牢の中のマルチネ・フェンリル

 ヴァタリス王国国防室、室長室。


 リン達は命令書にサインのあった、国防室室長のサンドロ・ローグという人物と会っていた。


 歳は30代前半、非常に良い体付きで顎髭が生えている。目付きは鋭く、髪の毛は短髪で政治の人間というよりは軍人というのに近いとリンは感じた。


「有難う。よくぞカイを捕らえてくれたな。実の所半ば諦めていたのだが」


 言い終わらない内に金貨袋をリンの目の前に置いた。


「有難う御座います。頂戴します」

「ふむ。皆、若いのにかなり腕が立つと見える」

「フッフッフ。まあ正直、自信はあります」

「ハッハッハ。正直で結構! これから観光か?」

「いえ、ちょっと室長に折り入ってお願いが」


 そう切り出すとサンドロは怪訝な顔付きになり首を傾げた。


「お願い? 聞ける事であれば聞いてあげたい所だが」

「マルチネ・フェンリル。ご存知でしょうか?」

「勿論」


 サンドロは即答した。と同時に細い目が更に細くなり、厳しく吊り上がる。


「彼女に会わせていただけませんか?」

「何故」

「会って話をしたいのです。我々には彼女の持つスキル『封印』が必要です」

「『封印』? 奴が何をして牢に入れられているのかは知っているか?」

「一応は」

「その『封印』とやらのスキルが必要な理由は」

「実は……」


 一瞬悩んだリンだったが、結局ラヴィリアの事は言わず、ニューアーク村の魔神封印の話だけをした。

 王国の政治のトップに近い人物に言う事でラヴィリアにどんな影響が及ぶかが読めなかったからだ。


 リンの話を聞き、深く背もたれにもたれ、フゥと息を吐く。


「これは、簡単に信じられない話だな。といって君達が嘘をついていると言っているのではない。そうでない事はわかる。人を見るのも私の仕事のひとつだからな」

「まあそうですよね。いきなり魔神とか国が滅ぶとか言われても」

「ああ。参ったな。君達は凄い世界に生きているんだな。尊敬するよ」

「いや、それは逆に我々が政治など出来ないのと同じです。それに室長程の高い地位にいながら我々の話にもしっかりと耳を傾けて下さる。尊敬に値します」


 リンがそう言葉を返すとまた大きくワッハッハと笑った。


「うーん。若いのにしっかりした奴だ。軍に来て欲しい位だ」

「あはは。それはご容赦下さい」

「分かっとる、真に受けるな。よしわかった。カイの一件の功績を考慮して私の名で特別に面会の許可を出そう」

「有難う御座います!」


 トントン拍子に話が進み、その日の内にマルチネに面会できる運びとなった。



 ―

 地下牢がある地下3階。


 ひんやりとして少し湿気が感じられる。

 独房が並んでおり、一目で重大な犯罪を犯したものが収容されているとわかる。


 階段の手前に守衛室の様なものがあり、その奥に投獄された罪人と面会出来る部屋があった。


 対面式で話せるが、面会者と罪人が座る間には頑強そうな鉄格子がある。カイを閉じ込めた移動牢と同じく、ここもスキル無効の場所なのだろう。


 部屋の隅には監視役なのか、罪人が暴れ出した時の為か、民衛隊と思われる制服を着た男が1人座っており、あとは面会者と罪人、それぞれの側に簡素な机と椅子が置かれているだけだった。


 リン達はここに通され、マルチネを待っていた。


 数分待つ。唐突に扉が開き、髪の長い女性が手枷を付けて入ってきた。


「貴女がマルチネ・フェンリル!」

「? 誰?」


 遂に会えた喜びでリンは満面の笑みだったがマルチネの方は毎日の辛い独房生活に加え、誰か分からない人間に面会を希望され戸惑っている様だった。


 煤けた青の上下を着て手枷を付けている。足は裸足で頰は痩け、唇は土気色をしていた。


「俺は『愛と平和』ギルドのギルド長リン・ウィー。こちらはローズ、レイジット、シャオ、そしてアルフォンス」

「はぁ。で、何の用かしら? 面識、ないよね?」

「面識は無いよ」


 これまでとにかくマルチネに会う事ばかりを考えていた為、会ってどうするかを考えていなかったリンが、そこではたと黙り込んでしまった。


(これは何を言えばいいんだ?)


