霊符屋のアン(後編)

 一旦宿に向かった一行。

 リンはアンとの話をシャオとアルフォンスに話す。


 シャオは片目を瞑り、任せての合図を送る。が、小声で、リンを応援はしますけどレイジットやローズが悲しまない様、どういう判断をするにも誠実にお願いします、と言われる。

 一瞬、何故ローズ? と首を傾げたリンだったが分かったと伝えた。


 その日の夜。


 ニケには規模の大きな酒場がいくつもある。だがアンが選んだのは顔見知りが経営する小さな酒場だった。10人も入れば店は一杯だ。


 他に客はおらず、アンとリンは唯一の個室である奥の4人テーブルへとついた。


 暫く料理に舌鼓を打ち、酒を飲む。

 だが実際の所、リンは料理の味など殆ど感じなかった。


 子供の頃からの憧れだったアンと一緒にいるこの時間が信じられなかった。


「ちょっと飲むペース、早くない? 大丈夫なの?」

「そ、そうかな。これ位いつもの事だよ」


 普段大して酒を飲まないリンだったが今だけは飲まずにはいられなかった。素面では緊張して話せないのだ。


 次々とグラスを空けていくリンを半ば呆れ顔で見ていたアンだったがやがて本題へと入ってきた。


「今回はどうしてニケにやって来たの?」

「ん。カイを捕まえろって依頼でね。報酬を貰いに来たんだ」


 サラッと言った言葉だったがそれにアンがひどく驚いた。


「え! あの『透明人間』?」

「そうだよ」

「す、凄いね……リン。あいつ捕まえたんだ」

「いや、ぶっ飛ばして捕まえたのはうちのメンバーさ。みんな凄いんだ」


 それでも感心する事しきりのアンだった。


「……で、報酬を貰いに来たって事ね?」

「うん。それともうひとつ」

「もうひとつ?」

「マルチネ・フェンリルって知ってる?」


 一瞬アンの顔色が変わる。が、酔っているリンにはわからない程短いものだった。


「勿論知ってるよ。有名だもの。史上最年少『賢者』で……8人の幹部を殺した殺人犯、だよね」

「前半は合っている。けど後半は間違いだ。彼女はやっていない」

「何でわかるの?」

「会って話したから」

「それだけ?」

「それだけ」


 ふうん、と頷いて、


「それでそのフェンリルさんが?」

「有能な彼女に助けて欲しい依頼があってさ。彼女でないとダメなんだ」


 そこでまた目を爛々と輝かせ、


「それってさ、今日言ってた『封印』と関係あるって事? 何で『封印』なんて探してるの?」

「何でそんな事聞きたいんだい?」

「そりゃあ興味あるもの。ニツィエの片田舎にいる貴方が何で『封印』なんて特殊なものを探しているのか」

「そんなの知ってどうするんだよ」

「バカねえ、ここはニケだよ。情報は宝でしょ」

「……」

「『封印』は魔霊、精霊に属する異界の住人を神霊なる器へ封印する、効果時間は使用者の練度と能力による」


 そこでキラリと目を光らせ、


「どこかに悪魔でも召喚されたの?」


 好奇心一杯に探る様な目付きをして悪戯っぽく笑う。


「まあ今すぐに必要な訳でもないんだけど。母さんがいないからさ。万が一そんな依頼があっても対応できる様に、と思ってね」

「ユウリさんが? 何かあったの?」


 少し驚いた顔をして聞き返す。


「あれ知らなかったかい。父さんと母さん、行方不明なんだ」

「えええ! 知らないよそんなの! 初耳!」


 アンは大袈裟に体を後ろに倒し、目を丸くした。


「2年前からちょっと出掛けてくるって出てったきり帰ってこないんだ」

「……じゃあ今、ギルドはやってないの?」

「やってるよ、去年俺が継いだ。といっても父さんが帰ってくるまでだけどね」


 ようやく納得がいったという様に、


「道理で最近見かけないと思った。そう……あなたも苦労してるのね」

「いや別に大丈夫さ。皆が助けてくれるからね」


 リンの顔を頬杖をついて眺めていたアンだったが、不意にリンの隣に席を移す。


「ちょ、ちょ、な、なんで横に来るの?」

「ウフフ。嫌?」


 傾げた顔のあまりの可愛さにリンの意識が飛びそうになった。

 アンは頭をリンの肩にピトッと置いて暫く何も言わなかった。


 当然の如く、リンは顔どころか手の甲まで真っ赤になる。


 その手に自分の手を重ね、


「赤くない? 飲み過ぎじゃないの?」

「飲み過ぎだよ!」


