煌鎖

「ずえぇぇぇい!」


 ギットの大斧が凄まじい風切り音を立てて横殴りに払われた。


 リンはその軌道の上へ、そして前方へとジャンプし、錐揉みの様に体を捻りながら剣を突き立てる。が、それはギットの『不動の巨塊』スキルの前に敢えなく弾かれた。


 そのまま懐に入ると矢継ぎ早に剣を振り立てる。目にも止まらぬ連撃を放つリンの足元から不意に黒い円が浮かび上がった。


 それは音も無く黒い煙を巻き上げながら徐々に槍の様な形を作り上げてリンの体へと立ち昇る。


「はっ!?」


 すんでの所で気付き、バックステップを踏む。マルチネの魔霊スキル『呪槍』だった。


 ホッと一息、吐く間も無くギットの上段からの一撃が頭上へ振り下ろされた!


「『八鎖』!」

「うぐっ!」


 リンの放つ固有スキル『八鎖』は目の前のギットのみならずかなり後方に位置していたマルチネをも巻き込んで放たれた。


 彼らの動きが鈍ったのを瞬時に確かめるとクルリと右回転、そしてジャンプを加えながら裏拳の要領でギットの首を斬る。


「グェッ」


 返す刀でギットの肩を踏み台に大きく飛び、マルチネの頭上にそれを振り下ろす。


「ヒッ」


 マルチネが目を瞑る。

 当然、それはマルチネの頭を割る事は無く、後数センチという所でピタリと止まっていた。


「……ふぅ……」


 上目遣いにその木刀を見ながらマルチネがペタリとその場に尻餅をつく。



 バルイロッチ戦から1ヵ月が経った。

 ここは『愛と平和』ギルドの裏庭である。


 リンはバルイロッチとの一戦の後から対魔神を意識した訓練を続けていた。


「八鎖は本当、効果あるね」


 参ったと言わんばかりにマルチネが言う。苦笑いするリンがマルチネの手を掴み、立ち上がらせる。


「でも、ダメだ。こんな程度じゃ魔神にはとても……」


 ギットは不思議そうな目付きで「そんなにか」と呟いた。


「うん」


 リンは頷き返し、方向を変えて数度、確かめる様に木刀を振った。


「バルイロッチに憑かれた後……暗闇の中であいつと戦った。確かに八鎖は効く。けど決定打が無くて削り切れない」

「そうなると、一撃の破壊力を上げるスキルを身に付けるのが手っ取り早いな。チビ助の雷神の様な」

「うん。超希少スキルの雷神がまだこの世に余ってれば良いんだけどね。ハハハ……」


 腕組みをするギットに力無く笑い返す。

 実際、リンはかなり煮詰まっていた。


 幸いバルイロッチは『八極』の1人、竜闘士ジンが偶々通り掛かるというとんでもない奇跡のお陰で封印に成功した。


 だがそんな偶然は2度は起こらない。次また魔神に出会った時、今のままでどうにかなるとは到底思えなかった。


「リン様、ギッちゃん、マルチネちゃん! タオル持ってきたで! ちょっと休憩しぃ」


 レイジットの快活な声が響いた。シャオと2人で持ってきたタオルと水をベンチの上へ置く。


 リン達は顔を見合わせ、頷き合い、一旦休憩を挟む事にした。


 今、ギルドに残っているのはこれで全員だ。ローズ以外のメンバーは仕事で出払っていた。


「ローズは……また?」


 シャオから手渡されたタオルで汗を拭きながらリンが聞いた。彼女はベンチに座り、小さく頷く。


「ええ。いつもの川で訓練しています」


 リンと同じく、ローズも対魔神の戦いに備えていた。バルイロッチ戦の後、結局ローズは1週間戻って来なかった。


(きっと何度もジンに頭を下げたんだろうな)


 帰って来た後も、ジンに言われたのであろう訓練を欠かさずにしている様だった。


(ローズも分かっている。今のままの俺達じゃあ、魔神には手も足も出ない事を)


 シャオの横に並んでベンチに座り、そんな事を考えていた。


 ふと気付くとシャオが顔を覗き込み、微笑んでいた。


「え……何?」

「フフッ。いえ、眉間に皺が寄っていたので……」

「あ、ああ。心配させてごめん」

「いえ。ただ、強くなるにしろ賢くなるにしろ、人間そんな急には成長しないのであまり根を詰めないで下さい」


 それはリンにも分かっている。分かっていてジッとしている事が出来ないのだ。嫌でも己の無力さを感じざるを得ない、それ程の圧倒的な力の差だった。


「うん。そうだね。うん……シャオの言う通りだ」

「リン。全然関係の無い事を聞いていいですか?」


 突然シャオがそんな事を言った。


「え? うん。どうぞ?」


 シャオは前を向き、少し俯いて、


「煌鎖、の事なんですけど」


 と言った。


「煌鎖?」

「大切な鎖を私が切ってしまったのにリンはとても優しくしてくれました」

「え? ああ」


 生返事をしたものの、シャオが何を言いたいのか計りかねた。


「リン。貴方はあの時、『この鎖が切れる時は……』と言いかけた。あれの続きを教えて下さい」

「ああ」


 ようやく彼女の聞きたい事がわかる。確かにあの時、説明を途中でやめてしまっていた。


「ごめんごめん、全然大した事じゃないんだ。父さんから聞いた話なんだけど」

「ええ」


 いつの間にかレイジット達もその話に聞き入っていた。


「あの鎖は普通の物とはちょっと違って、不思議な魔力が込められている」

「不思議な魔力?」

「うん。マルチネに聞いたんだけど『煌』の字がつくものは皆、そういう物らしい」


 シャオがマルチネの顔を見ると、彼女がコクリと頷いた。


「悪魔への対抗力もかなりあると聞いた。もっとも鎖を使っての武術なんて出来ないから武器としては使い様がないんだけどさ。でも父さんの言葉で一番印象に残ってるのは……」

「はい」

「これが切れる時は『近い未来、生死に関わる凶悪な出来事に巻き込まれる事を意味する』」

「生死に関わる凶悪な出来事……」


 シャオがリンを見返しながら真面目な顔付きで反芻するのに、リンは屈託の無い笑顔を見せた。


「うん。でもさ、そうと分かっても結局どうしようもないよね? 起こるんだから。だから俺としてはどうでも良かったんだ。あの時煌鎖は切れるべくして切れたんだろう」

「凶悪な出来事って……ひょっとして?」


 レイジットが小首を傾げながら言う。


「多分ね。バルイロッチの件だろう。あれより凶悪な事なんてそうそう起きないと思うよ?」


 シャオもそう思った。頷きながら微笑む。


「成る程。そう言う事だったんですね。スッキリしました」

「あはは。ごめんね、何か含んじゃって」


 笑って立ち上がると、再びギット、マルチネと訓練を再開した。


 この時はリンもマルチネも、あれ以上の絶望的な戦いがこの後すぐに待っている事など想像もしなかった ―――

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