霊符屋のアン(前編)

 マルチネが話し終える。


 途中、協会の役員達が死ぬくだりは思い出して涙を流していたが、今は落ち着きを取り戻したようだった。


「あの、民衛隊に今の話は……」


 部屋の隅にいる1人を横目で見ながらリンが言った。


「勿論、したよ」

「それでどうしてそれで逮捕されてるの?」

「嵌められたんでしょ」

「その……ダロスって奴に?」

「それか、黒幕か。分かんないけどね」


 思わずローズ、アルフォンス達と顔を見合わせる。アルフォンスが一言、


「ま、嘘をついてるようでもねえし、話を聞く限りはそうだろうな」


 リンも頷き、マルチネに向き直る。


「マルチネ。安心して。何もしてない君が罰を受けるなんておかしい。俺達が絶対に真犯人を見つけてやる」


 途端、またマルチネが泣き崩れる。それはどういう感情のなのか、この時のリン達にはよくわからなかった。


 暫くしてまた顔を上げたマルチネは少し笑っていた。だが、


「無理よ」


 そう短く言った。


「無理な事あるもんか。『愛と平和』ギルドを舐めて貰っちゃ困る」

「じゃあ言っておこうか。私達を襲い、私を嵌めた相手」

「え? 知ってるの?」

「そこまでです」


 それまで部屋の隅で静かにしていた民衛隊の隊員が割って入る。


「え?」

「ちょ、何でや。今、大事なとこやん!」


 レイジットが言うが隊員は首を振り、ダメですの一点張りだった。程なくマルチネの側にも隊員が現れ、彼女の両腕を掴み、強引に連れて行こうとした。


「おいやめろ! 乱暴に扱うな!」

「リン!」


 マルチネの悲痛な叫びが聞こえた後、リンには確かにマルチネの唇が動いたのが見えた。


『赤のリーニー』と。



 ―

 本来、そのまま宿へと戻る予定だったが余りの予想外の内容に、リンはもう一度サンドロと会う事にした。


「……そんな感じです」


 事の経緯を漏れなく伝える。

 途中、何度か眉をピクリとさせるが、最後まで黙って聞いていた。


「民衛隊がねえ」

「怪し過ぎるでしょう。嵌められたんです、彼女は」

「それを信じたと?」

「勿論。会って確信しました。彼女は嘘をついていないし、殺してもしない」


 腕組みをしてふむ、とひとつ鼻から息を吐いた後、サンドロが表情を変えずにリンに言った。


「さっきも聞いたが、もう一度確認しておこうか」


 突然そんな事を言われ、虚を突かれたリンが黙る。


「彼女が何をしてあそこに入れられているかは知っているか?」

「ああ、だから殺人の容疑で……」

「違う」

「え?」

「彼女にはギリアのスパイである容疑が掛かっている」

「ええ!?」


 確かに最初から違和感があった。


 民衛隊が捕まえ、尋問している筈なのに何故王城の地下牢に入れられているのか。あそこは政治犯や国家転覆を狙う様な犯罪者が置かれる場所なのだ。


「今は民衛隊で殺人の容疑で取り調べ中であるが、並行して我々国防室がそちらの取り調べをする」



 ―

 リン達は王城を後にする。


「そんなに気を落とすなよリン。また明日来よう」


 ローズがリンの背中をポンと叩き、そんな励ましの言葉を掛けた。


「せやで。別にホンマにスパイやと決まった訳やないし、あの人、絶対悪い人ちゃうし」

「有難う、ローズ、レイジット」


 サンドロの言った言葉、マルチネが最後に唇の形だけで知らせてくれた言葉が頭を巡る。


「リン、あそこに霊符屋があります。王都なら『封印』の情報もあるかもしれませんよ」


 シャオが言う。マルチネを放っておくのか、と一瞬怪訝気な顔をしたリンだったが、シャオの目配せではたと気付く。


(あの霊符屋は……)


