第3例目『教室社会に向かない二人』
常識と非常識。
一般と特別。
ちゃんとといい加減。
常識的な生徒。非常識な生徒。
一般的な生徒。特別な生徒。
ちゃんとした生徒。いい加減な生徒。
でも”善良な生徒”や”良好な生徒”とは言わない。
善良と良好の対義語が不良であり、常識も一般もちゃんともしっくり来る。
だから”不良”は特別に悪いんだろう。
って……そんなことを考えていた時期もあった。
ただ実際自分が不登校になって、たまに学校に行くと自分が不良だと噂されていることをしると、言葉の意味はひどく曖昧で、そこに個人的に定義づけをしたところで意味はなく、どれほど意味がないかといえば『ウチではコロッケに醤油をかけます。これが正しい食べ方なんです』と声高に主張する程度には意味がないと知ったのだ。
つまるところ言葉としての不良のレンジは結構広く、先生を困らせる悪いやつもいれば、ただただ不登校を繰り返すやつもいる。
他の学校じゃ進学校にも関わらず、紫に髪を染め上げ制服も着崩したなんともロックな全教科満点の不良も転校してきたと、ウチの女子たちが噂している。個性の時代だ。
そうなってくると不良の定義などもっと曖昧になり、模範的な大多数の生徒以外は不良と言っても差し支えないぐらいに言葉の意味がなくなってくるのだ。
正しい日本語を使いましょう。
正しい日本語ってなんだ?
ぴえん超えてぱおんも日本語だ。
どうにもいけない。
暇を持て余すとこんな事ばかり考える。
中学校の頃はいわゆる普通だったけれど、高校に入ってからは急に馴染めなくなって、だんだんと学校に行かなくなって。母親からは普通にしろ、ちゃんと学校にいけ、それが常識だと散々言われて。
だけどその頃には、普通、ちゃんと、常識という三つのワードからクラフトされる小さな世界に足を踏み入れるのが少し怖くなってしまった。
それで不登校が加速して、頭の中でトリプルワード哲学会が開催されるようになったのだ。
ただ幸いにも留年して高校も卒業できないとどうなるかに気づけた私はなんとか二年生になり、そこで同じ不良仲間の日翔麻(ひとま)と出会った。
気があってすぐにLINEも交換したが、なにせあっちも不良の不登校。学校で会うのは週に一回程度で、知り合ってからLINEで会話したほうが多いのは間違いないだろう。
だから私がこうやって学校に来ても、日翔麻とほとんど合うことも出来ず、そんな私は放課後になると、図書室へ足を運ぶのだ。
理由は二つある。
一つは勉強をするためだ。
うちはあまり裕福な家庭じゃないから留年なんかしようものなら、家計が回らなくなる。働くにしても最低でも高校を卒業していないと、お話にならない。
そしてもう一つは、人間観察。
学校の図書室というのは存外面白いものだ。
みな静かに調べ物や勉強をしてると思いきや、小さい声でうわさ話をしたり、校則で禁止されている漫画や小説を持ってきて読んだりしている。
学校の授業という強制力が強い場所よりは自主的になれて、自宅よりはリラックスが出来ないほどよい緊張感が、あるのかもしれない。
そんな場所では少し変わった人の一面を見ることが出来て好きだ。
例えばクラスで友達が少なく、いつも下を向いているような子でも、ここでは笑顔になって好きな本に没頭しているし、パリピな連中は目を皿にしてスマホをスクロールしている。いいねがそんなにいいのだろうか。
みんなここが居心地がいいのだ。
だから私は今日もこの空間へ足を運ぶ。
できるだけ人がいない机を探して、椅子に座って教科書を開く。
勉強と言っても赤点を免れる程度にやればいい。どうせ今から勉強したところで、大学に行けるほどの学力が身につかないことはわかっている。身の程は知っているつもりだ。
自由と不自由の間にある自由。
制限の中に自由があるとすれば、放課後の図書室こそまさに人が人らしくあるべき場所だと思う。
これぞ自立なんじゃないのか?
