サンドロのアドバイス
翌朝。リン達が泊まっている宿屋。
頭が痛過ぎて目が覚めた。
人生で初めてと言っていい程の激しい頭痛と吐き気でリンの体調は最悪だった。
取り敢えず顔を洗いにと洗面所へヨロヨロと向かうと歯を磨くローズがいた。
「おっす。顔、死んでんぜ?」
歯ブラシを加えて無表情にローズが言う。
「うう……何でこんなに体調悪いんだろう……ちょっと、ヤバい」
「あ? お前、昨日の事覚えてね―の?」
「昨日の事?」
昨日、何かあっただろうか。
サンドロに会ってマルチネに会って、それから……
と考えていた時、ローズが悪そうな笑みを浮かべ、ニヤリとした。
「レイジット、大激怒だぜ? 覚悟しろよ?」
「大激怒? なんで……」
「あとさ」
真面目な顔付きになり、ローズがリンの耳元に顔を寄せた。
「今回みて―のは言いにくいのかも知んね―けどさ。どこに行くか、あたしにはちゃんと言っといてくれよ。誰にも言わね―からさ。何かあった時にお前を守れなかったらあたしは一生後悔する」
ズキズキと大きく脳が波打つ感覚を覚える程の頭痛と戦いながら何故かローズに罪悪感を覚える。
その時、廊下の奥から明らかにリンを咎める口調の声が聞こえてきた。
「あああ! リン様!」
「ほら来た。まあ、怒られとけよ」
背中をパンッと叩かれ、またもや頭に響いて顔を顰めた。
レイジットは足を踏み鳴らして廊下を一直線に歩いてきた。リンを睨みながら、だ。
「あ……お、おはよ」
「エッチしたんか!?」
涙目でリンに詰め寄った。
「あ、う……ちょ、声をもう少し、小さく……」
「したんか!? あんの……クッソ綺麗なお姉さんと!」
あまりの大声に「頭が割れそう」に「目玉が飛び出そう」が加わる。
一体何があったのか、城を出て一人で霊符屋に行って……
ゆっくりと順番に昨日の事を思い出し、ようやくレイジットが何故怒っているか、さっきローズが何を言っていたかを理解する。
「ちょっと待って……お願いレイジット……頭が割れそうなん……」
だがレイジットは容赦無くリンのシャツの襟元を掴み、首をガクンガクンと振るわせて、
「リン様裏切ったんか! なあ、やっぱりあの
プチンッ ―――
頭の中で何かが切れる音がして、再びリンは意識を失った。
―
「……ぁぁん! リン様殺してもうたぁぁぁ」
レイジットの泣き声が聞こえてきた。
目を開けると先程までとは打って変わっていつもと変わらない体調、頭が割れるほどだったあの頭痛はどこへやら、ただ痛かったという感覚を覚えているだけだった。体も軽い。
「あ! 生き返った!」
「やあ、おはよう、レイジッ……」
「うわぁぁぁん、ごめんリン様ぁぁ! やり過ぎたぁぁ、嫌いにならんといてぇぇぇ」
リンに抱きつき大声を出して泣き叫ぶレイジットの頭を呆気に取られながらも撫で、その横に座っていたシャオと目が合う。
「気分は如何です? リン」
「うん。もう何ともないよ。シャオが治してくれたんだね」
シャオが少しホッとした顔をした。
「飲むのも程々にして下さい。あともうちょっとで私の手には負えない所でした」
「ええ!? シャオの手に負えない事なんてあるの?」
「はい。もう少しで『蘇生』が必要でしたよ。超レアもいい所なので持っている人がこの世にいるかどうか知りませんが」
蘇生……つまり自分は死にかけたという事か、とゾッとする。
「う。わかった。これから注意するよ」
「はい。それと何も覚えていない様なので教えておきましょう。昨日の晩、酒場のマスターに背負われた貴方と一緒にアンさんが来ました」
「アンが……」
「はい。余りにもお綺麗になっていて私もビックリしましたが……2人で飲んでいたと知り、レイジットが逆上してアンさんと口論になり」
「ええ!」
「売り言葉に買い言葉だとは思いますけど、アンさんが『リンと寝た』と」