 それに気付くと共に少し心臓の鼓動が早まった気がした。


「そ、そうだね、シャオ」

「私、ちょっと寄りたいアクセサリーの店があるんです。ローズとレイジットも如何です?」

「見たい見たい!」

「え……あたしは別に……」

「え――何でやローズちゃん! 一緒に行こ!」


 シャオが誘導し、レイジットとローズを誘い離れていった。


「ヘッヘ。お節介な奴だなシャオは。前の鎖の件でお前の態度に感動したらしいぜ」


 アルフォンスがリンに耳打ちをする。


「え、そうなの?」

「ああ。そのお返しじゃねえ? 有り難く受け取っておけよ。マルチネの事は今はどうしようもねえ。明日考えよう。じゃ、俺もブラッとその辺の店入っとくぜ」

「あ、有難う、アルフォンス」


 1人になったリンはキュッと唇を噛み締め、やがて意を決した様に霊符屋に入った。


「や、やあ……」


 見渡す限り誰もいない。


 何故リンがこれほど緊張しているのか。


 それはこの霊符屋こそが、出掛けにジャネットが暴露した、『3年前にリンが告白した相手』がいる店だったからだ。


 それ以来王都には来ていない。向こうが自分を覚えているかどうかも怪しかった。


(いやそれどころかそもそも店主、変わってたりして……)


 奥へと進むが全く人気が無い。


(あれ? 今日休み?)


 休みの看板出てたっけ……そう思ってクルッと振り返った所に彼女はいた。


「おわぁぁ!」

「よっ!」


 全く気配を感じなかった為、リンは心底驚いた。


「あ、あ、アン」


 前髪を下ろして横に流し、後ろ髪は肩の少し下あたりまでで裾の辺りはウェーブがかかっている。アン自身は嫌がっていたが何とも魅力的だとリンは思っていた。


 大きな目は目尻が吊っており、スッと通った鼻のラインから少し厚めの真っ赤な唇は吸い込まれそうな程の色気を放っていた。


 リンは彼女を見て、


(ヤバい。3年前よりもっと綺麗になってる……)


 更に心臓の鼓動が高鳴った。


「久し振り――! 背、伸びたね!」


 アンも女性としては低くは無い。丁度、リンの鼻の位置辺りに目がある。


 サッと近付き、自分の背とリンのそれを比べ、少し残念そうな顔をする。


「チッ……抜かれたか……」

「う、う、近い」

「あ? 何? 近いと何か?」


 リンを睨みながら更にズズズと近寄るアンにたじろぐ。


(う、く、何て良い匂い。ヤバい、気を失いそう)


 ギルドの女性メンバーにはあまり感じない、いや無意識に感じない様にしているのかもしれないが ―――、強烈な異性としての匂いを感じて頭がクラクラする。


(ダメだ。俺、アンを目の前にすると)


 レイジット、ライラ、シャオ、ジャネット、そしてローズ、身近に可愛く綺麗な女性が沢山いるというのにアンの前ではただの初心な少年になってしまう。


 呆然とアンに見惚れるリンに首を傾げ、


「で、何しに来たの?」


 その可愛くも芯のある声もリンの心臓の動きを加速させる。


「ちょ、ちょっとスキルが入り用でね……ひょっとしたらここにと思って」

「おお。お姉さんに言ってご覧。どんな?」


 戯けてそんな事を言った。たまらず目を逸らし、周囲の霊符を見回しながら、


「ちょっとレアなんだけど、『封印』なんだ」


 一瞬、アンの今までとは違う視線を感じる。しかしリンがアンの顔を見た時には既にその感じは無くなっていた。


 顎に手をやり、


「『封印』かぁ。攻撃系のレアな奴より出回って無いんだよね。あ、ひょっとしたら……」


 棚の奥の方をガサゴソと探す。リンに後ろを向いた体勢のまま、


「ちなみにさ――。何に使うの?」

「え……と、何だっけな……」


 アンを目の前にして魔神を、等と言うのが憚られ、曖昧に濁す。だがどうやらそれが余計にアンの興味を誘った様だった。


 ゆっくりと振り返って真っ直ぐリンの目を見る。何も後ろめたい事は無いのだが思わず目を逸らしてしまった。


 アンはとても愉しそうにニコリと笑い、目を細めて、


「残念。無かったよ」

「そそそ、そーかそーか。し、仕方無いよ。探してくれて有難うね」


 アンは再びリンとの距離を詰め、悪そうに眉を立てて口元をニヤリとさせた。


「ねえ。今日の夜、空いてる? 久しぶりだし、君も大人になった様だし、お話ししようよ」

「す、するする!」


 この時、リンの頭からアン以外の事は全て抜けていた。

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