 彼女は独房に入れられている。当然だろう、8人も殺しているのだから。なら力を貸してくれ、とはまず言えなかった。


 早くここを出てくれ? それを決めるのは彼女では無いし、犯した罪の重さからすると一生出られない可能性の方が高い。


 それにしても目の前の女性は長い髪はボサボサで化粧もしておらず、地下のせいか肌色も悪い。だがそこはかとなく気品が感じられ、人など殺しそうには思えなかった。

 だが犯罪者とはそういうもの、一見虫も殺さない様な人物が凶々しい狂気を持ち合わせているとも聞いた事がある。


 面識はないと言って黙ってしまったリンに興味を無くした様に腰を上げ、


「話す事はないよね。帰っていい?」

「待って!」

「何なの、貴方達」

「何で……何で殺人なんかしたんだ?」


 それをリンが聞いてどうするというのか。だが何となく聞かずにはいられなかった。

 マルチネは一瞬躊躇したがまた椅子に座り、不思議そうな顔でリンに向き直った。


「何で私が初対面の貴方にそんな事を?」

「マルチネさんに会ったのはこれが初めてだけど人殺しなんかしそうに無いと思って」


 何故かその言葉でマルチネはゴクリと唾を飲み込んだ。


「そ、そんなの、一目で、分かるの」


 視線を手前の方に移し、露骨にリンの目を避けた。


「分かる! 貴女の目は初めて会った時の……ここにいるローズやレイジットと同じ、怯えた目をしている。事情があるなら教えて欲しい。出来る限り力になるよ」


 根拠は乏しいがリンは言い切った。その間、マルチネは上目遣いでリンを観察する様にちらちらと見ていた。が、ふと視線を逸らし、何かを考え、やがてハッとしたような表情をする。


「ちょっと待って……まさか……」


 ん? とリン達が怪訝な顔をする。マルチネはそれには構わず、


「ああ……こんな事って……」


 突然涙を流し、机に突っ伏して泣き出した。


 呆気に取られるリン達を他所に暫く泣いていたマルチネだった。


 やがて落ち着きを取り戻し、首を振る。


「貴方達を信じるよ。私もだけど貴方達が悪い人には見えないもの」

「それは誓うとも」


 リンが強く言うとようやく笑顔になり、ウンと頷いた。


「3ヶ月前のあの日、『賢者』称号の祝賀の二次会を私の家でやる事になったの」


 そして語り出す、神霊学術協会員8人惨殺の内容を。



 ―――

「いや、めでたい。これでヴァタリスの神霊術も更に発展するであろう」

「『賢者』は長らく空席であった称号、しかも」

「左様、これでフェンリル殿は歴代賢者の最年少記録保持者となった。最高位『神使』に上り詰めるのも時間の問題であろう」

「出身がギリアなのが我らからすると何とも歯痒い所ではあるが」

「何の、出自など関係は無い。平民だろうが冒険者だろうが、ギリア出身だろうが優れているものは等しく尊敬できる」

「カマ様の仰る通り。更にフェンリル様には『賢者』ともう一つ、大きな武器がある」

「そう、非常にお美しい、という事。これも才能の一つ、神が与えたものであろう。フェンリル様に憧れて一層協会員も増えるというもの」


 口々にマルチネを褒め称える声を彼女は黙って聞いていた。


 21歳の時にギリアからヴァタリスのニケに居を移して3年。彼女の神霊術の才能はその研究が盛んなニケにおいて開花し、程なく協会役員の目に留まった。


 フェンリルは人生で最高の気分だった。それは『賢者』まで上り詰めたからではない。


(地位の高い人間なんて腐った奴ばっかり、男は女を性欲を満たす道具位にしか考えていないと思ってたけど、違った)


