魔神バルイロッチを封印せよ(3) 魔神憑きリン

「怯えているのも可愛いけど……来ないならその男の子に乗り移って3人共食べちゃおうかしら」

「う……う……」


 目だけはバルイロッチを追うが余りの次元の違いを見せつけられ、体が後ろへ後ろへと進む。


「ええ? たった一発で戦意喪失なのぉ? 10年前のオジサンはもっとカッコ良かったのになあ」


(10年前の……父さん!)


 瞬間、リンの体に勇気が湧いて来る。

 父が10年前に母とたった2人で戦った相手が目の前にいる。


 今、自分達は3人もいるのだ。


「そうだ。あんなのでめげてる場合じゃなかった」

「そうそう! その意気よぉ!」


 バルイロッチは不敵に微笑み、唇を尖らせる。


「おおお!」


 剣を左に寝かせ、猛ダッシュ、バルイロッチの直前で右へと薙ぎ払う。


 ドウッ! 人を斬る嫌な音がして体がくの字になるが表情は一切変わらない。


 突き出た腰の部分を後ろからローズが、


「おらあ!」


 力一杯殴り付けた。

 今度は逆にエビ反りになり、だが笑いながらリンに向かって来た。


「クッ!」


 その不気味さに怯まず、今度は上段の構えから真下へと剣を振り下ろす!


 だがそれはバルイロッチの人差し指と中指の僅か2本の指でピタリと止められてしまった。


「なっ……!」

「なかなかいい線いってるぅ!」


 ニタリと笑って顔を突き出す。


「でもそんなんじゃ毛程の傷もつかないわ」


 空いている方の手のひらをリンに向ける。何の前触れもなくそこから放出されるエネルギーによってリンは呆気なく吹っ飛ばされた。


 尻から地面に落ち、3回ほど後転し、前傾姿勢になって着地、再びバルイロッチに突進した!


 それは練度最大の、マルチネによる防御スキル『鉄壁』と『防魔壁』の効果のお陰でもあった。


「おお! いいよいいよ!」


 必死の形相のリンに向かってバルイロッチが手を打って喜ぶ。


「ヘッ。その可愛い顔に風穴空けてやる!」

「ああん。濡れちゃう」


 口ではそんな事を言いながらバルイロッチが両手を重ねてリンへと向ける。刹那、その両手が光り、再び紫に輝くエネルギー波がリンを襲う!


「ア――ハッハ! んごぼぇッッ!」


 高笑いしていたバルイロッチの口からニョキっと生えた細い腕。いや!それは後頭部からの、『竜拳』を発動したローズの一撃だった。


 既にこの魔神はこれ位でダメージを負う相手ではない事は分かっている。すぐに反撃を警戒し、腕を引く。


 と、また空いた穴から紫色の血の様なものがドバッとローズに降り注ぐ。


「ぐえっ……くっ……クソッ……タレ!」


 何か攻撃された訳でもないのにローズはとても苦しそうだった。


「ウフフ。さて……もう1人の魔法使いちゃんにはどんな攻撃がいいかしら……?」


 人間なら即死級の傷を一瞬で治癒し、笑いながら流し目でギロッとマルチネを見た。


「フン……」


 少なくとも表向き、一切の怯えを見せない彼女が魔神退治の準備に入る。


「『搦め捕る黒と白の棘』!」

「あん、もう!」


 フワリと空中へと逃げるバルイロッチだが白と黒の棘は何処までも追いかけ、彼女に巻き付いた!


「ちょっと痛いわ、これ」


 少し苛ついた表情を見せるバルイロッチに向けて、マルチネは更にもうひとつのスキルの準備に入った。


 2度も弾き飛ばされたリンだったが、またすぐに体勢を整え、剣を持ち直し突っ込む。


 ローズは何も攻撃を食らっておらず、ただ紫の液体を2度被っただけだというのに発汗が酷く、口からは涎を垂らし、今にも地面に手を着きそうな程、体を折り曲げて苦しそうにしていた。


 マルチネはローズの体調の異常に気付いてはいたがその理由がわからず、治癒のしようがなかった。

 勿論リンも気付いている。


「だぁっりゃぁ!」


 縦に一閃、間髪入れず横にも一閃! 棘で身動き出来ないバルイロッチに対して何度も連撃を浴びせる。


 ローズの攻撃が望めない以上、バルイロッチの生命力を削るのはリンしかいない。


「あん、もう、激しいのね」


 リンがいくら傷を与えてもバルイロッチの表情から余裕は消えなかった。

 一向に効いている様子は見えない。むしろ斬った傍から治癒していくのだ。やがてマルチネの棘がタイムリミットに近付く。


 だが! 準備していたマルチネのもうひとつのスキルが間に合う。


「神霊術の奥義! 食らって魔界へ帰るがいい、魔神め!」

「……!」


 棘で拘束し、逃げられない様にしながらとどめの神霊奥義スキルの一撃だった。マルチネの背後に後光が差し、丸い輪が八重に描かれ、暴発しそうな程の光がバルイロッチを捉えた。


「あれはちょっと嫌だわ」


 ボソッと呟くと両手を大きく広げる。

 同時にブチブチブチッと聞こえて来そうな程、細切れになる棘を見てマルチネが愕然とする。


 そこにリンが叫ぶ!