「教室なんていらないのに」
おっと。
声が出てしまった。
まぁ別に小声だし問題ないだ――
「あの」
目の前に人がいた。
あちゃ、聞かれてたか。ってか気づかなかったわ。
まぁただの独り言だし。
「ああ、ごめん。うるさくしちゃって」
「いえ、そうじゃなくて」
「なに?」
眼鏡を書けてておとなしそうな少女。
制服のリボンの色から同じ二年生だ。
クラスはわからないけれど、仮に同じクラスだったとしても一週間のウチ、半分ぐらいしか学校行ってないし、しかも午後から行くことが多いから覚えていないと思うけれど。
「檻蒔さん……ですよね?」
「あー、そうだけど」
だれだったか……。あまり学校に来ないから日翔麻以外の顔と名前が一致しない。
「私、瑞沢誉麗(みずさわほまれ)です。同じクラスの」
「あー…………ごめん。覚えてないや」
「ですよね」
彼女はとくに怒るでもなく、がっかりするでもなく、ニコっと笑ってそう答えた。
「ごめん」
と私も笑って返す。
ふんわりした瑞沢さんの、眼鏡越しに見る瞳はとても優しく、それだけで彼女の人柄がわかりそうになる。
それが私の彼女に対する第一印象だ。
「あの……檻蒔さんはお勉強ですか?」
「まーね。私、あんまり授業に出てないから。最終的には出席日数はギリギリになるように調整するけど、テストだけは普段からやっておかないとね」
「はぁ……」
「瑞沢さんも勉強?」
「いえ、私は。……勉強もありますけど、ここが落ち着くので放課後はここで過ごすことが多いんです。気づいてないかもしれませんけど、檻蒔さんがいるのもよく見ていました」
「そっか」
図書室は落ち着く、か。
「さっき『教室なんていらないのに』って」
「やっぱ聞かれちゃったか」
不覚。
対面に人が座ったことにも気づかなかったなんて。今日の私はちょっと抜けている。
「教室、嫌いなんですか?」
「んー。どうだろう。好きではないかな」
初めて会った瑞沢さんに、私はなにを話そうとしているのだろう。
厳密に言えばクラスメイトだから初めてではないが、認識して名前を聞いたのがさっきなら、それは初めてと言ってもいいのではないだろうか。
あえて初対面ということにして、独り言を聞かれた相手にその理由を問いただされている。
そう考えると瑞沢さんの質問は結構大胆だとは思うが、ここでスルーも面倒くさい。
「なんでって理由は特に無いけど、授業はあるし、頼んでもいないのに友だちになろうとするやつや、話しかけてくるやつ、あと昨日のドラマの上辺だけの感想会とか、なにかを確認するための共感話題とか。そういうのが聞こえてくるのが疲れちゃうんだよね。だから教室にはあまり行かないし、図書室ならそれほど大声で喋ってる人も居ないから、ここに逃げ込んでる。まぁそんな感じかな」
「わ、わたしもです!」
「ちょっと、声が大きいぞ」
「あっ」
その瞬間、図書室中の視線が全てこちらに降り注ぎ、私も少し恥ずかしくなった。
まぁなにはともあれ、瑞沢さんも私と同じ図書室通いの同士ということが判明したのだ。
「でも瑞沢さんはちゃんと授業には出てるんだよね」
「ええ、まぁ」
「それは苦痛じゃないの?」
「あまり好きじゃないです。私、おとなしい性格だから先生にあてられたり、日直で黒板消したりっていう、目立つ行動が苦手で。それにそういう役割って嫌でもその時だけは注目を浴びるじゃないですか。そんな私をみて周りの人になにか変に思われるんじゃなかって」
「黒板消してるだけで?」
「はい……消し方おかしくないかなとか、制服曲がってないかな、とか」
わーお。
なかなかに自意識過剰ちゃんだ。
「だから休み時間のたびに図書室に来るんです」
「休み時間のたびに? 昼休み以外は10分や15分じゃん。来たらすぐに授業じゃない」
「そうなんですけど、落ち着くっていうか。2分でも3分でもここに入れば、放課後はここでゆっくり出来るんだなーって。そう思うとなんとか授業を乗り切ることが出来るというか。それに読む本を選ぶ時間ぐらいならありますし」
瑞沢さんも結構難儀な性格だなぁ……と思う。
だけどたまたまこうして目の前に座った彼女も私と同じく教室が嫌い。
だったら確率的にもっと教室が嫌いな人はいっぱいいるんじゃないか?