「え、嘘」
「その「嘘」はどっちの意味なん!? 『え、なんでそれ
再び涙混じりの追求が始まる。
だがさっきとちがって掴み掛かろうとはしなかった。さすがに瀕死に追い込んだ事で少し反省したようだ。
「いや、どっちかって言うと後者だけど、多分してないよ。うん。背負われてる記憶は無いんだけど酔って寝ちゃった記憶はあるからね」
「やっぱり寝たんかぁ!?」
「その『寝る』とは多分意味が違う」
体調がスッキリした事でようやく記憶もはっきりとする。
「酒場で寝ちゃったんだ。格好悪過ぎだね」
「ふ――ん……信じてええ?」
「うん。色々とごめんねレイジット、それにみんなも」
「ううん、ウチもごめん、殺しかけて」
「怖いなその理由」
ようやくレイジットの怒りは落ち着いた。だがリンが告白した相手、アンと会った事で色々と思う事はあった様だ。
「でもリン様が思わず告るのもわかるわ。綺麗過ぎるもんあの人。好かんけど」
「そうですね。昔から綺麗な方でしたが……何で未だに独身なのか不思議なくらい」
「フン。そんなんリン様が好きやからに決まってるやん。山ほど告られとる筈や」
そんな事を喋りつつ、再びマルチネに会うため、城に向かう事にした。
―
2時間後。王城の地下牢。
「はあ? ギリアのスパイ?」
昨日一晩泣き明かしたのか、目が腫れて痛々しい顔のマルチネが口を開けて驚いた。
「そんな容疑が掛かってるんだってさ」
「ちょ、待ってよ、何で私がそんな……」
「心当たり、ある?」
「そんな事言われても……周りの人達はみんないい人だったし」
全く心当たりは無いといった感じのマルチネを見て、
「うん。じゃあ近い人からの密告とかそんなんじゃあ無いって事だね。マルチネさんがギリア出身だからと言って差別される様な事もなかった?」
「うん。ヴァタリス出身だったらなって言ってた人はいたけどそれは寧ろ私を受け入れてくれた言葉と感じてたわ」
そうなるとリンの中では答えはひとつだった。
『赤のリーニー』。
それしか考えられない。ニケにいる彼らはヴルタニア渓谷で対決した様な粗野な賊などではなく、強力なリーダー『リーア』によって統率される、恐ろしい反社会組織と噂されている。
昨日の民衛隊の態度を見ると組織上層部への癒着もあるのかも知れない。今日の面会も一悶着あり、最終的に3分だけと言う事で許可が降りたのだ。
「そうか。分かったよ。あとは俺達に任せて」
「え……」
「君を絶対にここから出す」
この時どうするかは全くのノープランだったリンだが、それをおくびにも出さず言い切った。
―
ヴァタリス王国国防室、室長室。
マルチネとの面会の内容をサンドロに伝えるべきと判断したリンはその足で室長室へと向かった。
取次官は、普通はアポが無いと無理ですけど、と無表情に言った。だがすぐに、自分がいる時に貴方方から連絡があった時は取り次ぐ様にと言われていますので、とリン達を案内した。
「やあ君達。そろそろ来る頃だと思っていた」
サンドロはトレーニングをしていた。
部屋の中は汗の匂いと香水の匂いで蒸せ返る。
上半身裸になってウエイトトレーニングをやっていた様だ。汗を拭きながらソファへと手で示す。
「我々の仕事は運動不足になりがちでね。必ず2時間はこうやって汗を流す様にしてるんだ」
「はあ、なるほど」
「各領の政務官にも勧めてるんだが……で? 一応聞いておこうか。今日は何の用かな」
「マルチネの事で」
「だろうね。今日も会いに行ったらしいじゃないか」
「ご存知でしたか」
「この城に常駐している民衛隊のグレゴリオール君が来たからね。君達を追い払ってよいかと」
リン達は顔を見合わせる。
「という事はサンドロさんが面会を許可してくれたって事ですか」
「まあそうだけど感謝する必要はないよ。君達にはカイの一件で相当感謝しているんだ」