 その答えにプッと噴き出す。


「普通はそこ、否定するもんだけどね……ねえ前に貴方が私に告白した時のこと、覚えてる?」

「勿論さ。アンにアッサリ振られた事は覚えてるよ」


 笑いながらリンがそう言うと、肩から頭を離して真面目な顔でリンの顔を真っ直ぐ見つめた。


「何言ってんの。アッサリじゃないよ。でもあの時貴方はまだ15歳だったし、私は20歳超えてたんだからそりゃ断るしかないじゃない」

「そうだ。立派な大人になって気持ちが変わらなかったらって言われたんだ」

「うん。で、どう?」


 リンは心臓が一瞬飛び出た気がした。

 ふざけている様子は無い。非の打ちどころ無く整った顔で真っ直ぐにリンを見つめる。


(え? 待って。これ……脈あるの? いや、きっと父さん達の事で同情してくれてるのが恋愛感情とごちゃ混ぜになってるんだよな。うん。きっとそうだ)


 リンがそう思った瞬間、アンがフッと笑顔になる。


「あ……たださ、念の為言っとくけどあれから貴方が3つ年取ったのと同じだけ、私もとってるからね」

「そりゃ当たり前じゃないか」

「もう24歳だけどさ。それを踏まえてどうなの?」


 リンは持っていたグラスに残っていた酒をグイッと飲み干し、


「同情……かな?」

「そうかも。でも多分違うと思うけど。告白されてから時々思い出すんだ、リンのこと。男前だったな―、性格の素直な良い子だったな―って。今どんな感じになってるだろうって」


(マジか)


 リンにとって、それは考えもしない事だった。

 子供扱いされ、子供園の先生が園児に好きだと言われた時に返す定型句の様に「大人になったらね」といなされたのだとばかり思っていた。


 あれ程美しいアンの事だ。ニケのイケメン、富豪達が放ってはおくまい、アンはその中から有料物件を選ぶんだろう、そう思っていた。


「予想通り、いやそれより格好良くてしっかりしててびっくりした。二代目継いで大変だったんだろうね」

「いやさっきも言ったけど、みんなが支えてくれるからね」


 リンの右腕をアンが抱いた。もちろんアンの胸のプニュッという感触が伝わる。


(カ……カ……息が、し、死ぬ……)


 アンは更にとどめを刺す様に額をリンの肩にコツンとのせ、


「ねえ……今晩、うち、泊まっていく?」


 先程まで顔色は一切変わっていなかったアンが、その自分の言葉で耳の裏まで真っ赤にしているのが分かった。


「あの、これ、夢? 俺、ひょっとしてまだニツィエにいるのかな」

「夢じゃないよ」

「分かったぞ……お前、何モンだ!」

「アンよ。バカ」


 また顔を上げ、真っ赤な顔で上目遣いでリンを見た。


「そ、その、い、いいの? 本気?」

「何回言わせる気なの。ダメなのに言う訳ないでしょ」


(俺、今日、死ぬのかな)


 そう考えた瞬間、ニツィエの出発前の事と今日、宿から抜け出すのを手伝って貰った時のシャオの言葉が走馬灯の様に頭に過ぎった。


 ―――

 ……


「その、本当は、どうなんだ? い、いや、あたしは別にお前に彼女がいようが嫁がいようがいいんだぜ? た、ただ気持ち悪いから知りたいだけ、だぜ。い、嫌なら別に言わなくても……」


 ……


「じゃあ久々に会って、またその人もっと綺麗になってたらどないするん?」

「あ、今、想像したなぁ! ……いや、むしろ『君が大人になるの、待ってたで』とか言うて向こうから誘って来たらどうするん!」


 ……


「リンを応援はしますけどレイジットやローズが悲しまない様、どういう判断をするにも誠実にお願いします」


 ……


 ―――



 バタリ。


「あ、あれ、ちょ……」


 考え過ぎた結果、頭の回路がオーバーヒートを起こしたのか、本当に死の直前だったのか、リンは白目を剥いて机の上に倒れてしまった。


「ちょ……ねえ! リン! 起きてよ、リン!」


 慌てたアンの声が遠くから聞こえる様にリンの耳に入って来る。


「えええ……もうぉぉぉぉ、バカリン!」


 パチンッ!


 アンの怒りの平手打ちが倒れたリンの後頭部をはたいた。


「マスター! リンが死んじゃった! 宿に送るの手伝ってえ!」


 最後にそんな怒りの叫びが聞こえた様な気がした。

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