何をしているのだろうか。

 列車の異常を察知して助けが来るまで、早くて丸一日。それまで逃げ切れたとしても、ユウスケは所詮槍持ちだ。護衛対象を守りきれなかった不良品として、その後の処分は免れないだろう。

 そもそも助けが来るという保証もない。

 どうあっても死が待っている。ただ、諦めるのには体が拒否をする。


「くそっ」


 矛盾する心と体。苛ついたユウスケは、体の判断に従うことにした。どうせ死ぬなら思いつくことを全てやってからにしよう。

 槍が刺さり暴れるケモノを尻目に、先程の車両に向かう。

 あの強固な扉の中に逃げ込めば、暫くはケモノの攻撃にも耐えられるだろう。助けが来るのに賭けて、籠城してやる算段だ。

 女が落とした鍵で開いてくれるのを願うばかりだ。

 駆け込んだ車両の中には、真っ赤に染まった白衣が引き千切られ散乱していた。肉や骨は綺麗になくなっていて、そこに人がいた痕跡は暗い赤色が示すのみだった。


「あった」


 血溜まりの中に、大きめの鍵を見つける。拾い上げると、付着した血が滴った。

 身につけたボロボロのTシャツでそれを拭うと、鍵は金色に輝いた。ネームプレートのようなものが着いていたが、全ての文字を読むことはできなかった。


「ん……ユニット……リホ?」


 工場で生産された者は、出荷直前に自動学習装置で脳に直接、様々な知識を入力される。ケモノとの戦闘技術や、言語能力、持ち主への忠誠等だ。個体の能力が高い者は指揮命令の知識も入れられるらしい。

 そのため、ユウスケも最低限の読み書きはできた。しかし、難しい文字や専門用語は理解できるはずもなかった。

 とはいえ、今から無断で侵入するのだ。この中に何があるのかなどと、考えている場合ではない。


「開いてくれよ」


 願いを込めて、鍵穴へと差し込んだ。引っかかることなく、すんなりと差し込めた。

 右に捻るが動かない。焦りつつ左に捻ると、カチャリと金属音がした。

 鍵をポケットにねじ込み、扉に付いたレバーを引く。半開きの扉から、ひんやりとした空気が漏れ出してきた。ユウスケは中に入り、内側から鍵をかけた。


「なんだ、これは」


 扉の奥は、異様な光景だった。

 多数の機械設備の中心に、大きな人型のものが鎮座していた。頭、胴、手足と、完全に人の形を模していて、全身が金属のようなもので覆われている。

 高さは二メートルと少しくらいだろうか。ケモノよりも一周り大きく、がっしりとした手足には無骨な力強さを感じた。

 爪先と踵に取り付いた大きな車輪は、それが生き物ではなく機械であることを明示しているようだった。

 左右の下腕と両膝には、銀色に光る棒状の物が取り付けられている。ユウスケの腕ほどの太さの棒は、先端が尖っていて杭のようにも見えた。

 今にも立ち上がりそうな威容だっだが、暫く待っても動き出す様子はなかった。


「こんにちは」


 金属の巨人に目を奪われていたユウスケは、かけられた声に驚いて飛び退いた。


「あ、ごめんなさい。驚かせちゃったね」


 その声は、この場にそぐわない、優しげで明るい声だった。

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