「狙いはそのままだ!」


 サッと空中へと飛び立つバルイロッチに向け、


「『八鎖』!」


 最終の一撃を放つのはローズと想定し、それまでクールタイムの長い八鎖の使用を控えていた。だが事ここに至ってはとどめと成り得るのはマルチネの神霊術しかない。


 ここが勝機と見て遂に八鎖を繰り出した。


「……!」


 ズドンッ!


 浮力を失ったかの様に、地面から手が伸びてバルイロッチの足を掴んで引き摺り下ろしたかの様に、魔神は地面に落ちた。


「ってえ! ちょ、何よこれえ! ち、力が……」

「よくやった、リン!」


 マルチネがようやく安心した顔をし、爆発寸前の光を解き放つ。


「『フランジャムの裁き』! この光は邪悪なる魔霊の者だけを浄化する!」


 刹那、八重に描かれた真円から眩いばかりの光が放射、一瞬でバルイロッチを覆い尽くした。



 やがて光が消え、バルイロッチがいた場所に女性が横たわるのが見えた。

 その肌の色は既に元に戻っており、紫のオーラが無くなった事で遠目にもそれはエルサが元に戻ったのだとわかった。


「さすがは『賢者』だな」


 マルチネはフゥフゥと肩で息をするものの、感心してそう言うリンに親指を立てた。リンも頷きでそれに返す。


 彼はまず意識の無いエルサに近付き、息をしている事を確認する。


「大丈夫だ。ローズは!?」


 気掛かりだったのはローズの方だった。バルイロッチの気配は無くなったというのに彼女の体に付着している紫の液体と体の不調は無くなってはいない。


 フラッと頭から地面に倒れようとする所を何とか受け止め、ローズの顔を覗く。彼女の目と口が半開きで、その唇から漏れるハァハァという息遣いが妙に艶かしい。


「リン……リン……」

「ローズ、しっかりしろ! 大丈夫か? 何があった」

「おかしいんだ、体が……ウッ……」


 胸を両手で押さえて苦しそうな顔をする。そのローズを見てリンは狼狽えた。


「待ってローズ、死なないで……ローズ!」

「変なんだ、何度も体が……中から疼く、んだ……ン……あああ!」

「ローズ! しっかり!」


 そのやり取りを少し遠くから見ていたマルチネがひょっとして、と思い当たる。


 注意深く周囲に気を配るがバルイロッチの気配は無い。呪いの様なものだけがローズに残されたというのだろうか。


「リン、お願いだ……これ、止めてくれ……ううう……ああ……」


 苦しそうにリンの肩や袖などを力一杯掴む。


「ローズ……どうしたら……」

「あん……あん……ああん……もう、嫌だ……リン、キス、して」

「え、ええ!?」

「お願いだ、これ、止めてくれ……」


 無論この状況でローズが冗談など言うはずもない。いつも強気な彼女が弱音を吐く事自体、相当辛いのだと想像出来るがまさかキスしてくれと言われるとは思っていなかった。


 が、そのローズの目を見ている内にリン自身も気付かない内にまた淫猥な気分になっていた。


「ローズ……キス、したら治る?」


 その言葉にコクリと頷く。


「ローズ……ローズ……」


 そこで遂にマルチネがバルイロッチの気配を掴み取った。


「待って、リン、ダメ!」


 だが既にリンの目もトロンと蕩けており、既にバルイロッチの術中に落ちていた。


 ローズの体を抱きしめ、辛うじて残るリンの僅かな意識では彼女を助ける為にとった行動だった。

 静かに唇を重ね、やがて貪る様に口付けをした。


「あ……あ……まずいまずい。もう一度……」


 マルチネはそれを見て再び先程、バルイロッチを一旦は消滅させたスキルの準備に入る。


 だがそれはキャンセルせざるを得なかった。散々リンが吹き飛ばされたエネルギー波が四方八方からマルチネを襲う。


「『防魔壁』!」


 耐魔霊のバリアを発動し、攻撃から逃げ出した。


 気付くととんでもない魔霊力が辺りを包み、ドス紫のガスが充満する。


「あ……う……」


 マルチネの目が見開き、恐怖に狼狽える。

 ローズは憑き物が落ちた様に血色が戻った。だが、唇を重ねたリンの様子を見て全身が総毛立つ。


「ふう……怖い魔法持ってるじゃん? お姉さん」


 その声は今しがたローズを助けようと必死になっていたリンから発せられた。


 リンの肌は魔神憑きとなっていたエルサと同じ、濃い紫色に変色した。


 紫とピンクのオーラの噴出や顔に浮かぶ邪悪な印も同じだった。


 口から牙を見せながらニィッと笑い、


「さ。さっき言った通りだ。君達3人を大人にしてあげよう」


 その声は差し詰め、地獄から聞こえる様な絶望を伴う声だった。

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