 この協会の役員は8人。

 それぞれ個性はあれど、皆、人間的に尊敬の出来る人物ばかりだった。


 マルチネの噂を聞きつけた王族にも会った。最大の警戒心を持って臨んだ謁見だったがヴァタリスの王、王子、王女は皆気さくで愛情に溢れていた。


(ニケに来て本当に良かった。私は生まれ落ちた場所を間違えただけなんだ)


 幸福を噛み締めていたその時、突然その惨劇は起こった。


 扉が開くと共に突然踏み込んで来た多くの、一目見てそれとわかる賊。目には殺人を何とも思ってはいない冷酷な光が、手に持つ鈍い光を放つ丸みを帯びた刀からは数多くの怨念が感じられた。


 声を出す間も無く、扉の近くにいた4人が、至極あっさりと首を刎ねられた。


「な……な……」


 浮き足立ち、腰を上げ掛けた次の2人も一刀の下に真っ二つとなった。


「『搦め捕る黒と白の棘』!」

「『アルカ・トーラの強靭なる守護』!」


 さすがは神霊術の頂点に立つ者、瞬時に防御に回る。

 先頭にいた賊が半透明の荊によってその動きを拘束される。更にマルチネ達の周囲は白金の防護壁に覆われ、全ての物理攻撃を防ぐ。


 賊は次から次へと押し寄せたがその防御を突き崩す事は出来なかった。


 役員の1人がマルチネに言った。


「フェンリル。逃げなさい。どうやら貴女が標的の様だ。貴女はこんな事で死んではならない」

「シュメルさん!」

「我々が盾になりましょう。貴女は早くお逃げなさい」

「アレナさん……」


 同時にマルチネの背筋が凍る。

 新たに扉から音も無くヌッと入ってきた大柄な男、盛り上がった筋肉と逆立つ髪と眉。燃える様な赤い髪と同じ、真紅の瞳に光は無く、その目を見てマルチネは恐怖で竦み上がった。


「何を手間取ってやがる」

「ダ、ダロス様!」


 ダロスと呼ばれた巨漢の男が剣を抜いた。

 それは見た事もない、見事な反りの入った片刄の剣。体格にそぐわない細身の長剣をヒュッと横に薙ぎ払った。


 直前に乱入してきた男達は頭を抱えて床に伏す。


 だがマルチネを守っていた2人の協会役員は。


 剣が届きもしない間合いからの一振りで、強力な守護スキルを破られ、2人の首はゴロンと床に転げ落ちた。


「手間掛けさせやがって」


 ダロスと呼ばれた男がマルチネの方に一歩進む。と同時にマルチネの髪が逆立った。


「ムッ」


 ダロスは剣を構えて防ぐポーズをする。


「『氷の連撃!』」

「『ダルケイオスの槍』!」


 マルチネの手前から人間大の氷塊が現れ、乱入者達を襲った。と同時に宙に浮かぶ悪魔の如きビジュアルの像。その手に握られる槍を振り回し、突き刺して男共を薙ぎ倒した。


「ヘッ。『賢者』様は魔霊も使えるか」


 それはマルチネ自体、長らく封印していた魔霊術だった。


「このままやり合ってもいいが……おい」

「ヘイ!」


 ダロスが合図をすると1人の男が消える。


 怒りに我を忘れたマルチネが魔霊術を乱発、ダロスは部下らしき男達を下がらせ、剣一本でマルチネの凄まじい魔霊術をみせた。


 数分後、ようやく騒ぎに気付いた民衛隊がマルチネの家に到着、同時にダロスがニヤリと笑って姿を消す。


 肩で息をし、膝を突き、目の前のシュメルとアレナの2つの首を呆然と見つめたマルチネは入ってきた民衛隊によって、逮捕された ―――

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