第2例目『My Cloud』
「あぁ……」
「どうしたんだよ。有栖。この世の終わりみてーな声だして。華の金曜日にやめてくれよ、そういうのは」
「なんだ。雲良か」
「なんだとはなんだ。朝からクラス一美少女の私がこうして声をかけてやってるのに」
「美少女? 粗暴の間違いじゃ……あいたたた!」
「おはよー。鳳(おおとり)さん。今日も夫婦喧嘩?」
「はぁ? ちげーよ。こいつが朝からしけた面してるから私までテンション下がってきてんの」
「助けてよ、委員長。この暴力女が傷ついた僕をさらに苦しめるんだ。学級委員として見逃せないよね?」
「本当に二人とも毎日飽きないわね。そろそろ先生がくるから席についてちょうだいね」
「はいよ」
「僕最初から座ってたよね?」
まったく。毎日こうやって委員長や他のクラスメートに夫婦夫婦っていじられるけど、有栖とはただの幼馴染だっての。もう反論するのも疲れたからスルーしてるけどさ。
にしても今日の有栖はいつにもまして元気ねーな。
小学校からクラスも一緒で、今は高校二年。
十年以上も学校生活を共にしていると、ちょっとの変化が大きく見える。
席が隣の私は、
「で、どうしたんだよ。聞いてやるぞ?」
最初は昨日の深夜アニメの録画でもミスったのかと思っていたが、
「パソコンが壊れたんだ……しかもSSDは復旧できないし、バックアップ用のHDDも壊れちゃったみたいで」
「あー、そりゃご愁傷さまだな……ネットのサービスとかに保存してねーの? 有栖はそういうの得意だろ。私はよくわかんねーけど」
「してたんだけどさ、ログインのIDとパスワードを保存してたのがパソコンなんだよね」
「つまり?」
「全部失いました」
うわぁ……。
こいつパソコンやスマホオタクだから、データの消失は痛いだろうなぁ……
アニメの録画ミスとかだったら笑って背中でも叩いてやろうと思ったんだけど。
「最悪だよ。大事な写真なんかもあったのに。はぁ……十年分の思い出が……」
「どうせアニメの画像だろ」
「それもいっぱいあったんだけど、覚えてる? 雲良と僕がまだ幼稚園ぐらいの時に海に連れて行ってもらったじゃない。その時の写真とか。あと小中高の入学式の写真も」
「マメだな」
「まぁね。とーさんが几帳面ってのもあるけど、僕もそういうの好きだし。はぁ……でもショックだなぁ。先週まで録画してたプリキュア、見返せなくなっちゃったし。雲良は今期のプリキュア見てる? 今年は『今一番大事なこと』を頑張るっていう――」
「あーわかったわかった。ほら先生くるぞ」
金曜の一限目は漢文だ。
あーだりぃなぁ。
漢文って眠くなるんだよな。
……にしてもやっぱり今日の有栖はめっちゃ凹んでるよな。
そりゃ十年分の思い出が一瞬でパーだもんな。
私は先生にばれないようにスマホの写真アプリをスクロールする。
スマホを買ってもらってからのどうでもいい写真が、一瞬で流れていく。
その一瞬でも二年、三年と想い出の積み重ね。
指でなぞるとこんなに軽いんだけどな。
学校が終わり一緒に帰る。
有栖はいつもみたいに私が興味のない声優の話やアニメの話をしていたが、やっぱりショックだったんだろう。無理に会話を続けている感じだった。
「じゃあな」と行って、いつもの曲がり角で帰路についた有栖の背中はやっぱりまだ寂しさを背負っていた。
夜の十時半。
いつもならあいつも寝るころだろうが、明日は土曜日。
私はLINEを起動するとメッセージを送る。
「起きてるか?」
『うん』
「明日暇か?」
『午前中?』
「午後でもいいけど。どうせ深夜アニメ見るんだろ?」
『ばれてた』
「知ってる。じゃあ午後から半日いいか?」
『いいけど。何? 買い物?』
「違う。今から書くもの準備して明日の午後一時に駅の改札集合な」