「と言って……」
「何よりマルチネ・フェンリルの事でもそうだ。君達が持ってくる情報は本来民衛隊から報告されて然るべきものなのに彼らからは一切上がってこないのでね。むしろ私が君達を利用しているという見方をしてくれて構わないよ」
ここまで明け透けに言われるとむしろリンにとってはやりやすかった。
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」
そうして今日の面会の状況をそのまま伝えた。
「なるほど。君達の目では彼女はスパイではないと」
「そうです」
「スパイ容疑がかかると通常、解放は途轍も無く難しい。理由はわかるかな?」
サンドロの問い掛けにシャオが答える。
「スパイでないと立証する事が難しいから、でしょうか」
「その通り。なので基本は周囲の近しい人間への聞き取りが主になるのだが……」
「そうか。この場合、それらの人が皆、殺されている」
リンがポンと手を打った。
「そうだ。そこでこの事件はスパイ容疑と殺人容疑がリンクして難しくなっている。方や我々の管轄、殺人の方は民衛隊の管轄でね」
「彼女はどっちもやっていない!」
少し声を大きくしてリンが断定した様に言う。
「それを判断する材料の一つに君達を利用させて貰った……実は私も彼女とは面識があってね。その様な事をする人ではない、と個人的には思っている」
「サンドロさんが、彼女と?」
「ああ。最年少『賢者』を王室に招いてのパーティがあってね。ジャン王子が企画したのだがその時に私も出席して少し話をした」
そういえばマルチネもそんな事を言っていた、と思い出す。
「君達の意見は意見として私の判断材料とさせて貰う。我々は我々で尋問はするがね。で、これから君達はどうするんだ?」
グッと身を乗り出し、強い口調でリンは、
「我々のミッションに彼女は必須です。どうにかして無罪を晴らします」
だがそれにサンドロは笑いながら顔の前で手を振り、思いもよらない事を言った。
「アッハッハ。そりゃあ、無理だよ。よしなさい」
「え!? それは何故です」
リンの必死の言葉にサンドロは笑みを絶やさず、驚きの言葉を放つ。
「殺人現場は民衛隊によって保護され、とっくに整理済みだ。証拠となるものは何一つ残っていない。そして万が一、君達が何かの証拠を持ってきたとして、だ。民衛隊の上層部が賊と癒着しているというなら君達ごと潰されて終わりだろう。まあ私がこんな事を言うのもなんだけどな」
正論を言われて二の句が継げなくなる。
何とか絞り出した言葉は、
「いや、ほんとに貴方がいうのも何ですね」
だった。
「ハッハッハ。まあこの地位に来るまでいくつも汚いのは見て来てるからな。王国を守るには多少の清濁は併せ呑むのが私のモットーでもある」
愉しそうにそう言った。
言っている事はわかるし、色んな人間がいる世界ではそうでなければ上には立てないのだろうと想像も出来る。
だがマルチネに降り掛かっている冤罪は晴らさなければならない。そう思って抗議しようとした瞬間、サンドロが言葉を続けた。
「が、そうだな……君達には恩もあるし。よし、2日経ったら来たまえ。我々の事情聴取の結果、問題なければ手続きをして釈放してあげよう」
「そ、そんな簡単に!?」
この部屋に来てから驚きの連続だった。
唯一、世慣れているアルフォンスだけがその考えについていっている様だった。
「まあ、カイの脱走みたいなリアルの話と違って元からガセっぽかったからな。私が判断して問題なければ即刻釈放手続きを取ろう」
「わ、分かりました。よろしくお願いします」
歯が立たない相手というのは居るものだと深く痛感しながらリン達は城を後にした。
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