アンとリンの恋

 2日後、リン達は約束通りサンドロがいる室長室へと向かった。


「いらっしゃい。早かったね」


 部屋の中は彼が好むハード系の香水の匂いが微かに香る。今日はまだトレーニングはしていない様だった。

 ソファに目を向けるとそこに座る、見慣れない美しい女性に目を惹かれる。


 長い後ろ髪は綺麗なストレートヘアーで腰の上ほどあり、前髪はおでこを出してカチューシャで止められている。

 二重の大きな目は優しさを感じさせ、薄く化粧をしている。真っ白なワンピースを羽織り、細い手足は白く、美しかった。


 その女性はリンを見ると驚きの表情から泣き笑いの顔になり、深々と頭を下げた。


「あ、どうも……え、と?」


 リンがそう言うと頭を上げ、女性は首を傾げた。


「え?」

「あ、初めまして。『愛と平和』ギルド長のリン・ウィーです」


 丁寧に挨拶をするリンを見てサンドロが腹を抱えた。


「ワ……ワッハッハ! こりゃ可笑しい。ワッハッハ!」

「へ?」

「馬鹿ねえ……どうして初めましてなんです?」


 シャオが呆れた様に言う。


「え? シャオは知ってるの?」

「お前な……マジで言ってんの?」

「そら、ウチでもドン引きやで、リン様」


 ローズとレイジットにもそんな事を言われる。アルフォンスも分かっている様だ。


 もう一度女性へと振り向くと何とも悲しそうな表情になっていた。その表情に少し既視感があり、どこかで会っただろうかとリンが考えていると、


「こりゃリン君の人を見る目も怪しいな? ま、今回はたまたま私の意見と一致した様だが。マルチネだよ。彼女はマルチネ・フェンリル」

「はあ……マルチネぇぇ?」


 驚いてすぐにマルチネを見ると、怒ってプイッと横を向いてしまった。


「ハッハッハ。彼女を宥めるのは後でやって貰うとして……我々の調査で彼女は無罪放免となった。身元の引受人は君という事にしておいた」

「あ、有難う御座います! サンドロさん!」

「当たり前の事を当たり前にしただけさ。むしろ感謝したいのはこっちだ。冤罪を防ぐきっかけを作ってくれたんだからな」


 シャオがマルチネの側に寄り、笑い掛けるとニコリと微笑みかけ、立ち上がる。


「ウンウン。君も長い間、閉じ込めて申し訳なかった。実は少し動くに動けない事情があってね。リン君が来てくれたのがいいきっかけだったんだよ。本当にすまない」


 サンドロはマルチネに頭を下げた。


「いえ。サンドロさんには何度も謝って貰いましたし……本当に悪いのは民衛隊だと思ってますから」

「そうだな。民衛隊が厄介だ。だがあそこにメスを入れるのは直ぐには出来ない。で、だ。こんな事を私の口から言うのも何なんだが、あんな容疑をかけられたんだから当然、民衛隊に付け回される。一旦、田舎に引っ込むか、ギリアに戻った方がいいと思う」

「本当、サンドロさんが言うのも何ですね」


 リンが口を挟む。


「そうですね。ギリアに戻るというのは絶対にありませんが……神霊学術協会も滅んだも同然ですし。ただ、いずれは私の手で再興したいと思っています」

「そうだな。そうしてくれると私も嬉しい」


 マルチネはチラリと冷ややかな目でリンを見て、


「それまでは彼が嫌じゃなければ……彼らと一緒にいたいと思います」


 皮肉たっぷりのその言葉にリンは顔を真っ赤にして何度も頭を下げた。

 マルチネはそのリンの元へ近付き、その手を取った。


「よろしくね、ギルドマスター。私の命は貴方に預けるよ」


 晴れやかな笑顔と共にそう宣言した。


「マルチネさん、ようこそ!『愛と平和』ギルドへ!」



 ―

 道すがらギルド員という訳には行かない事、正式なギルド長は父、ロンである事、等を説明する。


「何でもいいよ。君といれるなら」


 マルチネはそう微笑んだ。


 程なくアンの霊符屋の前を通る。

 一瞬横目でそれを見たものの、スッと通り過ぎようとするリンにシャオが言った、


「リン、ニケを立つ前に挨拶に行かれては?」

「え?」

「行って来いよ。次、いつ会えるかわかんねえんだろ? レイジットには話をしてある」


 レイジットはというと恨めしそうな目付きでリンを睨みながらも何も言わなかった。


「みんな……」


 ギュッと拳を握り締めると、


「有難う。みんな。ちょっとお別れを言ってくるよ」


 快活に言って霊符屋へと足を向けた。



 扉を開ける。

 すぐに鼻腔を擽るアンの匂い。同時に少年時代の淡い恋心が頭の中を駆け巡る。


 彼女はまるで彼を待っていたかの様に店の真ん中に立っていた。


「あの、アン。今日で帰るよ」

「聞こえない。もっとこっちで喋ってよ」


 言われるがまま、催眠術にかかったかの様にアンから目を逸らさず、目の前へと歩いた。


「今日で、帰るんだ」

「そう。色々と上手く行ったんだね」

「うん。えと、アン、その……この前はごめんね」

「ねえ、リン」


 今度はアンが一歩近付いた。


「あの時、酔い潰れたフリしたでしょ」

「え? え? いやそんな事は……」

「年上、舐めんなよ?」


 リンの目を覗き込み、


「あーあ。今度は私が振られちゃったのね」

「いやそんな事は……」


 どうしていいか、何を言えばいいのか分からないリンの首にアンはスッと手を回し、自ら唇を重ねた。


 リンが硬直する。

 数秒、アンはリンの口を貪った。


「リン。大好き、リン。また会いに来て。恋人じゃなくてもいいから」


 それにリンが答えるより先に、またアンがリンを強く抱き締め、さっきよりも長いキスをした。


 その間、リンは全く動けず、幸せの絶頂を噛み締めながらも一抹の不安を感じていた。


(どうしてアンはこんなに俺の事が好きになったんだろう……?)


 会えなかった時間が育む恋、というのもあるのかもしれないが、余りにも突然の事の様にリンには感じられてしまった。


 唇を離し、リンの目を見つめるアンに、取り敢えずコクコクと頷く事しか出来なかった。

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