例えばいつも同じメンツで固まって「昨日のドラマの主演の◯◯超かっこよくなーい?」「あー、わかるー。あのシーン良かったよねー」「まじまじ。私も思った!」「やっぱ昨日の見どころはあそこだよね!」「だねー。あーそれとさー……」こんな一連の流れすら、その数人は互いに互いを嫌いにならないように、ひいては教室という社会で孤立無援にならないように、一言一言を注意して、この環境での誰が自分を脅かすのか、そうじゃないのかを見極めるための儀式をしているように見える。
それはやっぱり教室という空間は、なんの対策もなしに入るにはレベルが高い。毒の沼地なのではないだろうか。
だから対策は二つしかない。
レベルを上げるか、
「だから私は逃げ出しちゃったんだよね」
この二択だ。
私も言うほど子供じゃない。相手を変えることはできない。自分を変えるしか無いのだ。だから私は選んだ。
選び取った。その代償は単位とのせめぎ合いだ。
「でもすごいです。私にはそんな度胸はないから。だから50分間の授業は我慢して残りの10分を逃げ込んで。そしてまた我慢して放課後ようやくここに来ているんです」
そうだよね。
普通はそうだ。
教室がいやでーす。
だから来るのやめまーす。
問題解決としてはシンプル。でも簡単なことこそ難しい。
たいがい世の中の問題が複雑そうに見えるのは、シンプルに決断して、捨てて、選び取る。それが難しいから妥協案を探し続けるためだと思う。そしてその先でまた分岐点にぶち当たり、バランスと妥協を繰り返す。そうしていつしか人は身動きができなくなってしまうんじゃないだろうか。私の嫌いなドラマの感想会を毎日やっている女子たちみたいに。
だからそうなる前に思い切って捨てたのだ。
瑞沢さんにはちょっと難しいかもしれない。
自由な10分で反撃をしている。
それじゃあ届かない。その枠を飛び越えないと、自分が順応しない限り教室とう社会の波に飲まれてしまう。
でも私は気がついた。
瑞沢さんの髪に私は気づいたのだ。
よく見ると、肩にかかるかかからないかぐらいに伸びた髪はうっすらと茶色が入っている。
「ああ、これですか。初めて髪の毛いじってみたんですよ。普段はやらないんですけどちょっと興味があって」
「うちの学校、髪の色とかは校則うるさいよね」
「ですよね。もし先生に怒られたらやめますけど」
「そっか。あはは」
「……どうしたんですか?」
私はなんだか嬉しくなった。
なんだ。ちゃんとやれてるじゃないか。
「どうして染めようとしたの? 偏見かもしれないけれど、瑞沢さんって校則違反するようなタイプには見えないけど」
「うーん。どうして……と言われると。興味はあったんです。こういうオシャレとかに。でもクラスの他の子たちみたいに、友達がたくさんいるわけでもないし、週末に出かけるわけでもないし。私、本が好きだから土日も家で読書してるんです。だからちょっとだけ染めてみたんです……変じゃないですか?」
彼女は不安そうに聞いてくる。
きっと私が笑ったことが気になったのかもしれない。
でも瑞沢さん、それは見当違いだよ。随分と見当違いだ。
教室という毒沼の社会に必死にあらがっている。
私にはそう思えた。
だって10分の決められた自由の中での図書室通いは、実はなんの抵抗にもアピールにもなってないから。
他人が決めた自由の中で反旗を翻すのは全然ロックじゃないんだ。
他人が決めたルールの上で旗を振り回すことこそがロック。
「全然。ぜんぜん変じゃないよ。すっごく似合ってるよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「もうちょっと濃くしてみたら。そっちの方がもっと似合うと思う」
「でも、これ以上は流石にバレちゃうかもしれないし」
「そっか」
いけないいけない。ついつい「いいからやってみたら?」と強制するところだった。
そんなことをしたら彼女の平穏な場所を奪ってしまうことになる。
図書室は学校の治外法権なのだ。少なくとも私はそう思っているし、彼女もそうだろう。
さて、そろそろ私はおいとまするかな。面白いものも見れたし。
「そうだ。よかったらなんだけど、」
そう言って私はLINEの友達登録の画面を出す。
「私の友だちにさ、全然ファッションにこだわらないで髪の毛もボサボサなやつがいるんだ。だからもし瑞沢さんが髪の毛の手入れやメイクに詳しくなったら私に教えてくれないかな? あ、ごめん。なんか……慣れなれしかったかな? いやだったらいいよ」
ついやってしまいそうになり、私はスマホの画面を閉じようとしたが、
「いえ……ぜひ!」
と彼女もスマホを取り出してくれた。
「ありがとう。もし鬱陶しかったらミュートやブロックで全然おっけーだから。ひとの負担になるの、あんまり得意じゃなくて」
自分から差し出しておいてこうして予防線を張るあたり、やっぱり私は教室という社会に向いていない。
「わかりました。私もあんまり連絡とかとる方じゃないので」
「いいよいいよ。お互いその方が負担にならないと思うし」
この会話。
この会話こそが本当に教室に向いていない。
だって普通のクラスメイトなら「LINE交換しない?」「おっけー」「送ったー」「なにこのスタンプかわいい」で次の話題だ。
なのに私たちはくどくどと自分のSNS運用について語っている。
まるで互いの取扱説明書だ。
「それじゃあ瑞沢さん。私は帰るね」
「はい。すみません突然前に座ってしまって」
「私も気づかなかったしね。じゃ、またどっかで」
「はい。さようなら」
私は図書室を出てLINEを開く。
母親。
父親。
ひとまん。
そして四人目の登録者に瑞沢さん。
三行だった友達欄が四行になった。
たった一人の違いなのに、ちょっと行数が多いように感じた。
これってもしかして高校生しちゃってる?
「なわけないか」
だってろくに学校行ってないし。
でもちょっとだけ今日は学校が楽しかった。
相変わらず私の世界は教室以外のどこかでしか回らない。
それでも今日はぶん回ったほうだ。
だったら日翔麻に教えてあげるしか無い。
不登校バディの私の楽しみは所詮その程度かもしれない。
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「ねえ日翔麻」
『なに?』
「既読はや」
『なによ』
「今日ね、図書室で面白い子に会ったんだよ」
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