翌日。
午後一時。
駅の改札口。
私と有栖は13時37分発の特急に乗って絶賛移動中だ。
普段買い物に行ったりちょっと遠出をする時にはこの電車を使う。
住んでいるところは大きなショッピングモールがあったりと、日常生活には困らないけど、なんたって今日の目的地は……。
「海ってどういうこと!?」
「どうもこうも、有栖がしけた面してたからだろ」
「僕のせい? ってかなんでスマホ持ってくるの禁止なの?」
「別にいらないだろ。午後は私とずっと一緒なんだから。……それに水没して壊れたらどうするんだよ。パソコンに続いてスマホもなくなったら、死んだも同然だろ?」
「僕ってそんなにガジェットオタク!?」
「そんなにオタクだよ。だから今日は気分転換に海で遊ぶの。おーけー?」
「最後にプール入ったの中学校の時なんだけど。しかも僕泳げないし」
「別に泳ぐ必要――」
「うわっ!」
急に電車が揺れて、立っていた私たちはバランスを崩す。
有栖がふらつき転びそうになるところを、私がなんとか支えてやった。
「あはは。ごめん。いつも助けてもらってばかりで」
「……べ、べつにこんなことなんでもねーし。ほら、ついたぞ」
駅の改札を出ると、目の前は国道を挟んで海岸線が続いている。
国道を走るバスに乗りさらに10分ほど行くと、この地域の海水浴場へと到着した。
「うぉおおおおおっ! 砂! あっつ!」
「ほんと、熱いねぇ……すでにクーラーが恋しいよ」
「何いってんだよ。水に入れば涼しいぞ」
「でも泳げないし――って何やってんのぉぉおおおお!?」
「ん? 大丈夫。もう下に水着きてるから」
「いや、そういう問題!? 公衆の面前でいきなり服を脱ぐ行為って、いくらここで海で下に水着きてるからって痴女のやる――ごふっ!?」
「び・しょ・う・じょ だろ?」
「ったった……げんこつはないよぉ……」
「まったく。幼馴染の美少女がせっかく水着姿を披露してんだぞ。少しはありがたがれっての。ほら、感想はないのか? 女子高生の水着姿だぞ?」
上下ともにシンプルで白いスポブラ系の水着だ。
私はごちゃごちゃとフリルとか付いたのは苦手だ。……こうなんか女の子っぽいし。
いや、女なんだけど、言葉遣いも乱暴だし、髪型もウルフカットだしで、結局こういう動きやすいのがいいのかな……と。それにその、有栖の前で水着姿見せるのも、久しぶりだし……。
「で、感想は?」
「久しぶりに見るけど、やっぱり雲良は胸ちぃ――――」
回し蹴りを脳天に打ち込むと、私は一人海を満喫した。
「うーん……あれ? 僕、どうしたんだっけ……?」
私に膝枕をされて目がさめた有栖は薄っすらと目を開ける。
まるで寝起きのその表情はあどけない子供のようにすら見える。
「回し蹴りを食らって気を失った後、ライフセーバーにあずけてきた。で、私は一時間ちょっと泳いで有栖を回収した」
「そっか」
「おまえさぁ……いくら幼馴染相手でも女子相手に胸小さいとか言うなよ。……けっこう気にしてるんだぞ」
「そっか。雲良ももう高校生だもんね」
「おまえもだろ。ばーか」
「それで僕、どのぐらいこうしてたの?」
「えっ!? あーまー。回収してから……ご、五分ぐらいかな!?」
「そっか。ごめんね。膝枕してもらって。もう大丈夫だから。よっと」
そう言って有栖は立ち上がる。
だけど私は慣れない正座をしていたので足がしびれてまだ動けない。
「ちょっとまってて。すぐ戻るから」
そう言って有栖は走って人混みへ向かっていく。
そうして五分もしないうちに戻ってきた。
「はい。サイダー。瓶に入ったやつ」
「さんきゅー」
ビー玉を落として、炭酸を喉に流し込む。
ずっと泳いでいたから喉がカラカラだ。
「小学校のころ、雲良はサイダーよく飲んでたよね」
「あー。あの駄菓子屋の」
「そうそう。ちょうど同じような瓶のやつ。雲良はビー玉落とせなかったよね」
「子供の頃は力なかったからな」
「今だと瓶ごといっちゃいそうなの――なんでもないです」
「ほんと気をつけな?」
「はい。でもこうやって二人でサイダー飲むの久しぶりだよね」
「駄菓子屋、中学の時になくなっちゃたしな。コンビニのペットボトルだと風情がないし」
「それに瓶の方が炭酸が抜けないしね。ペットボトルは炭酸が透過するから味も落ちるし」
「ロマンがないぞー。オタクー」
「主語が大きいのは良くないと思います」
「んだよ。ここには私とおまえしかいねーだろ……そういやこのあたりだったかな」
「なにが?」
「ほら。幼稚園の頃来ただろ。昨日もお前が言ってたじゃん」
「確かにこの海水浴場だけど?」
「じゃなくてさ、砂の城だよ。二人で作ったやつ」
「……ごめん。覚えてないや」
「なんだ覚えてねーのかよ!」
「なんでそんな怒ってるの?」
「知るか!」
「ごめんごめん。一緒に来て家族みんなで写真撮ったのは覚えてるんだけど。あとラーメン食べたりとか」
「あー、ラーメンな。海の家のラーメン、まずいよなー」
「だね」
「おまえさー。さっきから謝ってばかり」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でも覚えてないのはホントごめん」
「いいさ。幼稚園の頃の記憶なら仕方ない」
「お詫び……じゃないけどさ、ラーメン食べる? おごるよ?」
今まずいって言ったばかりなのに。
まぁでも。
パソコンが壊れて落ち込んでいたこいつもだいぶ元気になったみたいだし、いいか。
そして私たちは海の家の暖簾をくぐる。
もう夕方も近くなっていて、お客はそれほど多くはなかった。
幼稚園の頃の私は当たり前だけど、幼くて何もわからなくて、目の前にあるものが世界の全てだって思っていた。
私と有栖の家族は仲が良くて、海に来たあの日は朝からずーっと二人で砂の城を造っていたっけ。
不格好だったけど、自分の背丈ほどもある砂の城の完成が近づくにつれて、胸は高鳴って、砂を積み上げる手は震えて、熱くなった砂以上にアツくなっていったのは覚えている。
だけど大人の膝ほどにも満たない小さな波が、私たちが積み上げた世界をかっさらっていった。
私はわーわーと大泣きしたのを覚えているけど、有栖は海に向かって叫んでいたっけ。
「くらちゃんを泣かすな! 次は許さないからな!」
そんな有栖を見て、かっこいいなって憧れた。ちょっとだけ勇気をもらった。でもやっぱり一日かけてつくった砂のお城が無残な姿になったのが悲しくて悲しくて、私は泣き止まなかった気がする。
だけど有栖は崩れた砂をまた積み上げて、だいぶ小さい砂山をつくって窓をつけてトンネルを開通させて、
「大丈夫。また今度一緒に作ろうよ」
「……ほんとに?」
「うん! これは僕とくらちゃんだけのお城なんだから。いつか完成させようね」
「約束して……くれる?」
「うん! ゆーびきーりげーんまん――」
ま、幼稚園の頃約束だ。
覚えてないのはちょっと癪だけどこのラーメンで手打ちにしてやろう。
「はー。食べた食べた。お腹いっぱいだよ」
「そりゃ有栖は寝てただけだから、そんなにお腹すいてないよな」
「だれのせいだと思ってるんだよ……」
「もとを正せばお前の発言のせいだろ」
「そうでした。反省してます」
「にしてもホント海の家のラーメンはまずいよな。不味すぎて逆にそれが美味いまである」
「ちょっと、まだお店の人に聞こえるって」
なんの変哲もない麺は少し伸びて、具材のナルトは小さく薄い。
メンマは固いくせにやたらと数は多く、海苔は湿気ってチャーシューはぼそぼそだ。
これで700円は少々ボッタクリな気がするけど、これぞ海の家。海水浴に来たがある甲斐。
今度はちゃんと更衣室に入って着替える。
外に出るとまだ明るいが、もう夜の七時が近かった。
バス停の時刻表を見ると、あと二十分は来ない。がその次が二時間後だったので、ギリギリセーフと言ってもいいだろう。
さすがに夜の九時は寒いだろう。
子どもの客はもう帰り、大人たちはこれからという時間。
なんとも中途半端な時間にバス停にいるのは私と有栖の二人だけ。
少し離れたところから聞こえる喧騒が、潮風に乗って私たちを通り過ぎていく。そんな気がした。
「ちょっとは元気出たか?」
「僕?」
「ああ。ほら、昨日パソコン壊れたって言ったから」
「……もしかして気を使ってくれたの?」
「それもあったけど、純粋に海で遊びたかったしな。それに有栖が昨日言ってたじゃん。小さい頃海に言った話。だから急に行きたくなったのものあった」
「そうだったんだ。ありがとね」
「べ、別に礼を言われるようなことじゃ……おまえも気分転換になったんじゃねーの?」
「うん。楽しかった。写真、撮らなかったのちょっと残念かな。だれかさんが『スマホ持ってくるな』って言ってたし」
「写真は私も撮ってないよ。それにそんな暇なかったろ?」
「そうだね、確かにそうだ」
「あ、あのさ、有栖」
「どうしたの?」
「別にパソコンやクラウドに写真のデータがなくてもいいんじゃないか?」
「どゆこと?」
「そういうのも大切だけど、やっぱ思い出せるかどうかが大事じゃん。写真をいっぱい抱えてても思い出せなかったら意味ないし、約束だって守ってなんぼだろ」
「え、うん。そうだね」
「だからさ。二人で記憶を共有したい。私が有栖のクラウド? になるよ。そしたら写真が消えてもデータが消えても大丈夫でしょ。私か有栖が覚えてて、どっちが忘れても互いに話すの」
「なんか不思議だね」
「何がだ?」
「雲良がパソコンの話してるの。なんか新鮮だな」
今日一番の笑顔で有栖が笑う。
「そこ笑うところか!?」
「だって海に来て思い出作ろうって話してる時にクラウドって単語が、なんか浮いてるっていうか。あははっ!」
「笑いすぎだろ!」
「でも僕に合わせてくれたんでしょ? ありがとね」
「別に……そういうわけじゃねーし」
「あ、バスが来た」
乗客はまばらでそれほど混んでない。
私たちは一番うしろの長い座席を贅沢に使う。
「明日、パソコン買いに行くんだろ?」
「なんでわかったの?」
「いや、だって無いと死ぬっしょ?」
「死ぬ」
「じゃあ付き合ってやるよ」
「……いいの?」
「今日のお礼。あとさ、私もパソコン買おうかな」
「お!? ついにデビューですな。だったら初心者向けのモデルを選んで――」
「……有栖と一緒のがいい」
「いいの? 僕のはゲーミングパソコンだからそれなりに高いけど」
「ほ、ほら! 私も今度からは一緒に出かけた写真とか保存しておきたいし。そしたらどっちか壊れても大丈夫でしょ?」
「いや、それにしたっていきなりそんなハイスペックPCは必要ないんじゃないかと」
「同じパソコンだと私がわからなくなった時に教えやすくない? ほら。スマホでも機種が違うと教えづらいって言うし」
「それも一理あるか。だったらメーカーは一緒にしてスペックだけ下げれば十分だと思うよ」
「でも長く使うにはいいやつを最初から買った方がいいって聞くし……」
「三年も使えば買い替え時期だから。パソコンは消耗品だしね。やっぱり入門モデルの方が……」
「お・な・じ・や・つ・で!」
「あ、はい」
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